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きっかけをつかみにいこう
今年の1月から、ほぼ日手帳を買って、日記を書き始めた。
![](https://assets.st-note.com/img/1738167933-d4WsFoe26b9qiz8cXtDK7Zph.jpg?width=1200)
きっかけは、推しが新年初配信で「今年は絵日記を書いてみないか?」と言っていたこと。
イラストはちょっと厳しいので、普通の日記をつけることにした。
これまで日記なんて全く書いたことのなかった自分の中では、これだけでもかなり大きな一歩である。
去年、日々の怠惰と先延ばしについてnoteに書いた。
繰り返される無為な日々をどうにかしたいと。
これはチャンスだと思った。
人はいつだって変わり始めることができるはずなのだが、そこへ一歩踏み出すことがいつもできていなかった。
ひとりではなかなか変わることができない自分には、外からの後押しが必要だった。
この新年という時期に、推しの一声。
これでやっと踏み切ることができた。
彼女は日記を書く目的なんかには触れていなかったけど、私は、毎日を少しでも有意義なものにするために、日記を活用したいと思った。
日記を書くときのマイルールは、
・多忙や体調不良で書けない日があっても、思い出せるうちに振り返って書く。
・できる限り毎日、ほんの少しでもいいから何らかの進捗を出して、記録する。一つは、片付けとか何かしらの生活の改善。もう一つは、本数ページでもアニメ一話でも、何かをインプットする。
・もしも日記が途切れてしまったり、進捗が出せない日が続いてしまっても、完全に諦めず、どこかで復帰する。
というようにした。
甘い設定かもしれないが、習慣を成立させるには、まずはすぐにでもできる簡単なことから始めるのが一番いいと言われているので、このようにした。
実際、一度始めさえすれば思ったよりやれてしまうということを、やっと実感できた。
そして、このnoteの投稿時点で、22日間。
後日振り返って記載した分も含んでいるが、継続することができている。
私は日々の記憶が薄い人間なので、記録という意味でも、始めて良かったと思っている。
まだまだこれからだが、少しの達成感。
ひとまず、推しにありがとうと、自分におめでとうを言いたい。
これまで見聞きした考えや自身の経験から、なかなか変わることのできない自分を変えるために重要なのは、少しの後押しとタイミングと心持ちだと思っている。
後押しは、正直なんだっていい。
ある人にとっては、それは昔の偉人の言葉かもしれない
それは尊敬する歌手や芸能人の言葉かもしれない
それは両親や友達や先生の行動かもしれない
それは音楽や映画やアニメから感じ取ったことかもしれない
それはインターネットのよく知らない誰かを観測したことかもしれない
少しずつ自分を開きながら、出会いを見過ごさず、受け入れていくことが大事だと思う。
タイミングも、自分の意味づけ次第。
変わりたいという心があれば、あとは踏み切るだけ。
その踏み切りこそが難しいのだということは重々承知しているけれど。
一年、一ヶ月、一週間の始まりでもいい
自分なりの意味がある記念日でもいい サラダ記念日とか
やっぱり何かしらの区切り、節目になるタイミングがいいだろう。
それでも結局一番重要なのは、自分の心持ちだと感じている。
上で挙げたような、自分への言葉や働きかけ、出会いに気づき、素直に受け入れることができるかどうか。動き始めることができるかどうか。
同じものを見ても、同じ経験をしても、その時の自分の状態によって、人が感じることは異なってくる。
「その心が邪魔をしているんだ」「素直になれたら苦労しない」
確かにそうかもしれない。
私もまだまだ思い通りにならないことだらけだ。
私は私でしかないので、あなたの心はわからない。
自分の意志では、私の心しか変わらない。
だから、「飛び込め、掴みにいけ」と発信するしかない。
こんなメッセージは、色んなところで見かけるありきたりなものかもしれない。表現も、稚拙なものかもしれない。
でも、もしかしてどこかのあなたに届くかもしれない。
こんな感じに、ちょうど変わっていくことについて考えていた中でリリースされたのが、米津玄師の『Plazma』だった。自分にとって奇遇なタイミングだなと感じる。
もしもあの人混みの前で 君の手を離さなければ
もしも不意に出たあの声を きつく飲み込んでいれば
もしもあの改札の前で 立ち止まらず歩いていれば
君はどこにもいやしなくて 僕もここにいなかった
あの日君の放ったボールが額に当たって
倒れる刹那僕は確かに見た
ネイビーの空を走った飛行機雲を
これが愛だと知った
人生の岐路となる色々なタイミングがあった。
ああしていれば。そうしていなければ。もしも……
この部分のみを一見しただけでは、後ろ向きな内容にも感じられるかもしれない。
しかし、この歌からは全体を通して、それでも前向きに現状を肯定していくエネルギーを感じる。
君のいない(僕が君を観測できていない)世界で、今とは違う場所で。
そこでも別の幸せを得ていたかもしれない。
でも、君から愛をもらった(僕が勝手にそう受け取った)今は、辛いことがあったとしても、かけがえのないものだから。
照らしたって果てが見えなくとも、100万通りのルートの中からたどり着いた今を、大事にしたい。
金網を越えて転がり落ちた 刹那 世界が色づいていく
飛び出していけ宇宙の彼方 目の前をぶち抜くプラズマ
ただひたすら見蕩れていた 痣も傷も知らずに
最近の自分が好んでいるテーマが表現されている。
昔はそうじゃなかった。内に籠もって、植物のように平穏に平坦に生きていきたいと思っていた。
でも今は、外に飛び出したからこそ得られるものがあること、そしてその価値がわかるようになってきた。
冒頭で書いたように、ようやく私は、少しずつだけど変わって進歩することができてきたと思っている。
その最初のきっかけは数年前、推しや友人との関わり、そして表には書かない私的なイベントを経験したことだ。
頑なだった心が、少しずつ開いてきた。
それはゆっくりじっくり心に浸透してきたもので、『Plazma』で歌われているような劇的な転機があったとは思っていなかった。
でも、今改めて考えると、その期間の中でも、あのイベントやこのイベント、特に心に爪痕を残す出来事があったかもしれないとも思う。
その光にやられて、今、ここにいる。
そしてこれからも進み続ける。
毎日少しずつ歩み、日記を書いて、毎月noteも書く。
次は何ができるようになり、どこにたどり着けるだろうか