それが自分のものならば
望まぬ性別でも 望まぬ体でも
それが自分のものならば
自分自身を否定はするな
どうしてか開いた、電子書籍。
たまたま読んだ、鈴木ジュリエッタ著「忍恋」第1巻。
ドキッとした。
ハッとした。
私は前世で、自分自身を全否定した。
異端だと、化け物に取り憑かれているのだと、だから他人と同じように出来ず、親の言うことを素直に聞くことができないのだと、自分自身を恥じた。
恥じることなんて、何もなかったのに。
それが私なのだと、胸を張って言えばよかったのに。
私は異端かもしれないが、その異端を受け入れることができない周りが狭量なだけで、私自身は私として確立して生きているのだと、言えればよかったのに。
だから、今世では自分を否定することは止めよう。
自分自身を恥じることを止めよう。
私は私として、ここで生きているのだと、胸を張って言おう。
私のことを必要だと言ってくれた人がいる。
私の鑑定を喜んでくれた人がいる。
私と話をしていて楽しいと言ってくれる人がいる。
今の私から、私を取り上げることに、一体どんな意味があるのだろう?
そうやって、たくさんの人と関わって、私は私を確立していく。
透明な私に、色が着いていく。
自立心の星を持たず、人脈の星を持つ私は、きっとそうやって私を知っていく。
それは依存ではなく、承認欲求ではなく、自分を責めるでなく、自分を貶めるでもなく、ただただ私はそう在るのだと、そうして他人と関わっていくのだと、決めているだけ。
他人のために生きるのではなく、私のためにそうやって生きていくのだと、私が私を知っていれば良い。
私のドス黒い部分は、私だけが知っていれば良い。
他人に理解されようとする必要も、理解してもらう必要もない。
ただ、私が私であることを、胸を張って生きていく。
自分のものを、否定しない。
とても大切な気付きを得た。
ありがとう。
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