「足るを知る」ブラックフライデー
吾唯足知
吾唯足るを知る、という龍安寺石庭の裏庭にある「つくばい」が有名だ。
知足(足るを知る)、という概念は、自分の心の充足は自分が決めるのだという、人生の有りようを示しているようで、昔の人はよく言ったものだなあと思う。
人から言われるのではなく、自らの心から「知足」の気持ちが湧きできるような生き方をしたい。
ブラックフライデーって定着したの…?
先日ブラックフライデーの話題になり、同僚は「サイトのカート内に65点も買いたい商品が入っている」と話していた。これから65点の精査をしてから購入するとのことだが、物欲がすごい。ブラックフライデーは果たして日本の文化として定着したのだろうか?モノを買わせようとする資本主義を体現したようなキャンペーンには気乗りしないが、世間には定着したのかもしれない。プレミアムフライデーくらい定着していない気がするが、そう思うのは私だけだろうか…。
欲しいものは実用的なモノばかり
私自身今何がほしいかと問われると、必要最低限の食料品や消耗品を除くと、優先順位が高いのは子どもたちの学用品だったり衣類だったり、子どもに関わるモノが先に来る。私も自由になるお金がもしたくさんあったら、何かとモノを買うのかもしれない。ただ、衣類も靴もカバンも食器も、現時点で自分にとっては十分な個数や枚数が揃っているのでそれ以上は必要ない。それらが壊れたり割れたりして処分する事になったら、改めて購入する。そうすれば、常にモノの量は一定に保たれるはずだ。何より、そうしないと居住スペースが圧迫されて空間が少なくなる。私はそれが嫌なのだ。
「知足」ではないが、私は今の物量で満足しているし、あの手この手で購買意欲を掻き立ててくるマーケティングには一定の距離を保つようにしている。
ミニマリストではないが…
ちなみに私はミニマリストではない。ミニマリストを語れるほど物が少ないわけでもないし、部屋も常にそこそこ乱れている。
自分のものはそのように管理して定常状態を保つことは可能だが、子どもたちのモノは日々増えていく一方だ。せめて自分のモノだけでもこれ以上増えないようにと思っている。