宇宙人出現。比較から調和の世界へ
この話をしようと思うと、少し遡ってお話しする必要がある。
まずは自己紹介から。
「world」もちろん仮名。
常に自分磨き、自己成長を意識している女の子。(女の子というような年齢でもない)趣味は散歩。
当時も私は相変わらず内観し、自己理解を深めていた。自分の固定観念が自分の世界を創っていることを知っているので、自分がどんな好ましくない「思い込み」をもって生きているかを常々考えていたのだ。
そして春の昼下がり、スーパーへ行く道すがらもやはり考えていた。
「すべてのことはシンプルである」と。それがこの宇宙の大原則。それなのになぜか私はこじらせてはいないか?なぜ思うようにうまくいかないのか?すべてはシンプルなのだから「人生はイージー」だと観念レベルで思えばいいだけなのだ。そう気付いた私は「うまくいかない人生」を手放すことにした。
そしてその時はそう思っただけで何事もなく終了し、スーパーで買い物しウキウキした気分でケーキ屋さんでケーキにも寄り家に帰った。そのときの私は「すべてはエネルギー」であり、「出したものが返ってくる」という宇宙の大原則を改めて意識しており、自分の心地よい気分で過ごすことを心がけていた。
家についてからももちろん考えることは自分の人生や宇宙の仕組みのことばかり。そしてそんなことを考えている中でまたひとつ大切なことに気付いた。
私はずっと相手と「高め合いたい」と思っていた。なぜなら私は成長し続けたかったから。切磋琢磨するような高め合う関係こそが素敵だと思っていた。しかしふと気付いたことは「高めあうではなくて一緒に高まる」ことが正解だ!ということ。この違いが伝わるだろうか?一見すると同じようにも聞こえるが、切磋琢磨し高め合うということは上下があるのだ。どちらかが調子が良くどちらかは調子が悪い。2つの間で比較するのだから自ずと上下が生まれてしまう。しかし「一緒に高まる」場合、上下は存在しない。同じ高さで上昇するからだ。前者の場合、必然的に不足を埋めるための「欠乏」から始まるエネルギーとなる。そのことに気付いた私は「一緒に高まる」という「調和」のエネルギーでいることを決めた。
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