『第12回500m美術館賞 入選展』@500m美術館

 今年1月25日から始まり、3月26日(水)までの2ヶ月間開催中です。
 わたしは初日に観てきたのですが、年末年始から体調を崩していたこともあり、記事を書くのが遅くなりました(その関係で、しばらくプレッシャーを遠ざけて気楽に書くように心がけます)。

 同賞は札幌市主催・CAI03(有限会社クンスト)が企画運営する、毎年恒例の現代アートコンペティションのひとつ。今回の受賞展では、昨年7月〜9月の応募から入選した4組のアーティストによる作品を展示しています。
 会場の500m美術館は、札幌市営地下鉄大通駅〜バスセンター前駅を結ぶ地下通路に、ガラスのショーケースやペインティングができるスペースを設置。誰でも、通行中に無料でアートを鑑賞することができる空間です。

 自分が好みだった2作品を、以下に紹介します。会期はまだ一ヶ月ありますので、お近くの方はぜひ。

大崎晴地+KanoCo(赤川由加)『眼のドローイング、眼のペインティング』

 大崎さんはリハビリテーションや精神病理学に関わりのある美術作家で、KanoCoさんは2015年に指定難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して以来、絵や詩などの表現を開始。口で筆を持ち、いくつも作品を生み出してきました。
 二人がペアとなって制作した今回の作品は、透明なアクリル板を挟み、KanoCoさんの視線を大崎さんがペンや筆でトレースし、ドローイングやペインティングとして形にしたというものです。
 一見、KanoCoさんが視線入力した指示を大崎さんが筆記用具となって書き写すという、機械の主従関係を思わせます。しかしながら、このプランはもともと大崎さんが画家の母の身体が不自由になったときに思いついたものということ。ケアする側が働きかける意思を持っています。
 そして、作品として仕上げるときは、筆跡の責任を持つのはどちらか片方ではなく二人となるはずです。透明な板一枚を挟んで視線を交わし、絵を描くこと。前後にはディスカッションもあったのでしょうか。KanoCoさんにとっては、(ヘルパーを伴いながら)一人で描きあげるプロセスの中に「他人」が入ることによる、普段の作品との変化。大崎さんにとっては、作家の自我としての描線を作り上げること、その一種の侵入行為への戸惑いもあったかと思います。
 そこに何があったのか、時間に想像を巡らせる作品です。 初日の審査会を経て大賞を受賞しました。

薄いアクリル板一枚を通して向かい合い、互いに何を求めているのか、結構厳しい見つめ合いができるように思います。
色や線のニュアンスはどうやって決めたのだろう? 妥協点が必要にしても、それはどう打ち合わせたのだろう。もし展示されていない作品もあるなら、そこからもなにかが見えるのではないかと感じます。
大半の作品は、KanaCoさん側(筆跡がない、視線入力をした側)が表となって観客に提示されていました。
しかし、数点は大崎さんによる筆跡が観客に提示されています。
共作のほとんどは抽象的なイメージですが、中には具象のものも。
二人で描くという都合上、関係が構築できるまではこうした具体的なイメージって描けなかったのでは? と推察します。
具体的な個人の物語になるものって、なかなか他人に見せながら作れないような気がするので。
絵を描く時、創作をする時は、自分自身が生きていることそのものの時間を味わうことができると思います。


髙橋侑子『出かける日』

 まず理由なく好きな絵です。コラージュ的ですが、あくまで身体を使って見て描いた絵という存在感で、街を主観的に捉えたスナップ写真のような物体。
 絵を見ながら、少し脱線した考え事として、絵画が同時代の街の雰囲気を残す可能性を感じました。プライバシー配慮の影響で、写真のアマチュアたちが自分の目で街を残すことができなくなりつつありますが、絵画ならパーツを再構成することで匿名性を保つことができます。その中で、強く具体的な「匂いのする」街の様子を描くことができるのだろうと考えました。独特なまちなかビルや地下街内の人工自然の感じ、まさしく今の札幌だなと。

2020年代、地下の札幌を感じる一枚


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