日本に、さらなる経済成長は必要か

前回は「欲望の資本主義」という本を読み、「資本主義から破壊的イノベーションは生まれない」というテーマでnoteを書きました。

今回も「欲望の資本主義」を参考に話を広げようと思うのですが、今回はその中でテーマとして挙げられている「日本の経済成長」について書きたいと思います。

失われた20年をどう考えるか

失われた20年は、個人的にマイナスイメージがありました。不況だし、経済成長しろよ!頑張れ政府!頑張れ企業!って思ってました。が、本を読んでちょっと考え方が変わりました。

この本に中でトーマス・セドラチェクはこのように言っています。

「成長はいいことだ」「経済は成長し続けなければならない」という思い込みこそが問題だと思うんです。

ほうほう、その根拠は何だろうと思い、読み進めてみると

経済が成長し続けるものだという前提で、経済活動を行ったり、政策を立案したりするのは、毎日順風が吹くという甘い前提で船を作るようなものです。

うーん、何となくわかるような分からないような...と思っていると、なるほど!という瞬間が来ました

毎日晴れるのが当然で、いつも上機嫌でいなければならないと思い込んでいれば、悪天候に見舞われることもある人生は鬱々としたものになるでしょう。雨の日や風の日もあり、それは必要です。

なるほど、成長は確かに必要だけれど「成長」に執着しすぎていて、成長しない日のことを考えないということに問題意識を感じているようです。

つまり、失われた20年は経済成長はしなかったけれども、悪いことだらけではないという考え方もできるということですね、多分。休むことも大事!

失われた20年時代の政府の政策をどう評価するか

先ほどは失われた20年を振り返って、まあ過去は変えられないし憂鬱になりすぎることもないという軽いノリで済ませてしまいましたが、ここからは政府の施策について、チェドラシェクさんの言葉を引用しながら考えてみたいと思います。

以下では政府の「ゼロ金利政策」や「国債の発行」について触れます。

ゼロ金利政策

どういう政策かは自分もあまり理解していませんが、ゼロ金利政策を行うことで銀行の借金が軽くなり、資金調達しやすくなり、企業にたくさんお金を融資することができます。

ゼロ金利やマイナス金利のように借金を安くすることは、私に言わせれば少しトリッキーで危険です。財政政策と金融政策はドラッグに似たところがあるからです。

お金をばらまくという行為は如何なものかとおっしゃっています。これに関しては同意しますが、一方で政府がお金をばら撒かない限り日本は不況から脱することはできないのではとも感じます。。。

国債を発行する

政府は国債を発行して資金を得て、それを投資するという施策を打ってきました。僕は教科書で習っていた時から「へーこれが政府のやり方なんだー」と普通に受け入れてしまいました。しかし、スティグリッツさんはこのように述べます。

 銀行から100万円借りて、自分は100万円分金持ちになったと思うのは馬鹿者だけです。誰でもわかることですね。しかし、政府が同じことをしたら、つまり、銀行からGDPの3%の借金をして、それを財源に公共投資してGDP1%の成長を達成したら、私の同僚は皆、大喜びでシャンパンを開けます。

なるほど、なるほど、つまりどのくらい借金をして、それがどこにどのくらい使われていて、結果的に借金対効果がどのくらいあったかを冷静に分析するべきだということです。

企業の成長分析には財務諸表を見ることが多いですが、政府においても同様だということですね。そのお金はどこから調達してどこに使用したのか、そしてどのくらいの利益を生んだのかを注視したいと思いました。

これからの日本に成長は必要か

個人的にはこれ以上成長が見込めるのかどうか疑問があります。市場には大量の物が溢れかえっており、「これが欲しい!」という気持ちは減ってきているように思います。世界的にみても総需要は減少し、これ以上供給するのが無意味な分野が出現してきているように感じます。

これは資本主義の終着点に到達したということですよ。もうすべて手に入れた。誰も欲しがらないものを作っても意味がないから、そんなに働かなくていい。

セドラチェクさんも同じような考えでした。需要が減っているから需要を増やそう!はおかしい。需要が減っているなら供給を減らそう、僕たちはもう働かなくていい。っていうイメージですね。

当然この考えでいくと、日本は成長しなくても良いという考えになります。

2001年にノーベル経済学賞を受賞されたスティグリッツさんは経済成長が必要だといいます。

世界中でかなりの割合の人々が、我々の考える標準的な暮らしのレベルに至っていないということです。彼らの生活水準を引き上げるためには、経済成長が必要だと私は考えます。

しかし、注意してよく読むとスティグリッツさんのいう経済成長はもっと製造してものを増やせという意味ではありません。

所得の増加の見込みがない状況下でも、新しいアイデアやイノベーションを生み出し、新たな娯楽や環境保護につなげることは可能です。新しいアイデアで挑むのです。

スティグリッツさんは物質主義的な成長が見込めない状況でも、娯楽や環境保護という意味での経済成長はできると述べています。

現在は工場が排気ガスを出していくら環境汚染をしたとしても、それに対するお金を払う必要がありません。汚染対策、環境保護にはコストがかかるのに環境を汚染するのは自由なんです。(裁判沙汰になれば話は別)

スティグリッツさんは環境の汚染をするのにお金を支払う必要がないことを「隠れた補助金」という言い方をしています。補助金という概念は市場経済とは対極にある概念です。

これからの日本は、こうした隠れた補助金を無くし、公平な状況に持っていくべきだということです。(考察が難しい、反論のしようがない...)

終わりに

ちょっと高度で自分にとっても難しいテーマでした。

物質的な成長はもう必要ないというのは言うまでもないでしょう。でも娯楽・環境保護の面での成長というのがしっくりきませんでした。。。

資本主義は終焉を迎えています。物質的成長が見込めない中、これからどうなっていくのか気になります。

興味深いなって思ったら、「欲望の資本主義」読んでみてください!

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