ばにたす ばにたーたむ
このnoteは、ブルーアーカイブ『エデン条約編』及びアニメ『SAND LAND』の軽微なネタバレを含みます。
『それでも』と
白州アズサ
ブルーアーカイブに登場する「白州アズサ」が好きだ。
白くて透き通るような綺麗な長髪と羽がかわいい。
髪と羽にあしらわれている、紫やピンクのお花もかわいい。
公式紹介のとおり、一見してクールで澄ましているように見えるのもかわいい。
でも、実はかわいいものが大好きだったり、面白い表情や照れた表情、素敵な笑みを見せてくれることもあるところもかわいい。
真面目な顔でちょっとズレたことをしてくる感じも好きだ。
しかもこれで、身長が149cmと設定されている。ブルアカ制作陣、小柄な女の子に重い荷を背負わせるのが好きすぎる……
そんなアズサの一番惹かれたところは、その精神性だった。
Vanitas vanitatum
アズサやアリウススクワッドがよく引用する言葉
”Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.”
この言葉は旧約聖書からのものであり、歴史的に様々な解釈がなされてきた。
そのあたりの詳しい情報は他に任せ、ここでは、もう既に語り尽くされていることかもしれないが、私がブルアカのプレイ体験などを通して勝手に感じたことを書きたいと思う。
なお、参考に色々見ていると、ニコニコ大百科に、サイトに似つかわしくないほど詳細な記事があって笑ってしまったので、紹介しておく。
個人的にとても良く書かれていると思うが、上の記事もこのnoteについても、厳密な研究ではないので、ある程度話半分に読んでほしい。
この言葉は、そのまま文字通り読むと、ニヒリズム(虚無主義)的側面が大きく感じられてしまう。
「全ては虚しい」
「何もかも変わっていってしまう」
「物事に価値も意味もない」
「だから何をしたって意味がない」
私は以前、世界に対して「諦観」を抱いていた。
私自身が特に何か特別不幸な境遇にあったというわけではない。
でも、夢や目標、未来に対して前向きな感情が持てず、漠然と「こんなもんか」と思っていた気がする。
だからこそ、アズサのこの言葉に対する姿勢が、刺さった。
「それでも」
「だからなんだ」
「世界がどうあろうと、私は最善を尽くして生きる」
私とは違い、辛く苦しい境遇で生き延びてきた彼女が、この精神性を持てたことは、驚嘆に値する。
普通の生活でも諦観を抱いてしまっていた私には、絶望することしかできないかもしれない。
ここ数年で、世界や人間の尊さを再認識することができるようになった。
自分は世界的には恵まれている方で、それなのに世界の退屈さ、残酷さに囚われてしまっていた。
これからは、ヘッダー画像のような、どんな状況でも懸命に咲く花の美しさのようなものに目を向けていきたいと思うようになった。
最近の私は、少しづつ前向きになれてきたと感じているけれど、まだまだ「今日の最善」を尽くせているわけではない。
言葉にするのは簡単だが、実践することは、難しい。
すぐに立ち止まってしまい、創作などに勝手に救われている弱いオタクだ。
それでも、この言葉とアズサのことを思い出し、頑張っていきたいと思っている。
ミーム化しているこの表情とひらがなばにばにも好き
「ヴァニタス」と『ドライブ・マイ・イデア』
絵画におけるヴァニタス
”Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.”という言葉は、上でも軽く触れたように、西洋文化の様々な部分に少なからず影響を与えている。
そのうちの一つが、「ヴァニタス絵画」だ。
これについても、その成り立ちや解釈について諸説あるため、ここで書くのはかなりふんわりした理解になる。
「ヴァニタス」とは、近世オランダを中心に描かれた、静物画のジャンルの一つである。
その名のとおり、「人生のはかなさ、虚しさ」といったテーマを、特定の象徴物を描くことで、寓意(アレゴリー)的に表現するジャンルである。
上で書いたブルーアーカイブに登場する「アリウススクワッド」の校章についても、この文脈を汲んでいると思われる。
頭蓋骨と花は、ヴァニタス絵画によく見られる象徴物である。
一般的な解釈としては、頭蓋骨は「人間の避けられない死」を象徴し、花は「美しいものの儚さ」を象徴することが多いらしい。
また、頭蓋骨に乗っているのは、王冠だろうか。
これもまた、「現世の栄光の無意味さ」を象徴するとも読み取れる。
ヴァニタス絵画においては、これらのテーマが、どれほど真剣に描かれているかについては、諸説あるらしい。
かつて高尚で意味や価値があるとされてきた宗教画に対抗して、下に見られていた静物画が、キリスト教的意味づけ、「深み」を持たせるために成り立ってきたという分析もあるようだ。
それでもこの現代に至るまで、絵画としての視覚的な良さだけでなく、オタク(主語がデカい)が好きな、深読みできる意味付けのあるジャンルとして残ってきたということで、かなり興味深く感じている。
SAND LAND
『SAND LAND』は、鳥山明の漫画作品(2000年連載)であり、それを原作とした劇場アニメ(2023年8月公開)及びWebアニメ作品(劇場版の再構築及びエピソードを追加したもの)である。
私は現在Disney+で公開されているWebアニメ版を視聴したのだが、映画館に観に行っておけばよかったと後悔した。
簡単なあらすじとしては、以下のとおり
人の命に直結する「水」が枯渇しつつある世界で、異種族が協力し冒険する話で、単純にエンターテイメントとして楽しめ、面白かった。
それだけでなく、現代まで続く様々な社会問題を浮き彫りにする思想性も含まれており、鳥山明の天才性が改めてわかる、素晴らしい作品だった。
気になった皆さんもぜひ観てほしい、オススメの作品です。
本編の内容についても語りたい部分は多くあるが、ここではこの作品のエンディングテーマ、『ドライブ・マイ・イデア』について語りたい。
端的な結論としては、このエンディングテーマは「ヴァニタス」ではないか、ということである。
そして、上で書いたアズサと同じように、単に虚しい世界を悲嘆するのではなく、それでも歩いて行こうという前向きさが感じられるのが、特に好きな点だ。
この辺りを語った考察は軽く探した感じでは見つからなかったので、映像の全ては解釈できていないものの、その一部の映像表現について、主に「ヴァニタス」の考え方に基づいた勝手な解釈(妄想)をしていきたい。
なお、解釈の中には、ヴァニタス絵画の中で実際によく見られるモチーフの解釈もあるが、勝手にこじつけているものもあるので、ご注意ください。
でもこの制作陣の熱量からして、絶対作者の人ここまで考えてると思う。
・青空を飛ぶ青い鳥
幸福、希望、自由の象徴?
・ゲーム
作中でもオープニングでも出てくるし結構ちゃんとした意味合いがありそう
でもあんま解釈はできてない
一時の享楽…冒険…人生…
・ランタンと蝶
ランタンや火は、燃え尽きてしまう人生の短さ、儚さの象徴
蝶は「胡蝶の夢」など、人の魂や死と密接に結びつくイメージがある。
この辺りの詳しい研究もありそうで、掘ってみると面白そう
・マッチ、煙、タバコ
ランタンと同様、気がつけば燃え尽きてしまう人生の象徴
・ギター
音楽はかつて、絵画等とは異なり、形に残すことのできない芸術であった。
その性質から、一時的で享楽的なものとみなされ、人生の刹那的側面、後に何も残さない空虚さを象徴するようになったと思われる。
・戦車のライト
地上を忙しなく動き回り争い続ける人間の行いの虚しさと、「光陰矢の如し」というように、あっという間に過ぎ去ってしまう人生?
ここの映像と音のマッチ具合が好き
限りある資源である水を分け合う3人
・水のボトルが砂時計に変化する
水は人間にとって、食べ物よりも重要な生命線である。
砂時計の砂は枯渇する資源であり、減っていく寿命でもあるのだろう。
正直他にもまだまだ掘り下げられる側面があると思うが、自分の知識不足もあり、ここまでにしておきたいと思う。
映像全体に通底する赤と青の対比とか、38秒あたりの黒と白の対比とか、1:26あたりのタイトルロゴの変化とか…
歌詞の最後、
『わたしはねあくまであなたに
会う日まで死なないわ 生きてゆく』
という部分も、いくつもの意味が隠されていそうだし、単純にフレーズとしてとても好きだ。
なにか思い浮かんだ人は、noteでもTwitter(現X)でもコメントして教えてくれると嬉しいです。
いずれにせよ、「空虚、虚しさ、死」を象徴するものを描きながらも、優しく『生きて前に進む』というメッセージが感じられる映像、音楽になっているこのエンディングテーマが、とても好きです。
私は最近、「この複雑で難解な世界の中で、それでもどうにか生きていこう」というメッセージのある作品にハマっている。
というか、勝手にそう読み解いているという自覚がある。
芸術や創作物の鑑賞は、往々にして、鑑賞者の心の鏡になるものだと思う。
そしてこの文章を書いているのも、私の信じるこのメッセージ性を布教するためという側面もある。
私は、真に辛い経験や不幸に直面したわけではないので、そういった経験をした人の心は、全然わかっていないのだと思う。
それでも、残酷で冷たいこの世界に存在する美しさ、善さに目を向けて生きていくことができる人が増えていくことを、祈っています。
作品としての『SAND LAND』及び『ドライブ・マイ・イデア』は、ここに書いたようなことだけには収まらない魅力があるので、気になった方はぜひ鑑賞してみてください。
激推しです。
↑このMVも大分いろいろ深読みしたくなるつくりしてる