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理解して欲しい人

友人Mが僕の「自分を理解する人」を読んで、「理解して欲しい人はいるなぁ」とコメントをくれた。僕はこの言葉に衝撃を受けた。
僕は人をあまり信用できないし、頼ることが得意ではない。
すっかり「理解してくれる」という考えが頭から抜け落ちていた。

でも僕には有難いことに「理解してくれる人」「理解しようとしてくれる人」がいる。
今回はそんな大切な人たちについて、「理解して欲しい人」について考えてみる。


-初めに

まず身の上話をしよう。
僕は、自分のやりたいことは兎に角何を言われようがやってしまいたい性格で、世で言う「行動力のある人間」だと思う。
おそらく自分の行動にある種のプライドを持っているし、自分の中でのダサいことはせず、かっこいいこと・かっこいい自分を常に追いかけている。
それを側から見て批判されたとしても「自分軸」な性分なおかげで何も思わない。
できた人間ではないかもしれないが、「やりたいことをやっている素の自分」を「いいじゃん」と思ってくれる人だけが周りにいればいいと思う人間だ。
実際、それだけで僕は十分幸せなのだ。

有難いことに僕には沢山の友達がいる。当たり前だが、その人たち全員が本当の僕を理解している訳ではない。でも、その中には「素の自分」を認めてくれる人がいる。
僕風に言うと「自分を理解する人」なのだろう。
とても嬉しい。そしてとても幸せなことだ。みんな、いつもありがとう。

あなたには、素の自分を理解して欲しい人はいるだろうか?
はたまた、素の自分を表に出せているだろうか?
今回は、「素の自分」にフォーカスして書いていく。

-理解して欲しい人

あなたには「自分が価値を届けたい人」はいるだろうか?
少し難しい表現かもしれないが、要約すると好きな人だ。
ここでいう「価値」と言うのは、自分が持つものを指す。例えば、遊んで楽しい時間を過ごせる。その人のために自分が「何かしてあげられる」や「助けになれる」などでもいい。
あなたにはそういうことを考える人はいるだろうか?

ただ遊ぶだけ、ただ助けるだけでは価値を与えたことにはならない。
まず「価値」とは、相手のことを理解しないと分からない。
例えば、経済の「需要と供給」でいうところの「需要」である。
あなたは相手の「欲しい価値」を理解して、それを届けることはできているだろうか?
僕はこれが「相手を理解する」のファーストステップだと思う。
あなたは「求める価値を理解している人」であり、「理解した価値を届けたい人」のことを好きではないだろうか?
そんな「自分が価値を届けたい人」こそ僕は「理解して欲しい人」だと思う。
分かりやすく表現すると「好きな人に好きになってほしい」である。
以後、自分が価値を届けたい人・理解して欲しい人を「顧客」と表す。

-八方美人

世の中には様々な悩みや不安を持つ人がいる。その中で僕の「顧客」も悩みや不安を持つ。僕はそんな人たちを「僕があげられる価値」で助けたい。

あなたは「八方美人」になってはいないだろうか?

noteのような記事を書いていると、「自己啓発」や「意識高い系」などのバカにしたり批判する言葉を聞くようになった。
僕は、普段生活する上で色々なことを考える。色々なことについて自分なりに結論を出すのが楽しいのだ。
「顧客」の中にそんな僕の考えを必要としてくれている人・楽しんでくれる人がいる。
それなら僕は喜んで記事を書く。
その人が今何で悩んで何で不安になっているか、僕は悲しいことに専属の相談師でないから常には分からない。
だから記事という形で、少しずつでも考えることをアウトプットしている。
批判する人は僕の「顧客」ではない。だから気にしない。


再度問おう。
あなたは「八方美人」になってはいないだろうか?

自分の素を出さずにより多くの人に好かれようとしてはいないだろうか?
「周りが〜」「みんなが〜」などのよく聞く言葉に慣れてしまってはいないだろうか?

人に素の自分を出せないあなた。八方美人なあなた。
そんなあなたを僕なりに表現するならば、「なんでも買える家電量販店」である。
色んな人に必要とされて、自分もそれに応えることは出来る。
だが、そんなあなたが「専門店」つまり素の自分を出す人に勝ることは無い。

家電量販店は多岐に渡り様々なものを買うことができるし、顧客も多いだろう。
だが本質的な顧客はどうだろうか。
「様々なものを置いていること」「様々な顧客に対応できること」は逆に本質的な顧客を失う弱みにもなる。

僕が伝えたいことは、家電量販店は様々なものを売っているため、多くの顧客に対応できる。しかし、顧客側からすると何を強みとして売っているのかがはっきりと分からない。
専門店はある人分野のものを扱っているため、それを必要とする顧客にしか対応ができない。しかし、顧客側からははっきり何を売っているのかがわかる。
では、これを「理解」に置き換えて考えてみる。

極端な考え方ではあるが、
八方美人な人は、理解できる・理解される範囲は広いが、「顧客」には素の自分を理解されにくい。
素の自分を出す人は、理解できる・理解される範囲は狭いが、「顧客」には素の自分を理解されやすい。
というように考えることができる。

このように八方美人は「顧客」を作る上であまり有利ではない。
これでは理解して欲しい人、「顧客」になって欲しい人を逃してしまう。
僕は、あなたに「素の自分」を大切にしてほしい。

-見定める

僕は「顧客」が多いことを悪としている訳ではない。
「顧客」と呼べる人を沢山作る必要がないことを伝えたい。

では、その「顧客」をどのようにして見定めれば良いのだろうか?

書き出しで【すっかり「理解してくれる」という考えが頭から抜け落ちていた。】と述べたが、これは僕のある考え方に起因している。
それは「8:2の2が本当の顧客」である。

これはパレートの法則を元にしており、「売上の8割は、全体の商品の中のたった2割が占めている」であったり、「売り上げの8割は、顧客全体の中でたった2割の顧客からで占められている」というような法則である。

僕は、これは人間関係にも言えるものでもあると考えており、友達全員のうち「顧客」は2割いれば十分だ。と考えていた。
実際、僕の友達のうち2割は「顧客」だ。更に言えば、この2割は理解して欲しくて、「顧客」になって欲しくて何か行動して出来た訳ではない。
だから「理解してくれる」という考えが抜け落ちていた。無理に気に入られようだとか、理解して欲しいだとかそういう考えが、頭から消えていた。

では、2割の「顧客」はどのように作れば良いのだろうか?
それは「素の自分を理解してくれる人」つまり「顧客」を自分自身で見極める必要がある。
ただがむしゃらに友達の10割に素を出すのも違う。
僕が言いたいことは常に素を出し続けろということではない。
友達の10割のうち、その人たちが求める価値を考え、自分の素を出せる2割を見定めて欲しい。

2割を見定めたとして、ここで好かれようと自分を取り繕ってはいけない。
取り繕うことによって相手からの「理解」が得られづらくなる。
素の自分を否定されることを怖がってはいけない。

10割のうち2割に理解してもらえればそれで十分なのだ。気楽に行こう。

-終わりに

ここまで読んでみてあなたは「理解して欲しい人」についてどんなことを考えただろうか?
僕はその人に理解されるためにはまず、自分が理解することが大切だと思う。
そして理解して欲しい人こそ好きな人なのではないだろうか?
相手の求める「価値」を知る。このことを忘れずに友達と接してほしい。
そうすることで互いの理解も深まっていく。僕はそう考える。
そして友達全員に求めるのではなく、2割でいい。
この2割をより大切にしてほしい。


本稿では、僕なりの理解についての向き合い方と考え方を記した。
一個人の意見として楽しんでいただけたら嬉しいです。

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