ロビー
私の家は、ぎりぎり東京都である。だが、少し寝返りを打てば、北は埼玉県、西は、山梨県。南は、神奈川県である。
丹沢山系に囲まれた、自然豊かな地域だ。
つまり、相当な田舎町である。
だからこそ、狸は出るし、野ネズミなどは、草むらにたくさんいるし。セミやクワガタ、カブトムシは、普通にまとまって飛んでいる。
私は、そんな地域のマンション住まいだが、ロビーは、広く、綺麗である。
もう、8月に入ろうとした頃、既に秋の虫の音が聞こえてきて。ロビーに、まだ小さい、コオロギが飛んでいた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
まだ、G(注1)に比べれば、可愛いものだ。
いやいや。夏場は、よく、ロビーで Gを見かける。奴らは、こそこそ動く。踏みつけて退治したいが、家族に烈火のごとく叱られるので、見す見す逃してしまうのだ。
あのコオロギは、そろそろ、卵を産んでいる頃だろうか。鳴くのは、オスだけだから。コオロギは。
コオロギの生涯は、なかなかシビアだ。
オスは、交尾のあと、産卵を控えたメスに、エサとして食べられてしまう。メスにしても、産卵を終えると、事切れる。
スタエフの配信で番組に出させてもらった、うりもさんは、こんな記事を出していた。
親父は、娘のことが可愛くて仕方がないのだ。だが、年頃の娘には邪険にされ、やがて、娘は旅立っていく。
まあ、息子にしても、巣立つのは、同じなのだが。
高校の時の生物の担任が、よく、言っていた。
オスは、生物学的には、50歳を超えたら用無しになる。家の中で不要物となるので、遺産を残せないオスは、人としての何らかの付加価値を持っていなければ、疎まれて終わりなのだ、と。
まあ、これは、ある意味で昭和的な大黒柱的オヤジ観に対するアンチテーゼで。人は、立場ではなくて人間力を磨かねば生きている意味が無いという、逆説的な比喩なのであるが。額面通りに捉えても、決しておかしくはない。深い示唆であると私は、思っている。
うりもさんの記事に、私なりの言葉でコメントした。
だが、うりもさんはまだ若く。そして、凄く人間力のある人で。うりもさんを嫌いになる人は、恐らくいないだろうというくらいの人間的魅力を生まれながらにして、持っている。
逆に私はというと、その歳を、遠く超えている。付加価値の想像という点では、完全に失敗した。
後は、家族みんなの慈悲にすがるしか無い。
家内が、プロジェクトを終えて、帰宅してきたのだが、私は、出張で九州に来ている。
帰宅する金曜日の夜は、入念にマッサージをしよう。そう、心に決めている。せめてもの、私の、付加価値である。
コオロギのように、最後は、食べられてしまうのかも知れないが。
今宵は、スーパーブルームーンである。もしも、この月を見ることが出来たら、良いことが起きるかも知れない。
私は、いつものように、今宵のスーパーブルームーンに、世界の平和と安寧を、心から、祈る。あいにく福岡は、曇天で。見えぬ月に祈るのだが。
マッサージをすると、家内は、上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて、平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)Gとは、ゴキブリのことである。我が家では、あらゆる昆虫の中で、最も嫌われている。家内、長女、次女は、見るだけで逃げ回り、即刻駆除のミッションを、私に、下すのである。
■追記■
面ゆるって、なに?
それは、これ。西尾さんはじめ、みんな、面白い作品をあげていて。
私は、だいたい土曜日の夜に、そこそこの過去記事をあげています。
もしも、お時間があれば、みんなの作品、読んで頂けたら幸いです。