![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145301970/rectangle_large_type_2_66f007f78419e5362a2ac2ba25844299.jpg?width=1200)
自分を理解する人
僕はなぜ生きづらいと感じる瞬間があるのだろうか?
こんなことをふと考える日がある。
特に大きな不安やストレスがあるわけではない。と思う。
そのような人はぜひ「自分を理解する人」について考えてみてほしい。
まず、一つ問おう。
あなたは日頃生活する上で「自分を理解している人」だと感じる人に出会ったことはあるだろうか?
家族・友人・親友と形容される特別な友人・上司や先輩etc…
様々な人が思い浮かぶと思う。
その中に、あなたを本当に理解している人は何人いるだろうか?
自分目線で言うならば、本当の「自分を理解する人」はいるだろうか?
今回は、僕の「自分を理解する人」について話していこうと思う。
-本当の自分
僕は、人と関わる上で認知のズレが少なくとも生じるものと考えている。
これは俗に言う「バイアス」というやつである。
「自分はこう思ってしたこと」でも、相手にはその真意は伝わらないことが多い。
それは「自分」という存在の他人からのイメージも同義である。
例えば、他人からの「○○って優しいよね」という言葉を聞いてあなたはどう感じるだろうか?
素直に褒め言葉として受け取り「嬉しい」と感じる人もいれば、「どこがだよ」と感じる人もいる。中には「都合がいいってこと?」と感じる人もいるだろう。
このような感じ方の違いは悪いことではない。
これこそが今回、僕が伝えたいことの核心である。
-パズルのピース
「本当に自分を理解している人」と感じる人は何人いるだろうか?
これは僕が初めに置いた問いである。
その人について今一度考えてみてほしい。
その人は本当に自分の全てを理解しているだろうか?
その人との間でどこか「バイアス」を感じることはないだろうか?
ここで僕自身の話をしようと思う。
僕はこの問いに対してはっきりとYESと答えることはできない。
アキネイターでいうところの「たぶんそう部分的にそう」である。
というのも、僕のある部分では本当の自分を理解してくれている人はいる。
浮かんだ人それぞれで満たしている部分は異なる。
みんなを合わせたらもしかすると「完全に本当の自分を理解する人」が完成するかもしれない。
その人それぞれが「パズルのピース」なのである。
僕を理解する人は、パズルのピースのようにみんなが集まることで完成する。
-余裕
上記したことは極論で、僕はパズルのピースを求めているわけではない。
今回僕が伝えたいことは、どんな人でも「バイアス」が付き纏うことである。
人に付き纏うものの一つに「承認欲求」がある。
人に認められたい・人に褒められたい・人に理解されたいetc…
このように「承認欲求」とは「理解」とあまり変わらないのではないだろうか。
あなたは、このような「承認欲求」を友達や家族、自分が「理解してほしい人」に強要してはいないだろうか?
人は承認欲求が満たされると「余裕」が生まれる。
人に理解されるというのはとても気持ちがいいことである。
理解というのは、嬉しい・安心・幸せなどのポジティブな感情を生む。
理解が枯渇すると心も窮屈になってしまう。「余裕」のない状態である。
この「余裕のない状態」が書き出しでいうところの自分はなぜ生きづらいと感じる瞬間があるのだろうか?に繋がる。
-自分を理解する
上記した、理解が枯渇した状態というものはやはり「バイアス」によって生じる。
頑張っているのに理解されない。こういうことを言いたかったのに伝わらない。僕は君の思うような人じゃない。
このような自分と他人とのギャップをストレスと感じる人はいるだろうか?
このようなストレスを無くす手っ取り早い方法が存在する。
それは「自分が自分を理解する」ことである。
さらに言えば、「自分が自分の一番の理解者であると自覚する」ことである。
初めの問いで、「本当に自分を理解する人」を「自分」と答えた人はいるだろうか?
僕ははっきりと「自分」と答える。そう答えることができなかった人には、ぜひ「自分が自分の一番の理解者であると自覚する」ということを心掛けてほしい。
これは実際そんなに難しいことではない。
「前述した”他人とのギャップ”に気づくこと」=「自分を理解している」ではないのだろうか?
これを言われると「当たり前だ」と思う人もいるだろう。それでいいのだ。
自分は他人に完璧に理解されない、自分と他人との間には「バイアス」が付き纏うということが頭にあればストレスと感じることはない。
これは前回で述べた「自分軸で生きる」ことに繋がる。
「自分が自分を一番理解している」という前提があれば「余裕」が生まれるのではないだろうか?
ぜひこの小さな一歩を踏み出してみてほしい。
ここまで読んであなたは「自分を理解する人」についてどのような考えを持つだろうか?
本稿では、僕なりの理解についての向き合い方と考えを記した。
一個人の意見として楽しんでいただけたら嬉しいです。
何か相談や聞きたいことがあればInstagramのDMでお待ちしております。https://www.instagram.com/n_t2ir