2020年 京都大学 二次試験 世界史

かっぱの大学入試に挑戦、30本目は京都大学の世界史。時代は原始・古代・中世・近世・近現代。地域は中国・中央アジア・西アジア・インド・ヨーロッパ・アメリカ・現代世界。問題形式としては用語記述2題+論述2題で計4題といういつも通りの構成。では、以下私なりの解答と解説。

第1問 6~7世紀のイラン系民族の活動

解答 ソグディアナと呼ばれる地域のブハラやサマルカンドを中心に、イラン系遊牧民族のソグド人が東西交易に従事していた。ソグド人は突厥や隋・唐といった大帝国において中継貿易を行い、交易ネットワークを構築していった。また、後のウイグル文字のもととなるソグド文字も使用し、突厥内においては外交や軍事面でも寄与した。7世紀に唐の勢力が拡大してくると、ソグド人は唐とも積極的に交流し、ポロ競技などのイラン系の文化を伝えた。唐三彩にはソグド人である胡人をモデルとしたものまで作られ、イラン系の民族で信仰されていたマニ教やゾロアスター教も中国に伝わり、都の長安にはゾロアスター教である祆教やマニ教の寺院も建立されていった。(300字)

解説 設問の要求は6~7世紀の大帝国の時代にユーラシア大陸中央部から東部に及んだイラン系民族の活動と、同時代の中国の文化に与えた影響について説明すること。まず前提として、6~7世紀にユーラシア大陸東部であいついで生まれた「大帝国」とは、隋・唐・突厥のこと。そしてここで問われている「イラン系民族」としてソグド人が特に活躍していたことを想起したい。ソグド人の活動としては、ソグディアナと呼ばれるオアシス地帯を中心とした交易活動や後のウイグル文字の源流ともなるソグド文字の使用が重要だが、字数や「大帝国」との関係を考えると、突厥内では外交や軍事面でも活躍していたことに触れられるといいだろう。唐においても、ソグド人の血を引く安禄山が節度使に登用されたことを想起しても良い。ただ、中国との関係では問われているのは「文化に与えた影響」である。ここでは、ポロ競技などイラン系の風俗の流行、胡人をモデルとした唐三彩の作成、イラン系民族に信仰されてたマニ教やゾロアスター教の伝播、長安における寺院の建立などが挙げられるだろう。


第2問

A ムスリムと非ムスリム

空所補充 解答 a:クライシュ b:ムラービト

解説 aは「ムハンマド」の「出身部族」で判断。bは「モロッコ中心に成立」でムラービト朝かムワッヒド朝に絞れるが、「11世紀後半に西アフリカのサハラ砂漠南縁にあった王国を襲撃」でムラービト朝と判断。

問1.解答 ニハーヴァンドの戦い

解説 「正統カリフ時代」に「イラク」に「都を置いていた王朝」といえばササン朝ペルシアなので、「642年に起きたある戦い」はムスリムとササン朝の戦いであるニハーヴァンドの戦いである。

問2.解答 アズハル=モスク

解説 「ファーティマ朝時代に創設」「現在はスンナ派教学最高学府と目される学院」とくればアズハル学院なので、「学院が併設されているモスク」はアズハル=モスクである。

問3.解答 ガーナ王国

解説 「ニジェール川流域産の黄金」「サハラ縦断交易で栄えた」に加え、空所補充bの解説と合わせれば、ガーナ王国と想定できる。

問4.解答 コーカンド=ハン国

解説 やや難。「ロシアによって保護国化ないし併合されてロシア領トルキスタンを形成することになるウズベク人諸国家」と言えばブハラ=ハン国・ヒヴァ=ハン国・コーカンド=ハン国であるが、このうち最も東なのはコーカンド=ハン国である。地図上の位置関係も把握しておく必要がある問題。

問5.解答 ビン=ラーディン

解説 やや難。「同時多発テロの首謀者」という現代史の問題であり、一般常識のようにも思えるが、受験生からすれば生まれたころの話であり、現在までを「世界史」として把握しているかどうか。

問6.解答 ベルリン条約

解説 「1878年」「セルビアが独立」「オーストリア=ハンガリー帝国やイギリスなどの利害に配慮」から、露土戦争後にビスマルクの仲介で結ばれたベルリン条約を想起したい。

問7.解答 ミッレト

解説 イスラームカタカナ用語シリーズ。「非ムスリムの宗教共同体」はミッレトである。

問8.解答 マンサブダール

解説 やや難。「アクバル以来」「位階に応じて、俸給の額と、維持するべき騎兵・騎馬の数とを定められた」でマンサブダール制を導きたい。「マンサブ」は位階、「ダール」は持つ者を意味する。

問9.解答 グプタ様式

解説 「アジャンター石窟」の「美術様式」で「4世紀から6世紀半ばに北インドを支配した王朝」のもとで完成とくればグプタ朝のころのグプタ様式である。

問10.解答 ジンナー

解説 「全インド=ムスリム連盟の指導者」「パキスタン初代総督」でジンナーと判断したい。

問11.解答 チャンパー

解説 「9世紀」「ベトナム中部を支配」でチャンパーと判断。チャンパーは2世紀末~17世紀まで存続した。

問12.解答 スーフィズム

解説 「羊毛の粗衣をまとった者」で判断もできるかもしれないが、「イスラーム化の進展に寄与」「修行を通じて、神との近接ないし合一の境地に達する」でスーフィーのスーフィズムを想起したい。

問13.解答 ナーナク

解説 「シク教」の創始者といえばナーナクである。

B 中国の海洋進出

問14.解答 広州

解説 「林則徐」が派遣、「アヘン問題の処理」と言えば清代に外国との窓口であった広州である。

問15.解答 天朝田畝制度

解説 「太平天国」「土地政策」で判断したい。

問16.解答 緑営

解説 清における、「漢人による治安維持軍」は緑営である。正規の軍隊の八旗と区別したい。

問17.解答 琉球王国

解説 「定期的に福州に上陸」では判断しづらいかもしれないが、福州が台湾にほど近い海岸の都市であることは把握しておきたい。そこに上陸して「朝貢」していた国となると、地理的なことを考えて琉球王国を導きたい。

問18.解答 モンテスキュー

解説 やや難。「厳復の訳書」の『法意』というタイトルから、「法の精神」を想起したい。これが想起できれば、「18世紀フランスの思想家」のモンテスキューを導けるだろう。

問19.解答 イリ地方

解説 清の「内陸部」で「ロシア」から「1881年に一部を回復」からイリ条約を想起したい。

問20.解答 黒旗軍

解説 「劉永福が率いた軍」で判断。

問21.解答 イギリス

解説 中国分割の基本問題。「威海衛」を租借したのはイギリスである。

問22.解答 キール

解説 「ドイツ革命の発火点」となった港はキール軍港である。

問23.解答 ウラジヴォストーク

解説 「極東」の「ロシア」の「軍港都市」で判断。

問24.解答 カスティリオーネ

解説 「円明園」の「設計に加わったイタリア人宣教師」で判断。

問25.解答 澎湖諸島

解説 「下関条約」で「日本に割譲された領土」は台湾・澎湖諸島・遼東半島である。遼東半島は三国干渉により返還されたので、日本の手に残ったのは台湾と、台湾海峡上の島嶼である澎湖諸島であった。

問26.解答 張作霖

解説 「奉天軍閥の首領」「1927年」で判断したい。軍閥の張作霖は日本の支援を受けて1927年に北京政府を掌握したのである。しかし北伐が進むと、1928年に日本軍による張作霖爆殺事件が起こったのである。

問27.解答 サイゴン

解説 「ベトナム共和国」の首都を問う問題だが、ベトナム戦争が、南ベトナム解放民族戦線と北ベトナムが南ベトナムのサイゴンを占領して終結したことを押さえておきたい。

問28.解答 鄭和

解説 「ソマリア海域」=アフリカ東海岸に「2008年」の「約600年前に進出」で明の永楽帝に仕えた鄭和を想起したい。現在の中国による海洋進出(一帯一路構想)が、中国が歩んできた歴史と重なるところがあることに注目させる問題だとしたらなかなかに面白い。


第3問 核兵器と国際関係

解答 1962年、ソ連の支援によるキューバの核ミサイル基地配備問題から、アメリカとの緊張が高まるキューバ危機が起きた。これをきっかけに、核戦争を避けようと米ソ間の緊張緩和が進み、部分的核実験禁止条約が米・英・ソ間で締結された。その後1968年に核拡散防止条約が締結されたが、フランスは当初加盟せず、中国も核保有するなど、多極化が進んだ。1969年からは米ソ間で戦略兵器制限交渉が始まったが、1979年にソ連がアフガニスタン侵攻を始めると再び緊張が高まった。しかし1980年代後半になると、ソ連ではゴルバチョフが書記長に就任し、1987年に中距離核戦力全廃条約が締結され、冷戦の終結に一歩進んだ。(294字)

解説 設問の要求は1962年から1987年までの国際関係を説明すること。条件として、核兵器の製造・保有・配備、および核兵器をめぐる国際的な合意に言及すること。核兵器をめぐる条約の展開はこないだの福井大学の問題でもあったが、今回問われているのはあくまで「国際関係」がメイン。「1962年」「1987年」というのは核兵器に関わる問題としてエポックメイキングな年代ではあるが、当時の国際関係と合わせて考える必要がある。まず国際関係の大きな展開としては、キューバ危機からの緊張緩和➝冷戦構造の多極化➝ソ連のアフガニスタン侵攻による再度の緊張➝ゴルバチョフ就任後の冷戦終結への歩みといった感じになるだろう。ここに、1963年の部分的核実験禁止条約(核兵器の製造・国際的な合意)、1968年の核拡散防止条約(NPT)(核兵器の保有・国際的な合意)、1969~72年の第1次戦略兵器制限交渉(第1次SALT)(核兵器の製造・配備・国際的な合意)、1972~79年の第2次戦略兵器制限交渉(第2次SALT)(核兵器の製造・配備・国際的な合意)、1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約(核兵器の保有・国際的な合意)を絡めてまとめると良いだろう。


第4問

A 正戦論

空所補充 解答 a:アウグスティヌス b:トマス=アクィナス c:エンリケ(航海)

解説 aは「北アフリカのヒッポ司教」で判断できても良いが、「ローマ帝国」でキリスト教が「国教」となった後でキリスト教と戦争について考えそうな人物を想定しても良い。bは『神学大全』の著者で判断。cは「インドまでの征服権」を与えられた「ポルトガル王」に連なる「王子」から、エンリケ航海王子を想起したい。

問1.解答 ヘレネス

解説 「バルバロイに対置」「古代ギリシア人の自称」といえばヘレネス。

問2.解答 『国家論』

解説 「キケロ」の代表的著作となると『国家論』がまず挙げられるだろう。

問3.解答 コンスタンティヌス帝

解説 「ミラノ勅令」を「発した皇帝」で即判断。

問4.解答 エフェソス

解説 「ネストリウス派」を「異端」とした会議は431年のエフェソス公会議である。

問5.解答 ハプスブルク家

解説 「マクシミリアン1世」だけでは判断しづらかったかもしれないが、「1495年」に「帝国議会」を招集する=神聖ローマ帝国皇帝を輩出しているのはハプスブルク家である。

問6.解答 プラノ=カルピニ

解説 「ローマ教皇」により「モンゴル帝国へ派遣」といえばプラノ=カルピニである。ルイ9世により派遣されたルブルック、元の大都に訪れたモンテ=コルヴィノと区別しよう。

問7.解答 大シスマを終結させ、フスを異端として火刑に処した。

解説 コンスタンツ公会議の結果を問う問題。ポイントは2つで、教会大分裂(大シスマ)を終結させたことと、フスを異端として火刑としたことである。

問8.解答 スペイン人の入植者に、入植地の先住民をキリスト教に改宗させることを条件に、先住民とその土地の支配権を与える制度。

解説 エンコミエンダ制について説明する問題。アメリカ大陸に渡ったスペイン人が、先住民とその土地を支配する制度であるが、ポイントとしてはキリスト教の教化を条件として、スペイン王が入植者に支配権を与えることである。

問9.解答 ピサロ

解説 「1533年」に「インカ皇帝の処刑を命じた」ということはつまりインカ帝国を滅ぼしたコンキスタドールである、ピサロである。

問10.解答 ラス=カサス

解説 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』と言えばエンコミエンダ制に反対したラス=カサスである。

B 情報伝達の歴史

問11.解答 先史時代

解説 「文字によって記録が残されるようになる以前の時代」は、「歴史時代」に先んずる時代、という意味で先史時代と呼ばれている。

問12.解答 ア:キープ イ:ロープの結び目で数を表した。

解説 「インカ帝国で使用された記録・伝達手段」といえば、文字ではなく縄の結び目で数などを表現した、キープと呼ばれる方法であった。

問13.解答 『ギルガメシュ叙事詩』

解説 「『聖書』の創世記にみえる洪水伝説の原型」「叙事詩」から、世界最古の文学作品とも言われるギルガメシュ叙事詩を想起したい。

問14.解答 死者の書

解説 「パピルスに記され」「ミイラとともに埋葬」「当時の人々の霊魂観が窺える」とくれば、死後の審判を想定して作られた「死者の書」である。

問15.解答 ギリシア正教をスラヴ人に布教するために必要であった。

解説 キリル文字が考案された「宗教上」の背景を答える問題。キリル文字はスラヴ人の間で使用された文字であり、後のロシアの文字の源流ともなった。となれば、ビザンツ帝国がギリシア正教を、文字を持たないスラヴ人に布教するためにキリル文字を考案したとつなげたい。

問16.解答 ルターがドイツ語訳した聖書や、ルターの著作が、グーテンベルクの改良した活版印刷術によって広がっていった。

解説 ドイツにおいて宗教改革が民衆の間にも支持を広げた背景として技術発展が関わっていたことについて説明する問題。「情報伝達の歴史」というテーマならほぼ聞かれる問題である。技術としてはグーテンベルクの改良した活版印刷術について触れ、宗教改革が支持を広げた背景としてはルターの翻訳した聖書や、ルターの著作が印刷物として広まり、ルターの考えが広く伝わったことだろう。

問17.解答 キューバ

解説 「19世紀末のアメリカ合衆国」が「開始した戦争」と来れば米西戦争である。その「敗戦国」であるスペインに「独立を認めさせた」島はキューバであり、この後プラット条項で保護国化した。

問18.解答 ディズニー

解説 これを問うか、という問題。「アニメーション映画」『白雪姫』でディズニー映画を想起したい。問われているのは「兄弟の姓」なので、「ディズニー」だけで良い。

問19.解答 ベトナム戦争

解説 「1960年代から1970年代」「国際的な反戦運動」から、ベトナム戦争を導きたい。ベトナム戦争は写真により、北爆などによる民間人の被害の実態が世界的に報道され、大きな問題となった。

問20.解答 湾岸戦争

解説 「1991年」「中東で勃発」で湾岸戦争と判断。「戦争当事国の一方が自然環境を損壊した、と印象付ける映像」とは、おそらく重油にまみれた鳥の写真だろう。当時イラクが油田の油を流出させたとしてこうした映像が報道された。しかし事実とは異なっており、戦争容認世論を作り上げるためのものだったということができよう。

問21.解答 チュニジア エジプト リビア イエメン から2つ

解説 やや難。「アラブの春」という2011年に起こった中東・北アフリカの民主化運動において、「20年以上にわたる長期政権が崩壊した国」という極めて現代的な内容を問う問題。発端となったチュニジア、影響を受けたエジプト・リビア・イエメンのいずれも、20年以上にわたる独裁政権が崩壊した。解答は2つだけで良いので、チュニジアとエジプトくらいは押さえられただろうか。


以上で終わり。ムスリムと非ムスリムからの異文化共生のあり方、現在の中国の海洋進出、正戦論、現在に至るまでの情報伝達の歴史、となかなか現代社会の問題に訴えかけるようなリード文であったが、試験当日の受験生にはそこまで読みこむ余裕は無かったかもしれない。しかし過去問に取り組む今の受験生こそ、こういったリード文から大学が求めている問題意識を受け取って欲しいものである。

次回は京都府立大学の日本史の予定。

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