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【コンサートミニレポ#6】東方理紗さんの西村朗《焔の幻影》ほか—武蔵野市国際オルガンコンクール入賞者披露演奏会

リサイタル・パッシオ(2024年4月21日)のゲストは東方理紗さん。昨年の武蔵野市国際オルガンコンクールで第2位。私は入賞者披露演奏会で演奏を聴きました。せっかくなのでミニレポート書いてみました。もう半年以上も前のことなのに、鮮烈に思い出されます。それくらい凄まじい演奏でした。東方さんと第1位のニクラス・ヤーンさんを中心に感想を書いています。
なお、リサイタル・パッシオの聞き逃し配信は4月28日まで。すごくよいのでぜひ!

第9回武蔵野市国際オルガンコンクール入賞者披露演奏会
2023年9月18日(月曜日)
武蔵野市民文化会館 小ホール

第4位 (Fourth Prize)
ダニエル・ミニック(アメリカ/オーストリア)
Daniel MINNICK,USA/Australia
F.メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ第3番  イ長調 Op.65-3
Felix Mendelssohn(1809-1847):Organ Sonata No.3 in A,Op.65-3
J.ブラームス:「11のコラール前奏曲」Op.122より わが心の切なる願い
Johannes Brahms(1833-1897):“11 Choralvorspiele”- Herzlich tut mich verlangen,Op.122-10

第2位、聴衆賞(Second Prize,Audience Award)
東方理紗(日本)
TOHO Risa,Japan
J.S.バッハ:トッカータとフーガ ホ長調 BWV566
Johann Sebastian Bach(1685-1750):Toccata et Fuga in E,BWV 566
S.カルク=エーレルト:コンスタンス湖からの7つのパステルより 星への賛歌、太陽の夕べの祈り
Sigfrid Karg-Elert(1877-1933):Seven Pastels from the lake of Constance – “Hymn to the Stars”“The Sun’s Evensong”,Op.96-7,5
西村朗:オルガンのための前奏曲「焔の幻影」
Akira Nishimura(1953-2023):Prelude “Vision in Flames” for organ

第3位(Third Prize)
濱野芳純(日本)
HAMANO Kasumi,Japan
M.デュリュフレ:組曲 Op.5より シシリエンヌ
Maurice Duruflé(1902-1986):Suite Op.5 – Sicilienne
M.デュプレ:前奏曲とフーガ ト短調 Op.7-3
Marcel Dupré(1886-1971):Prélude et Fugue in G,Op.7-3

第5位(Fifth Prize)
アレクサンダー・リトル(イギリス)
Alexander LITTLE,UK
N.ミューリー:マスタード牧師の就任前奏曲(2013)
Nico Muhly(1981-):The Revd Mustard his Installation Prelude(2013)
J.S.バッハ:フーガ ニ短調 BWV539
Johann Sebastian Bach(1685-1750):Fuga in D,BWV539

第1位(First Prize)
ニクラス・ヤーン(ドイツ)
Niklas JAHN,Germany
Z.サットマリー:火の洗礼(2004)
Zsigmond Száthmary(1939-):Feuertaufe(2004)
L.ヴィエルヌ:オルガン交響曲第6番 Op.59より V.終曲
Louis Vierne(1870-1937):6éme Symphonie,Op.59 – V. Final 
(東方理紗さんによるヴィエルヌの演奏はこちら!)

チケットが売りきれている!

武蔵野市は、私にとって少し思い入れのある街だ。大学4年間(コロナのため本当は3年間)住んだ石神井台の北海寮から大学に行くには吉祥寺を経由する必要があったのだ。最寄りのバス停「関町北4丁目」から西武バスで吉祥寺駅に、そして井の頭線で駒場東大前へ。吉祥寺は何となく札幌の街に似ている気がした。その街のホールにはオルガンがあって(ここまでは札幌と同じだ)、しかもそこではオルガンの国際コンクールが開催されるという。

大学入学してそのコンクールのことを知り楽しみにしていたのだが、かのウイルス蔓延のために2年ほど開催が見送られ、ようやく2023年、6年ぶりに開催されたのである。ところが、ぼーっとしていた私が気づいたときにはすでにコンクールのチケットはほぼ売り切れており、かろうじて入賞者披露演奏会だけが残っていた。予選と決勝はYouTube配信で視聴した。しばらくYouTube上に生き残っていたアーカイヴも気づいたら消えてしまった(著作権契約の問題なのかねえ?こういうのは残した方が絶対にいいのに)。

私はオルガンについて全くの素人であるから、誰がうまいなどと言うつもりはもちろんないが、1位から5位まで納得の順位だった。ニクラス・ヤーンさん、東方理紗さん、濱野芳純さんは様々な点で(演奏だけでなくプログラミングなど見せ方も含めて)抜けている印象があり、なかでもヤーンさんと東方さんの演奏は圧巻だった。この二人の演奏について以下で少し喋りたい。

東方理紗さんのカルク=エーレルト《コンスタンス湖からの7つのパステルより 星への賛歌、太陽の夕べの祈り》

バッハ、カルク=エーレルト、西村朗という欲張りパックで、聴く人を飽きさせない。時代、地域、背景の全く異なる三つの作品を、クリアに弾き分けていながら、しかし同時に「ばらばら感」はない。これは本当にすごいことだと思う。聴衆に感想を聴けばみな、「三つともよかった。強いて言うなら●●かな」と答えるだろう。●●に入るのはおよそ三分の一になるのではないだろうか。私はと言えば、バッハももちろんよかったのだが、カルク=エーレルトの「星への賛歌」と西村朗に鮮烈な印象が残っている。この二曲はリサイタル・パッシオでも演奏されたので、おそらく東方さん自身も好きなレパートリーなのだろう。

カルク=エーレルト(1877-1933)といえば、フルートかオルガンでしか聞かない名前である。ピアノ曲も悪くないのだが、フルートやオルガンと比べてやや劣るところもあって、なにしろ演奏機会が少ない。活躍したのは20世紀前半であり、作風からイメージする年代よりもかなり最近の人であり、じっさいそのためにアメリカやイギリスといった前衛音楽の強くない地域に活路を見いだしたようである。

「星への賛歌」は、ペダルの「シ、ファ、シ、ファ」というマーチの打楽器模倣的な動機から入る。この4音ですでにぞくっとくるものがあるのだが、そこからマニュアルによる旋律がおしゃれな和声へと導いていく。この洒脱さは、プーランクを思わせるところもある。

留学中に、コンスタンスにも実際に行ってきました。私が行ってきたのが11月下旬くらいだったと思うんですけど、たまたまその日のお天気が冬のどんよりとした感じで、空一面がすべて雲みたいなときで、その雲が湖に映って真っ白な風景を眺めました。(…)
実際にこの湖に行ってみて、晴れていれば青空が映ったり、曇っていればどんよりと真っ白な風景になったり、同じ湖でもいろんな風景が見られると思って、今回それを表現するために、静かできれいな音とかかわいらしい音、神秘的な音とかキラキラとした音とか、荘厳な響きとか、たくさんの景色がどんどん移り変わっていくようなとても幻想的な世界観を作りたいと思って音色を作りました。

東方理紗「リサイタル・パッシオ」(2024年4月21日放送)より
(聞き手は金子三勇士)

星を映し出す鏡のような湖面、鏡のような音色。会場で聴いたときには標題のことは考えずに音に惚れたけれど、ラジオで改めて聴いてみると「星への賛歌」という標題がよく理解できる演奏となっている。

東方理紗さんの西村朗《焔の幻影》

1996年、第3回武蔵野市国際オルガンコンクールで課題曲となったのがこの《焔の幻影》。

約27年前に書かれた作品を、時を経て今自分が同じコンクールの舞台で演奏できることがとてもうれしかったです。
(金子:そしてこの《焔の幻影》という作品の魅力はどんなところにあるとお感じですか?)
オルガンの特性を最大限に生かした曲だと思っています。まずはじめにすごく高い音で始まって、それが少しずつ音を増しながら、そしてペダルにも音が現れて、ペダルでは凄く低い音が鳴っています。高い音と低い音が同時になるというのは、オルガンにしかできない表現だと思っています。途中からはアラビアのような、これまでとはがらりと変わって違う焔が現れたような曲想になっています。(…)
ちょうど武蔵野市国際オルガンコンクールの期間中に西村さんが亡くなられたというお知らせを受けました。その直後のコンクールでの本選で追悼の思いを深く込めて演奏しました。

東方理紗「リサイタル・パッシオ」(2024年4月21日放送)より
(聞き手は金子三勇士)

9月7日、突然の訃報があり、同17日に本選、18日に入賞者披露演奏会。西村さんの訃報を知る人の多くは、この演奏を追悼と捉える気持ちが多少なりともあっただろうし、そのような気持ちになってみると《焔の幻影》こそがレクイエムにふさわしいような気もしないでもないのだった。

私は本選の生配信ではじめてこの作品を聴き、この迫力に圧倒された。圧巻は、トーン・クラスターで上昇していく中間部(東方さんがラジオで、「高い音と低い音」の前半と「アラビア」風の後半の話をしているが、それをつなぐ部分)である。この凄まじさは、武蔵野市民文化会館で改めて聴いて、今度は物理的な波動として全身で体験することになった。トーン・クラスターは現代音楽の文脈においてはもちろん、ヘンリー・カウエルがピアノのために発明したものだ。しかし、効果という点において、ピアノよりもオルガンの方がずっと優れていることに気づいたのがおそらくリゲティであり、あの《ヴォルーミナ》において実現させたのである。ところが、その《ヴォルーミナ》以上にオルガンのトーン・クラスターを効果的に使用しているのがこの《焔の幻影》であるようにも思われる。この抑制的でバランスの取れたトーン・クラスターの使用(しかし「抑制的な」「トーン・クラスター」という表現はなんだかパラドクスのようだ)は、かえってその効果を最大限に引き出しているのではないだろうか。

東方さんの演奏について少し裏話をすると、まず本選では《焔の幻影》の演奏中でオルガンに不具合が発生して中断することになった。記憶が定かではないが、トーン・クラスターのところあたりで中断したのではなかったか(こういうときにアーカイヴを残してくれたら助かるのにね)。《ヴォルーミナ》の初演も似たようなエピソードがあるので、もしかしたらオルガンのトーン・クラスターはかなり負荷がかかるのかもしれない(もちろんピアノだって負荷はかかっているのだろうが、オルガンみたいに繊細ではないもの)。コンクールでは異例の(オルガン界ではよくあることなのかしら)弾き直しとなった。

そして、入賞者披露演奏会でも実はある事件が起こっていた。これは会場前方にいた人しか分からなかっただろうが(東方さんも気づいていない、たぶん、というか気づいていなければいい……)、最前列でおじさん同士の喧嘩みたいな何かが起こったのだ。おじさん(というかおじいさん)はなぜかキレて、演奏中に会場を飛び出していった。まあとんでもないことだし、怒るべきなのかもしれないけれど(実際ちょっと集中力が削がれてしまった)、面白いとも思ってしまう。というのも、これがバッハやカルク=エーレルトでやられたら最悪なのだけれど、《焔の幻影》なら喧嘩も似合ってしまうからだ。

この二つのエピソード、中断と喧嘩は、《焔の幻影》のあまりに強力なエネルギーの余剰表出であると考えてみたい。なお、私の近くでずっと居眠りしていたおばさんも、このエネルギーに目を覚まされたようで、前屈みになって真剣に聴き入っていた。

さまざまな意味で、東方さんは均整の取れた演奏家だと思う。バロックから現代曲までそつがなく、繊細さも力強さも兼ね備えている。このような素晴らしいオルガニストが自分の国にいるということは、とても幸せなことだと思う。

ニクラス・ヤーンさんのサットマリー《火の洗礼》、ヴィエルヌ《オルガン交響曲第6番 Op.59より V.終曲》

サットマリー《火の洗礼》。偶然だろうが、《焔》につづいて《火》である。ちょっと似たようなところがありながらも、全然別の曲(当たり前か)。しかしクラスター的なところもあったりと比較してみると面白い。
ヴィエルヌは、このコンクールの締めにふさわしい演奏であった。そして、ニクラス・ヤーンさんのカリスマ性というべきか、パフォーマーとしての素質を存分に発揮するもので、納得の1位と思わせた。様々な側面を見せてくれる東方さんに対して、ニクラス・ヤーンさんは迫力で押してくるタイプのパワー系である。華があって、世界的に活躍するような予感さえさせる演奏家で、こちらも楽しみ。

こんなコンクールがあることの幸せ(とささやかな提案)

武蔵野市国際オルガンコンクールが素晴らしいと思うのは、オルガニストの価値を単にテクニカルな面に収束させてしまうのではなく、「パフォーマー」として必要な、そして「いまを生きる演奏家」として必要な素質を見定めているように感じられたことである。はっきり言って(どの楽器においても)国際コンクールの上位はみな文句なしに上手なのであり、本当に重要なのはひとつには聴衆へのアプローチであり、もう一つは未来へのアプローチである。前者は、観客に向けて演奏するうえで当然のことであるが、本選で完全自由なリサイタル・プログラムを要求するこのコンクールのシステムがうまく機能しているように思われる。後者は、歴史の最先端に生きる者として忘れてはいけないことであり、よく忘れられがちなことである。「その演奏は、未来に何を遺すのですか?」という問いに対して、個別の演奏は常に答えられなければならない、と私は思う。同じ曲ばかりを似たような演奏で繰り返していたって仕方がないのである(主にピアニストに向けて言っている)。そうした意味で、東方さんとニクラス・ヤーンさん(そしてデュリュフレとデュプレを演奏した濱野さんも)はその可能性を大いに感じさせるものであった。

願わくは、次回のオルガンコンクールでは、邦人作曲家にオルガン作品を委嘱してほしい。西村朗で止まっているわけにはいかない。できることなら若く、新しい何かを生み出せる作曲家にオルガン曲を書いてほしい。公募するくらいでも良いと思う。このコンクールに懸かっている日本のオルガン界の未来は決して小さなものではない。しかも、それは演奏家だけでなく、作曲家についての未来をも担うものであるはずだ。

(文責:西垣龍一)


めちゃくちゃ前方だね。このところ、人気のない前方が実はよいのでは?と思いはじめている。


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