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札幌芸術の森野外美術館 『隠された庭への道』を鑑賞して


はじめに

これは、推しが「みんなの自由研究が見たい」と言っていたので書いた、夏休みの自由研究です。(夏休みがあるとは言っていない)

私は小学校の頃から図工や美術の授業が嫌いで、「つくりたいものなんかないしうまくできないし…」と思って不貞腐れていた人間でした。
ここ数年でアートに対する意識が改善されてきたのですが、美術関係の知識や素養は全然ありません。
なので、今回は作品を鑑賞して自分の中で考えたことをてきとーに書いていきます。夏休みの宿題だしね。

...…本当はこれまでやったことのない、「何かをつくってみる」ということもやってみたかったのですが、多忙につき、アイデアを練って実行する時間が取れませんでした(言い訳)。なので、私が唯一そこそこ出力できる、文章を残すことにします。

これを書くにあたって、軽~くインターネットで検索をしてみましたが、同じようなことを書いている人は見当たりませんでした。みんな自分の解釈を語るのは無粋だから己の中に留めているのかもしれませんが、少なくとも、あまり影響されず、自分なりの発想で書いたものです。
論文や書籍までは手を伸ばせていませんが……。そして、美術館による作品解説ガイドも聞けていません。そこで同じようなことが語られているとしたら、少し恥ずかしい......。まあでも夏休みの宿題だしね!(2回目)

ともあれ、同じようなことが既に述べられていたり、逆に全く的外れなことを書いていたりしたら、ぜひ教えてください!


札幌芸術の森について

札幌芸術の森は、北海道札幌市南区にある、幅広い芸術体験ができる施設です。
今回のテーマとする作品のある「札幌芸術の森野外美術館」の他、様々な展覧会が開催される「札幌芸術の森美術館」、色々な創作体験のできる「クラフト工房」、定期的にコンサートが開かれる「野外ステージ」など、多様な楽しみ方ができる、素晴らしい場所です。
札幌中心部からは少し離れていますが、北海道にお立ち寄りいただいた際には、是非ともおすすめしたい場所です。

「札幌芸術の森美術館」では、今回訪れた際には「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」という展覧会が開催されていました。
写真撮影が一か所を除き禁止でしたので、今回メインでは取り上げませんが、妖怪好きの私にとって素晴らしい展覧会でした。

推しのアクスタとパシャリ


ダニ・カラヴァンについて

今回のテーマにしようと思っている『隠された庭への道』(1999)の作者が、イスラエル出身のダニ・カラヴァンです。

詳しくは上記リンクを参照していただきたいのですが、

カラヴァンは太陽の光、木、草、水、風などを作品の中に取り込んでしまう。自身「私の作品は他の場所に移せば死んでしまう。置かれた場所で息づくのだ。作品の中を歩いたり、音を聞いたり、においをかいだり、全身の五感を働かせてほしい」という。

というように、主に周囲の環境と一体になった壮大な彫刻を制作しています。
『隠された庭への道』もその例に漏れず、北海道の自然を歩きながら楽しめる作品となっています。


『隠された庭への道』

私はイスラエル由来の文化にも詳しくなく、作品が完成した1999年までの時代感覚も持ち合わせていません。
例えば、美術館のパンフレットには、作品中の造形物の寸法や数に、イスラエル文化に関する数字が使われているという記載があります。

したがって、これから書く作品の解釈は、現代の、日本の、そして私自身の経験からの感想でしかありません。
作品の真の意図は、作者しかわからないとはいえ、おそらく誤った解釈が多分に含まれるはずです。
それでも、芸術作品に自分なりの解釈をしてみることは、意味があるのではないか、と信じて書いてみることとします。


札幌芸術の森野外美術館「彫刻鑑賞のワンポイント」パンフレットより

『隠された庭への道』は、複数の造形物からなる、複合的な作品となっています。
それぞれの造形物の写真は後から載せる予定ですが、これだけを見て、この作品が何を表現しているかピンとくる人はいるのでしょうか。
私はこの野外美術館に複数回訪れていますが、最初の頃は、「ほ~ん、野外彫刻ってなんかよくわからんけどいい感じだ~」としか思っていませんでした。
すぐに理解っちゃった人は、ぜひ私に美術鑑賞の話を聞かせてください。これまでどんな経験や知識を摂取していればそんな風に考えられるのか、わたし、気になります!


さて、何回もこの作品を歩きながら鑑賞するうちに私が(実際は友人との会話の中で)考えたことは、この作品は、全体として「人体」を模しているということでした。
私は、「隠された庭」が頭側、「門ー1」が足側だと捉えています

この作品は、パンフレット画像の下から歩いていく順路となっています。
なので、ここからは、それぞれの造形物について、下側から順番にふんわり書いていきたいと思います。

なお、人体をモチーフにしていると捉える都合上、一部に軽微な性的表現を含みます。そこまで直接的な表現はありませんし、芸術作品には正直よくあることだと思いますので、予めご了承ください。


門ー1

この作品は、身体の下側から巡っていくことになっています。
ということはこの門は人体のどこに当たるのでしょうか?


・・・・・・そう。「おしり」ですね。
なぜおしりから入っていくのか、この解釈はあまりしっくりくる考えが思い浮かびませんでした。
上でもリンクを貼ったページでは、以下のような記載があります。

1988年にカラヴァンは初めて日本を訪れ、日本文化に深い感銘を受けた。彼は後にこう言っている。「私は鏡をのぞき込んで自分自身の内面を見たような気がした。たぶんその理由は、アジアは私の大陸であり、私の根はいつもこの大地に触れており、そのエネルギーを身体を通して上へと運んでいたからだ。日本で私は聖なるものに触れようと試み、“間”という日本の概念に触れようとした」

「エネルギーを身体を通して上へと運んでいた」という表現は、私たちが作品鑑賞を通して身体の上へと向かっていくことと通じると言えるかもしれません。

しかし私は、カラヴァンが日本文化に感銘を受けていることもあり、「胎内くぐり」に近いのではないかという発想をしました。
私は京都清水寺の胎内めぐり、牛久大仏、鎌倉大仏の胎内拝観を経験したことがありますが、それらの経験と通じるところがあるのではないかと感じました。
つまり、疑似的に身体の中を巡り、いろいろな経験をすることで、これまでの自分とは少し違う自分として、生まれ変わる体験ができるのではないかということです。
身体の入り口といえば、最初に口が思いつくかと思いますが、「胎内くぐり」の場合は、大体腹部に近いところから入っていくことになるのも、近いのかなと思いました。


ここが、一番よくわからん状態になっているところです。
最初に人体か!と思ったときは、ここが「胸」なのかと思いましたが、「庭」が頭側の方がぴったりくるので、迷ってしまいました。

ここで、ダニ・カラヴァンが男性であり、この作品も、男性の身体を再現したのかもしれないと思い至りました。

・・・つまり、「玉」です。
まあだからといって、それ以上の深い解釈ができていません。
人はなぜ山に登るのでしょうか。「そこに山があるから」です。
そんな、人の本能の源泉を示したのかもしれません。


日時計の広場

「玉」ときたら、次は「棒」です。

この作品は日時計、つまり時間を表現しています。
ヒトの発達段階には、様々な側面がありますが、中でも性的発達は、好むと好まざるとにかかわらず、大きな役割を果たしています。思春期は多くの人にとって人生に重大な変化の起きる時期です。
老人は枯れていくといいますが、性に関する部分も例外ではありません。
そういった、人生における時間も表現しているのかもしれません。


七つの泉

手前の四角い噴水部分です。ここもあんまり解釈ができていません。
ここは、「小腸」や「大腸」に当たる部分かと思います。

小腸や大腸は、栄養分や水分を吸収し、人体に取り込みます。
この作品の中を歩く中で体験した様々なことに思いを巡らせる役割を持っている…のか?


円錐

この作品群の中で一番印象的な造形をしており、写真にも多く撮られている場所です。
ここは、「胃」に当たる部分だと思います。

入り口がありますが、この中の空間は何もなく、森の中の音だけが響き渡っています。中で柏手を打つと、反響がとても気持ちいいです。

順路上、ここからさらに上に行き、最後にはまたこの辺りまで戻ってきて、他の作品を巡る順路に合流することになっています。

これまた日本語表現からの発想なので、真の意図とは違う気もしますが、「腑に落ちる」という言葉があるように、様々な体験をこの中で消化し、昇華していく狙いがあるのかなと感じました。


水路

蛇行する水路。「食道」に当たる部分でしょうか。

食べ物も飲み物も、必ずここを通って胃に流れ、全身に回っていきます。
水の流れは、人体に欠かせない生命の象徴。シンプルながらも、重要な位置を占めていそうです。


門ー2

身体の門といえば、やはり「口」。
「入口」というくらいで、こちらがスタートと思いきや、この作品の最終盤に位置します。

ここからの水が「水路」、「円錐」、「七つの泉」につながり、身体を巡る旅をもう一度想起させてくれます。


隠された庭

この作品群のタイトルの半分を占める、最重要な部分と思われる「隠された庭」。

この作品全体の表現について最初に思い至ったのも、この場所に座り、ゆっくり考えているときでした。
ここは何かというと、私たちの「頭の中」でしょう。

この場所に至るには、門ー2から少々細道を上る必要があり、パンフレット見ないで散策していると、見過ごしてしまいそうな場所です。
私たちの行動は全て頭の中から生まれているはずなのに、ここに思いをはせることは、多くないかもしれません。

8個のベンチは、脳内円卓会議を表していると思います。
悪魔な自分、天使な自分、冷静な自分、熱血な自分...…様々な立場の自分たちと、対話をする場所。造り出されたペルソナたち。

そして、その中心に位置する一本の木こそが、真の「我(エゴ)」、会議の司会であり、その他の造形物を差し置いて、この作品群の主役なのではないでしょうか。


おわりに

以上、いろいろ考えたことを書いていたら、思ったより長くなってしまいました。

作品の解釈に一貫性がなかったり、突っ込みどころがあったりするかと思いますが、夏休みの宿題なのでね!(3回目)
本当は、この作品は自分の足で巡ってみることで初めて完成するのだと思いますが、読んでいただいて思ったことなど、突っ込み大歓迎です。

今回の作品は北海道にあり、多くの人にとっては足を運びにくい場所だと思いますが、私が現在気になっている奈良県の室生山上公園芸術の森などは多少は行きやすいのではないでしょうか。ここにもダニ・カラヴァンの作品があり、フォトスポットとしても、いいところだそうです。いつか行ってみたい・・・。

この自由研究を通して、これまで美術鑑賞に興味がなかった人が、少しでも興味を持ってくれたら嬉しいと思います。
実際の正解はどうあれ、作品の鑑賞は自由です。アートの鑑賞は、その人の写し鏡だと思っています。
夏休みももう終わりですが、時間のある時に、一度美術館に行き、世界と自分を見つめなおしてみるのはいかがでしょうか。



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