「抹殺された楽園、ディエゴ・ガルシアの現在」

下記小文はキーマン@nifty第23回2003年10月16日掲載「抹殺された楽園、ディエゴ・ガルシアの現在」の再掲載です。

前回のキーマンではディエゴ・ガルシアの歴史について書きましたが、現在とこれからのディエゴ・ガルシアを見てみましょう。

住民の強制移住問題を抱えたディエゴ・ガルシアが本当に重要拠点となったのは、1991年の湾岸戦争のときだった。湾岸戦争の始まる少し前、ディエゴ・ガルシアにはアメリカ海軍の通信ネットワーク再構築により海軍コンピュータ通信センター(NCTS(Naval Computer and Telecommunication Station))が整備され、世界中に展開するアメリカ海軍への指揮・命令・情報の共有化を進めた。そして湾岸戦争が始まるとB52戦略爆撃機の拠点にもなった。 B52戦略爆撃機の拠点は長らくアメリカ本土の他はグアム、嘉手納とイギリスにだけあった。一時期、ベトナム戦争当時は北ベトナム爆撃の為にタイに派遣していた事もあったが、ベトナムから撤退する時にタイからも撤退した。 かつてアメリカは、親米のイラン王室のおかげでイランに拠点があったが、1979年の革命で中東の足場を失い、拠点としてのディエゴ・ガルシアが見直され1986年に5億ドルの予算をつぎ込んで事前集積施設として完成された。その後の湾岸戦争の結果、拠点の内容が見直され、出撃拠点に変質していった。
 ディエゴ・ガルシアの事前集積施設は現在も機能していて、長崎新聞が5月28日に報じた所によると、今年の3月から5月にかけて、佐世保の赤碕と庵崎、横瀬にある燃料貯蔵所からJP8というジェット機とガスタービン艦共用の燃料が延べ7隻のタンカーによって推定で25万キロリットルをディエゴ・ガルシアに搬出したと報じている。ちなみに搬入はイラク線開戦前の1年の間に、およそ40万キロリットル搬入したと報じている。長崎にあるこの3施設だけで総量84万キロリットルの貯蔵が可能だとか。
 空母一隻に積まれる航空燃料が2万から3万リットルという事を考えると、推定とはいえ25万キロリットルというのはB52戦略爆撃機の他、B2爆撃機以外にも振り分けたと思われる。ディエゴ・ガルシア島は珊瑚礁の上の島なので地下式貯油施設は作れない。地上式貯油施設とタンカーに積み置くだけだが、タンカーの分は事前集積物資なので使う事は出来ない。もっとも、油の種類については判らないが。

今回の対イラク戦争中、海上自衛隊は対アフガニスタン戦争に参加している各国海軍に燃料を供給しましたが、アメリカ海軍の軍事海上輸送コマンド(MSC)の機関紙「シーリフト」7月15日号に給油艦ジョン・エリクソンがイラク戦争中に海上自衛隊の「ときわ」から洋上給油を受けた事を写真入りの記事で紹介されていると7月16日の神奈川新聞が報じると、日本政府は慌てふためいた。何故ならジョン・エリクソンは対イラク戦争参加艦艇にも給油をしており、テロ特別対策法に定めた相手以外には給油しないと政府答弁しているのに、実際は違ったからだ。この「シーリフト」の記事に対して神奈川新聞の報道によると、海上幕僚監部は神奈川新聞の取材に対して「ペルシャ湾で燃料給油した事実はない」と全面否定したと報じている。

日本政府のメンツはともかく問題は、アメリカ軍は艦艇の燃料に関して、事前集積物資より自衛隊からの給油を当てにしていたのかがポイントになる。もし、自衛隊からの燃料補給がなかったら、その分をどうしていたのだろうか。うがった見方をすればアメリカ軍は最初から自衛隊からの燃料供給をあてにして戦争始めたのではないか。
ディエゴ・ガルシア島は事前集積施設でしかなかったのが、今や世界の重要拠点となり、アルカイダと疑われる被疑者まで受け入れている。当然ながら被疑者には取り調べ時の弁護士の立ち会いや、拘留中の弁護士との自由な接見などアメリカ人は当然の権利だと主張する権利は与えられていない。
そんなディエゴ・ガルシアに何故、インターネットのボッタクリサイトが存在できるのか謎だが施設維持従業員、つまり少数の民間人も居る。現在、ディエゴ・ガルシア島に行く定期航路は航空便だけで、横田基地からとシンガポールのチェンギ空港からAMC(アメリカ戦略輸送コマンド)の定期便に乗るしかない。乗れるのはアメリカの軍人・軍属といった軍関係者だけである。船舶であれ航空機であれ、ディエゴ・ガルシア島に向かえば水平線上にディエゴ・ガルシア島が見えた途端に、戦闘機のお出迎えを受ける物騒な島でもある。

そんな物騒なディエゴ・ガルシア基地のホームページにアクセスすると、リゾート施設というもう一つの顔が紹介されている。半径100kmには島一つない大洋の珊瑚礁で出来た孤島。島民を追い出したおかげで農業も漁業もない。全くの手つかずの自然がそこにはある。基地の外は熱帯ジャングルと珊瑚礁の白い砂浜が広がるリゾート地。それは森村桂著「天国に一番近い島」で一躍有名になったニューカレドニアより天国に一番近い島かもしれない。しかし食料を生産する農家も漁師も追い出してしまった為に、食料は輸送しないことには生活できない飢餓の島でもある事も事実だ。
 従って維持に費用がかかる事は事実だ。 このディエゴ・ガルシアのような事前集積施設を東京都小笠原村硫黄島に作るとかいう提案をした人がいた。たしかに今、民間人はいない、島の殆どは手つかずの空き地、航空施設は厚木基地の代替施設として整備されたので充実している。しかし、この提案をした人は、硫黄島は今も火山活動と地殻変動が続く活火山の島である事を無視しているのか調べなかったのか、全くの絵空事のプランを提案している。
 硫黄島の火山活動は現在も続いており、地下を掘れば温泉が涌き火山性ガスが出てくるので地下を掘る事は出来ない。海岸は隆起し、かつて作った桟橋は陸上にあるなど地殻変動は日々続いている。しかも硫黄島は戦争末期に強制収用して全ての土地を国有地に移転登記したとはいえ元々の地権者が存在し、何でも勝手に出来る訳ではない。珊瑚礁の島、ディエゴ・ガルシアのように安定した土地ではないので、物資の貯蔵には適さない。地殻変動の穏やかな北硫黄島は強制収用しなかった為に全島に地権者が存在するので、なおのこと勝手に使う訳には行かない。
 天国に近い島の一つディエゴ・ガルシア。住民帰還問題を含め、今後の動向が注目されます。

キーマン@軍事・edit:高木規行

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