しりとりで私という人間が試されてる(ような気がする)
最近、夫としりとりが楽しい。
しばしば言い争いになるにも関わらず毎晩飽きずに繰り返している。「ワードバスケット」というカードゲームだ。
ひらがななどが書かれたカードが配られ、場にあるカードで始まり自分の手持ちのカードで終わる言葉を、早い者勝ちで思いついたらどんどん出していく。発想力と瞬発力が問われる遊びで、「しりとり」「りんご」「ゴリラ」「ラッパ」とは全然違う。パッケージは正直センスがないけど侮れない。
繰り返すうちに構築された我が家のローカルルールは
・最初の手持ちは5枚、言葉は4文字以上
・人名は氏名セット、○○3世などは家系で一人まで
・小売店の名前はチェーン展開しているところのみ(地元のソバ屋はNG)
・考え付かない時はカードの山から1枚取れる、この場合のみ3文字が1回許される
・最後の一枚でどうしても考えられない場合は捨てて2枚新しく取れる
・ひらがな一字以外のカードで上がるのはダメ
言葉が試される。それ以上に興味と知識と好奇心が試される。もっと言うと、言葉のチョイスによってこれまで生きてきた背景をさらけ出しているような気にさえなってくる。
というのも、思いつく言葉の生息地が全く違うのだ。
たとえばわたしの「レ・ミゼラブル」「アカシア」「ル・クルーゼ」は伝わらなかったし、「パーソナルカラー」や「タピ活」は伝わらないと思う。反対に、夫の繰り出す「庇(ひさし)の間」「エルベの誓い」はまったく知らなかった。小説やマンガ、生活に関わること全般に興味があるわたしと、基本的にフィクションしか読まずスポーツを好む夫。咄嗟に出て来る言葉たちは、大部分が重っていないベン図みたいになっている。
さらに、4文字以上の言葉だけとしたことでわたしはだいぶ苦戦している。3文字しりとりなら勝てるのに、4文字以上となるとまったく浮かんでこない。6文字、7文字以上となると絶望的。夫は頭の回転が早いのか、すいすいと小難しい言葉を紡いで先へ行ってしまう。
同じ家でずっと暮らしているのに、見てるものが全然違っているのはとても面白い。毎回、言葉をきっかけに広がる話がある。そうして飽きもせずに、お互いを常識がないと笑い飛ばしながら、毎晩しりとりを繰り返している。