お面
今年の節分は、静かに過ぎていった。最近、家内の仕事が大変になってきていて。持ち帰りの仕事もあるくらいで。マッサージをしてほしいということも、言わなくなってきている。
節分は、既に過ぎて久しいが、節分の準備はしていたものの、静かに過ぎていった。
帰宅すると、恵方巻きの配給があった。近隣のスーパーの3本セットだったが、私の帰宅までに既に子供たちに、好みのものを取られていて、残り物だった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
残り物には、福がある。
黙ったまま恵方の北北西を向き、祈りつつ食べ切った。鰯も、バリバリ食べた。
ちょっと気分が良くなって、少し休憩をしていると、家内も、私も、ゆっくりし過ぎて夜半になり、子供たちは寝てしまって、いよいよあと数分で日が変わってしまうというときに、家内が、ベランダで、豆を数個、投げた。
鬼は外。福は内。
豆は、ちょっと食べた。食べている間に、日付変更線を超えた。
節分の豆というと、長男のエピソードを思い出す。余った豆を毎日少しずつお弁当に入れられた長男だったが、それは、5月まで続き、それを見つけた友達に指摘されたのだが、長男が、「節分は、本当は、5月末までなんだ」と咄嗟に嘘を言い、友達連中が、「知らなかった」と言って驚いていたという話である。
季節感を感じて生きるというのは、大切なことだと思っている。家内は、意外だが、そういう季節感というか、節目の行事を大切にする。だが、今の、仕事の量にはかなわないようだ。
今年は、鬼のお面を、誰も、つけなかった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
豆は、ゴールデンウィークくらいまでもつと思うよ。
私は、お弁当ではないが、この豆は、食べ尽くすことへの貢献は、求められるであろう。
どうしてこんなにたくさん、豆を買うのだろうか。私には、解せない。
家内に提案しよう。来年は、節分の日に食べ切れるくらいの豆を買うことにしようと。我が家の節分は、特別に5月末までではないのだから。