2020年 九州大学 二次試験 世界史
かっぱの大学入試に挑戦、36本目は九州大学の世界史。時代は古代・中世・近世・近現代。地域はヨーロッパ・東アジア・インドなど。問題形式としては論述+用語記述で3題。史料問題もあるけどあまり読解は必要ない。では、以下私なりの解答と解説。
第1問 西洋文明における政治と宗教
解答 古代ローマ帝国では多神教が信仰されていたが、キリスト教徒の拡大により、帝国統治に利用しようとコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、テオドシウス帝によりキリスト教は国教化することになった。8世紀にはカロリング朝創設のためのピピンの寄進を受けてカトリック教会とフランク王国との結びつきが強まると、カール大帝の戴冠により西ローマ帝国が復活され、キリスト教に基づく西ヨーロッパ世界が成立した。11世紀に教会改革運動が起こると、聖職者の任命をめぐる叙任権闘争が始まり、教皇グレゴリウス7世が皇帝ハインリヒ4世を屈服させるなど、教皇権が伸張していった。しかし十字軍の失敗以降、教皇権は衰退していき、フランス王との対立で教皇のバビロン捕囚や教会大分裂まで引き起こすことになった。こうした中16世紀にはルターによる宗教改革が開始され、ドイツでは領邦教会制が成立し、イギリスではイギリス国教会が成立し、王権による宗教の支配が進んだ。三十年戦争を経て主権国家が成立してくると、自然法思想が生まれていき、宗教ではなく契約に基づく国家という考え方が広まっていった。こうした合理主義思想から啓蒙思想が発達し、その影響を受けたフランス革命においては非キリスト教化のもと理性の崇拝が創始された。19世紀になると国民国家の成立の中で、ドイツではビスマルクによるカトリック教徒抑圧の文化闘争も起こり、政教分離が図られていった。(598字)
解説 設問の要求は古代から19世紀までの西洋文明における政治と宗教との関係についてまとめること。条件として「自然法思想」「カール大帝」「理性の崇拝」「コンスタンティヌス帝」「イギリス国教会」「グレゴリウス7世」「文化闘争」「ルター」「テオドシウス帝」「教会大分裂」「領邦教会制」の語句を用いることと、古代ローマ帝国期から、西ローマ帝国の復興、11世紀の教会改革、王権と教皇との争い、宗教改革期、主権国家の成立と啓蒙思想、フランス革命における非キリスト教化運動を経て、19世紀に至るまでの動向をたどること。「古代から19世紀まで」というわけで、めちゃくちゃ長いスパンの内容をまとめなければならないが、字数からすると条件でほぼ書く内容は固定されるので、あとはそれを整理してまとめればよい。ほぼ作業。ただ、リード文で「西洋では、普遍的な真理を標榜する宗教が、この世の社会や秩序や権力、政治的行為の正当性を保証していた歴史が長く続いた」「宗教と政治権力の合体から、両者の分離、そして信教の自由の原則にみられる宗教の個人化への動きとも説明されるが、他方で、普遍性を標榜する合理主義思想が宗教にとって代わったとする見方もある」とあり、こうした視点も念頭に置いておきたい。まず「古代ローマ帝国期」:多神教から、コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認、テオドシウス帝による国教化の流れを、帝国統治という政治との関係で説明。「西ローマ帝国の復興」:ピピンの寄進からカール大帝の戴冠によるローマ=カトリック教会とフランク王国の接近と、それによる宗教と政治権力の合体した西ヨーロッパ世界の成立について説明。「11世紀の教会改革」:世俗権力の影響を受けた教会において、教皇グレゴリウス7世による教会改革運動から叙任権闘争について説明。「王権と教皇の争い」:教皇グレゴリウス7世による皇帝ハインリヒ4世の屈服というカノッサの屈辱以降の教皇権の伸張、インノケンティウス3世で絶頂だった教皇権が十字軍の失敗以降衰退、フランス王フィリップ4世による教皇ボニファティウス8世の教皇のバビロン捕囚やその後の教会大分裂といった宗教権力の盛衰について説明。「宗教改革期」:ルターによる宗教改革が最終的にアウクスブルクの和議で領邦教会制の成立、イギリスではイギリス国教会の成立、これらは君主による宗教の支配という政治との関係を説明。「主権国家の成立と啓蒙思想」:宗教対立から起きた三十年戦争を経て生まれた主権国家体制と、それを支える自然法思想の誕生が宗教による国家から社会契約による国家へと政治と宗教の関係に変化をもたらしたことを説明。さらにこの中、啓蒙思想という合理主義思想が生まれ、次のフランス革命に影響を与えたことを説明。「フランス革命における非キリスト教化運動」:国民公会による第一共和政が始まると、あらゆる封建制が否定され、非キリスト教化運動の下、グレゴリウス暦が否定されて革命暦が誕生したり、理性の崇拝という宗教が創始されたことについて説明。「19世紀に至るまでの動向」:ナショナリズムの影響下で国民国家が生まれてくる中で、政教分離が図られる。その事例として、ドイツにおけるビスマルクによるカトリック教徒抑圧の文化闘争(近代文化のための闘争)について説明したい。
第2問 『平民新聞』『父が子に語る世界史』
問1.解答(1):日露戦争 (2):血の日曜日事件
解説 (1)は史料中の「露国人」、トルストイの論説という説明、史料が「1904年」のものなので、日露戦争と判断したい。(2)は日露戦争の際に起きたデモへの発砲といえば血の日曜日事件である。
問2.解答(1):『戦争と平和』 (2):大陸封鎖令 (3):アレクサンドル2世
解説 (1)は「ナポレオンのロシア遠征時」を描いた「トルストイ」の小説なので『戦争と平和』である。(2)はナポレオンのロシア遠征の発端が、ロシアの大陸封鎖令違反であったことを想起したい。(3)は「農奴解放令」発布の皇帝といえばアレクサンドル2世である。
問3.解答(1)東遊(ドンズー)運動 (2)ベトナムの宗主国であるフランスが1907年に日本と日仏協約を締結し、日本政府が留学生を国外に追放したため。(53字)
解説 ベトナムが日露戦争の戦勝国である日本に留学生を派遣して新しい学問や技術を学ばせようとした東遊運動は有名だが、その挫折の理由についてはやや難だろう。ベトナムの宗主国がフランスであることを念頭に、日本とフランスの関係を説明したい。当時朝鮮の植民地化を進めていた日本は、フランスと日仏協約を結び、相互の権益を認め合うようになったため、ベトナムからの留学生を国外追放することになったのである。
問4.解答 ガンディー
解説 「南アフリカ」で「インド人移民に対する差別の撤廃運動を展開」で判断。ガンディーがインドで活躍する前の話であり、注意したい。
問5.解答 (1)A:ネルー B:インド国民会議派 (2)ロ・ニ・ホ・チ・ヌ
解説 (1)のAについては「インド独立後に初代首相となる」で判断したい。つまり史料2の『父が子に語る世界史』はネルーから、娘のインディラ=ガンディーに宛てた手紙なのである。Bは問4のガンディーらが指導していた団体なのでインド国民会議派であろう。(2)は平和五原則の内容であるが、丸暗記していなくとも、これが欧米の植民地とされていた第三世界から冷戦時に発表されたものだとわかっていれば、イの基本的人権の尊重・ハの関税障壁の撤廃・ヘの自衛権の尊重・トの軍備縮小・リの秘密外交の廃止はそぐわないと判断することができる。
問6.解答 日露戦争時、大韓帝国として独立を保っていた朝鮮は、戦争後に日韓協約により外交権や内政権を日本に奪われた。日本は1910年に韓国併合を行い、朝鮮総督府を設置して朝鮮は日本の植民地となった。日本は朝鮮に対し武断政治を進めたが、第一次世界大戦後の民族自決の高まりを受けて、朝鮮では三・一独立運動が起こった。(150字)
解説 設問の要求は日露戦争から「1919年の蜂起」までの間に、「朝鮮」の国際的地位はどのように変化し、「1919年の蜂起」はどのようにして勃発したかを説明すること。条件として「大韓帝国」「日韓協約」「韓国併合」「朝鮮総督府」「武断政治」「第一次世界大戦」の語句を用いること。指定語句の順番でおおむねの構成が見えてくる問題。まず「朝鮮」の国際的地位であるが、「大韓帝国」時代の独立国➝「日韓協約」による保護国化・日本による内政干渉➝「韓国併合」による植民地化、といった変化を整理したい。続いて1919年の蜂起であるが、これは三・一独立運動のことであり、その背景として「朝鮮総督府」による「武断政治」、「第一次世界大戦」後の民族自決の高まり、といったことが挙げられる。個人的には、ネルーがインディラ=ガンディーに宛てた手紙の中で、朝鮮の三・一独立運動を取り上げた意義を考えてもおもしろいなぁと思った。
第3問 世界の文化遺産
問1.解答 死者の書
解説 「古代エジプト」「死者」「審判」「副葬品」あたりで判断したい。
問2.解答 カタコンベ
解説 「ローマ帝国」「キリスト教」「迫害」「ひそかに礼拝」「地下墓地」とくればカタコンベである。
問3.解答 広開土王(好太王)
解説 「高句麗」「王の事績」「石碑」「中国吉林省」「倭と朝鮮半島との関わりに関する記述」というと、391年の高句麗と倭国の交戦のことが記された広開土王(好太王)の碑を想起したい。
問4.解答 ハギア=ソフィア聖堂(セント=ソフィア聖堂)
解説 「ユスティニアヌスが建てた教会」「オスマン帝国時代にはモスクとして利用」とくればイスタンブールのハギア=ソフィア聖堂である。つい最近、トルコにおいてハギア=ソフィア聖堂の「モスク化」が決定されたことがニュースになっている。
問5.解答 吐蕃
解説 「ソンツェン=ガンポが7世紀前半に建てた国」で判断。
問6.解答 (1)遼 (2)耶律阿保機
解説 「10世紀初めにモンゴル高原東南部で誕生」したのは契丹による遼であり、その建国者は耶律阿保機である。
問7.解答 アイバク
解説 「奴隷王朝の建国者」で判断。ムガル帝国建国者のバーブルと区別したい。
問8.解答 グラナダ
解説 「レコンキスタ」「1492年に陥落したイスラーム勢力最後の拠点」は、ナスル朝のグラナダである。
問9.解答 テノチティトラン
解説 「アステカ王国の首都」といえばテノチティトランである。アステカ王国ができる前の、メキシコ高原のテオティワカン文明と区別したい。
問10.解答 タージ=マハル
解説 「ムガル皇帝シャー=ジャーハーンによってその妃のために建立された墓廟」とくればタージ=マハルだろう。
問11.解答 アロー戦争
解説 「円明園」が「破壊された」「19世紀後半」の戦争はアロー戦争である。清がイギリス・フランス軍に敗北した。
問12.解答 レニングラード
解説 「サンクト=ペテルブルク」の「ソ連」時代の名称であるが、建国者のレーニンの名を冠し、レニングラードと呼ばれた。サンクトペテルブルク➝ペテログラード➝レニングラード➝サンクトペテルブルクという変遷である。
問13.解答 A:ユネスコ(UNESCO、国連教育科学文化機関) B:ハーグ
解説 Aは「国際連合の専門機関」「教育・科学・文化の国際協力」でユネスコと判断したい。Bは「オランダの都市」で「1907年に万国平和会議が開催された」を最大のヒントとして導きたい。朝鮮の植民地化をめぐり、ハーグ密使事件が起きた都市である。
以上で終わり。第1問の論述は作業になってしまったのが少し残念ですし、第2問も史料は用いられていましたが、そこから思考させるような形にはなっていなかったのでもったいないようにも思いました。一方でハギア=ソフィア聖堂を問う問題で「親イスラーム勢力の伸長によって再びモスクとして用いるべきという議論が起こっている」と説明があったことは現代とつなげた話でしたね。
ということで、北海道大学から始まった国公立大学入試日本史・世界史全部解いて解説するのもこれにて完了です。といっても一部2019年度のものを解いているので、改めて2020年度のものを解きたいところですが、次回は未定です。