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2021年5月ブックカバーチャレンジ7日目『帝国日本のアジア認識』

『帝国日本のアジア認識』 桜井香織著

ブックカバーチャレンジ7日目は植民地の金融機関と産業という全く違った視点で近代史をみようという本の紹介です。
 外国為替なんてものは一般には縁が全くなく、多くの人のお金のやりとりは自分の生活圏内しかない。地域で生活できるなら商店会の地域通貨やポイントカードのポイントというのも地域通貨。しかし違う国との交易となると地域通貨では他国では価値がない。一番良いのは同等の価値を持つ物と等価交換して持ち帰る事だが、常に同等の価値を持つ物がある訳ではない。そこで価値が不変な物を担保にする事で交易を円滑に進める事を商人が考え出した。最初は「塩」という生活に絶対に必要なものだったが、単位当たりの価値が低いので大きな価値のものとの取引には向かない。次に出てきたのが「金」と「銀」だった。どちらも貴重なので価値はほぼ不変であり文明国なら価値が認められるので等価交換の手段として使える事が判ってきたが一つだけ問題があった。それは「金」は貯め込んでしまい流通しないが、「銀」は商品や貨幣として流通する。そこで出てきた外国為替方式はローマ帝国が確立した「銀本位制」という銀の価値を基準とする通貨の発行・管理である。
 明治維新当時、日本には今の日本銀行というものはまだなく、徳川政権の外国為替も中国を始め周辺各国は「銀本位制」だった。維新政府は国立銀行を設立し「銀本位制」でスタートしたが、目指す欧米は「金」を通貨の担保とする「金本位制」に変わってしまっていた。すると海外に代金支払いとして流れた日本円は担保を失った紙屑にしかならない。パリ万博参加の問題もはらみ政府のとった政策は、国内は国立銀行を全廃し、新たに設立した「銀本位制」の日本銀行一本にする。外国為替については横浜正金銀行(東京銀行の前身)に任せ、ロンドンに支店を置き、銀本位制の日本通貨と金本位制のポンドとの為替交換業務を行った。1983年に償還が終了した日露戦争戦費調達のポンド建て国債というのは結局、外国為替窓口が横浜正銀銀行ロンドン支店の存在にある。ポンド建て国債を最初に購入したのはアメリカの銀行家ヤコブ・ヘンリー・シフという名前から判るユダヤ人。彼はまだ日本軍が成果も出していないのに当初予定していた発行額の半分の500万ポンドを購入。この後、ロンドンで募集額の26倍、ニューヨークで3倍の応募があったと野口悠紀雄がnoteに書いている。 https://note.com/yukionoguchi/n/n7aa2ff3b244b
 ここで台湾という植民地である。台湾を帝国領土として組み入れるか、外地のままにするのか。現地住民に対して皇民化教育と言ってもそもそも言語が全く違う、生活様式も文化も産業も違う異国。しかも激しい抗日闘争が行われたのだから台湾は独立して考えないといけないと判断された結果、台湾での金融業務は日本銀行台北支店ではなく、台湾銀行という植民地銀行を設立すべきだとなった。現に機能している台湾貿易の顧客は周辺の銀本位制の国々なので自動的に銀本位制の銀行となった。外国為替については横浜正金銀行に習い、当初は中国本土で直接取引のある香港や廈門に支店を置き、上海支店までたどり着き、最終的にはロンドンとニューヨークに支店を開いた。
 この台湾銀行の成功を参考にし、朝鮮総督府が設立したのが朝鮮銀行。日本占領前の朝鮮の金融機関は両替商しか居なかったのを銀本位制で自前の通貨を発行できた。設立には日本銀行以前の国立銀行設立の経験を買われた渋沢栄一が起用された事から今は流通していない朝鮮銀行券や日本銀行券に渋沢栄一の肖像が載る事になった。
 金融の自主性を作る一方、台湾の人材育成についても力を注いだ。この人材育成の元となるデータ収集と分析というのが、この本の一番伝えたいテーマだった。とにかくよく調べていた。最終的に南方進出の起点としての台湾を目指す事、経済進出が目標だった。つまり軍事力で帝国領土を広げる八紘一宇だの五族協和だの言い出す遥か前の明治政府の政策は経済進出だった。
 昭和に入り軍事政権化した日本政府の政策は、経済進出という平和的な方法を潰してしまった。同書を読むと台湾における高等教育は日本語で行われ、日本から台北高等学校に入学する生徒もいる事が判り、地元からでは言語というハンデキャップが上げられる。それ故に台北高等学校が先進的な教育をし、商機を外国に求める体験授業というべき外国の地でのフィールドワークは戦後の台湾に良い影響を残せたが、絶対数が少なすぎる。
 最終的に日本の植民地経営はどうだったのだろうか言えば、失敗だろう。先に述べた日本銀行を「銀本位制」にするか「金本位制」にするかで渋沢栄一は欧米にならい、これからは「金本位制」だと主張した事から日本銀行設立メンバーを外された件など同書ではナショナリズムが目を曇らせる事が少なからずあった事を述べている。ちなみに日本銀行は設立15年後の1897年に「金本位制」に移行している(日本銀行金融研究所HPから)。
 ナショナリズムは目を曇らせる。それが言いたかった本だと思いました。

ブックカバーチャレンジはこれでおしまいです。紹介したかった本は沢山あります。例えば帝国陸軍主計少将として終戦を迎え、食べ物の研究一本で将官になった世界でも稀有な人で桜美林大学教授だった故川島四郎の著作シリーズの一冊『くだもの栄養学』とかはアマゾンで1円という廉価ながら、身近で判りやすく、直ぐに実行できる本。
何しろこの川島四郎という人は1986年に91歳で亡くなる1年前まで桜美林短期大学の教壇に立って講義し、私の講義の成果物はこの私です、というスーパーマンだった。
武勇伝は数多く食品工業や食品科学の本の昔話には必ず出てくる人で、日本軍が残した研究成果で唯一戦後、世間様に還元できた分野でもある。例えば「乾パン」という非常食は川島四郎の最高傑作だったが、平成に入り行政が蓄えている災害備蓄食料としてはヤマザキナビスコ(現在はブルボンが製造)のクラッカーに駆逐されてしまった。それでも非常食の代表格としてその名を誇っている。
 ブックカバーチャレンジのバトンは渡さず、これで終了です。やりたい方がおりましたらご連絡ください(笑)。

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