「抹殺された楽園、ディエゴ・ガルシア」

下記小文はキーマン@nifty第22回2003年10月9日掲載「抹殺された楽園、ディエゴ・ガルシア」の再掲載になります。
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昨年秋以降、アメリカ軍の動きと言えば、イラク侵攻のことばかり注目されていましたが、極東アジアに展開する部隊については殆ど報じられていません。その中で唯一、報道しているメディアというと、沖縄タイムスと琉球新報の二紙が上げられます。沖縄は本島だけではなく、周辺諸島にもアメリカ軍提供施設、海域、空域が広がり、例えば本土からの旅客機が那覇空港に離着陸するのに沖縄本島を大きく迂回して沖縄本島が良く見える様なルートで飛行するのも、提供空域を避けて飛行するから結果で、観光客相手のサービスのように思える飛行になってしまいました。逆に言うと沖縄の空の大半は今でもアメリカ軍に占領され続けています。

沖縄には本土には駐留していない戦闘部隊が駐留しています。多くは海兵隊ですが、少数ながら陸軍の部隊もいます。海兵隊は中東にも派遣されることがあるから、時々は本土のニュースに出てきますが、周辺国での演習に多く参加している事は地元の新聞にしか報じられていません。 在沖米海兵隊が韓国での演習に参加するのは日常茶飯なのですが、最近はフィリッピン軍との共同演習に力が入っている。主な演習地はミンダナオ島が多いのは、フィリッピン側の都合で、アヨロ政権は軍をイスラムゲリラの掃討作戦に重点を置いている事に由来する。

イスラムゲリラ掃討作戦にアメリカ軍の関与はないのか。フィリピンではアヨロ政権に対する風当たりの強さの一つに、このことが上げられていました。 しかし対イラク戦争を境にアメリカは公然とイスラムゲリラ掃討作戦支援を表明し、沖縄駐留部隊からもフィリッピンに戦闘部隊も派遣される様になりました。また沖縄駐留の海兵隊はこのほか、タイとの共同演習を韓国との共同演習同様に昔から続けている。

海兵隊とは別に、その存在自体が公にされる事を嫌う陸軍の部隊も駐留している。この部隊は陸軍の通信部隊が駐留するトリイステーションに駐留する部隊で、「グリーンベレー」、正式には陸軍第一特殊作戦部隊第一大隊と呼ばれる特殊部隊が駐留している。この部隊の動向については沖縄の新聞でも滅多に報じられる事はないが、例えば数年前、インドネシアの首都ジャカルタで暴動が起きて在留外国人が緊急避難した時、トリイステーションに根拠地を持つ特殊部隊が沖縄に緊急非難した事が沖縄タイムスに報じられた事があった。インドネシアに派遣されていた部隊の任務は軍事顧問団としてインドネシアに滞在し、インドネシア軍に対する教育・訓練を実施していた。今、彼らはフィリピン軍を教育している。

このようにトリイステーションに駐留する特殊部隊の任務は戦闘をすることだけではなく、他国の武装集団を訓練する事と、軍事作戦立案に必要な細かな情報収集の二つが主な任務と見られている。この細かな情報というのは、例えば道路ネットワークの整備状況とか道路の道幅や舗装の質や橋梁の状況、切り通しの法面やトンネルの状態など道路一つとっても専門性の高い、それは多くの人にとっては無意味な情報を組織的に集め、データベース化している。つまり本当に重要な軍事情報とは、多くの人にとっては何の意味を持たないものばかりであり、法律で規制出来るものではない。道路のことは道路の専門家が見れば判る。徹底的に国防機密防諜を貫くならば、道路の専門家を道路に近づけてはいけない。道路一つ取っても素人には判らない情報を集める専門家集団、それが特殊部隊の本質であって、パラシュート降下してサバイバルしながら敵部隊を殲滅するといった戦闘的なものばかりではない事を覚えておくべきである。

アメリカ軍は常に戦闘に備えて戦闘部隊の前進配備を日本や韓国に行うとともに、軍事物資を世界中に事前集積し戦闘に備えてあります。その一つにインド洋の孤島、ディエゴ・ガルシア島があります。ディエゴ・ガルシアと言えば、最近はインターネットの無料エロサイトと言いつつ高額な国際電話料金を請求してくるトンデモな悪徳業者が多く使った事で一躍、名を挙げたのですが、本来はアメリカ軍の事前集積根拠地として有名で、逆に言うと現在のディエゴ・ガルシアにはアメリカ軍基地以外存在しない為に定期航路も定期航空路もなく、現在では一般人は近づくことすら出来ない。

ディエゴ・ガルシア島を含むチャゴス諸島には先住民族は住んでいなかった。存在が発見されたのは14世紀、ポルトガル人によって発見され、1700年代に一握りのフランス人が入植した。フランス人はアフリカから奴隷を輸入して灯油を採取する為のココナッツ(椰子)から「コプラ油」を採取するプランテーションを作った。本格的な入植は1760年から始まり、1814年から1965年まではモーリシャスの領土であった。1965年以降チャゴス諸島はイギリス海外領土となり、1966年から1970年にかけてイギリス政府はディエゴ・ガルシア、ペロス・バンホス、サロモンの各島々の住人約1500人をモーリシャスなどに強制移住させた。

その強制移住のやり方とは、まず、イギリス政府はディエゴ・ガルシアの重要な産業である「コプラ油」の製造会社をイギリス政府が買い取り工場を閉鎖する事で雇用を破壊し、モーリシャスとの定期航路を島に行く便だけを旅客・貨物ともに積ませず、チャゴス諸島からの旅客・貨物のみを扱うといった前代未聞な方法で島から住民を追い出してしまった。自給自足で暮らしていた48家族は最終的に「ここにアメリカ軍基地を作るから出て行ってほしい」と言われ、セイシェルに強制排除されてしまった。最後の住民が島の住民の出生と死亡の記録、日本の役所で言う所の住民基本台帳を持ち出そうとしたが、没収され、島の記録は失われてしまった。 そのうちにモーリシャスは独立し1970年、ディエゴ・ガルシア島などはアメリカ政府に50年間の貸し付けが行われ、1971年3月24日からアメリカ海軍の通信施設の工事が始まった。

ディエゴ・ガルシアの住民はモーリシャスとセイシェルに分断されたままとなり、都市化したモーリシャスでは漁業技術や工業的な植物油採取の技術は生かされることなく放置され、住民の都市生活への適用教育プログラムも行われず失われた技術同様に放置されていた。都市生活に馴染めない住人達は仕事にもありつけず、スラム街に住む結果となった。そして「チャゴス人は島へ帰れ」という無知な者達からの差別を受け、経済的地位によって差別を受けるモーリシャスでディエゴ・ガルシアから追い出された人々はモーリシャスでの社会的地位は最下位にランクされてしまっている。が、しかし彼らの国籍はモーリシャスではなくBIOT(イギリス海外領土)となっている為にモーリシャス国民ではないが、イギリス本土に行くにはビザ発給をイギリス大使館なり領事館で受けなければならない。 チャゴス諸島のうち、アメリカ軍が基地として使用しているのは一番大きいディエゴ・ガルシア島だけで、他の島は使われることなく放置されている。ディエゴ・ガルシア島から一番近い島でも100kmも離れており、他の島に住民が帰還しても軍事保安上の問題などまったくない。

チャゴス人が先住民族ではない為に国連の先住民族問題常任委員会に問題を取り上げてもらうにも先住民族というアプローチではなく、チャゴス諸島はイギリス政府の主権の及ぶ所なのにイギリスの主権の及ばないモーリシャス、つまり他国に強制移住させた事が問題であるという視点から国連に対してアプローチが続けられた。そもそもイギリス領土からイギリス市民を他国に追放する事を正当化できる法律など存在しないし、国際私法と呼ばれる様々な国際法に照らしてもイギリス政府の行為を正当化できない。では、なぜ承知の上で、このような暴挙に出たのか。
 1965年といえば、キューバ危機の翌年であり、一つの国が共産化すると隣国も次々に共産化する「ドミノ理論」が幅をきかせていた時代であり、イギリス労働党が政権に付くなり、アメリカからポラリス戦略核ミサイルを潜水艦ごと調達してイギリス海軍の核戦力の強化を図っている。後に、このポラリス導入の見返りとしてディエゴ・ガルシアをアメリカに提供するという政府間の機密文書が1979年にイギリス上院公聴会で暴露されて大騒動となった。ディエゴ・ガルシアはインド洋の孤島という辺境の島ゆえにイギリスに限らず誰も存在すら知らない知名度度の低さから、なにやってもバレないと踏んだと見られている。
しかしイギリス海外領土からイギリス領土外に強制移住させられた住民達は2000年7月にロンドンの高等裁判所に集団住民訴訟を起こし、同年11月3日、高等法院はイギリス政府の強制移住は違法であると判決を下した。また1971年に作られたチャゴス諸島への帰還を禁じたイギリス政府の決定も無効であると判決文で述べられた。但し、軍事施設については容認した。住民の帰還と強制移住中の補償と権利の確認については現在、抗争中である。(後編に続く)

キーマン@軍事・edit:高木規行

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