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家事という家事を1人でこなし始めてから、しばらくが経つ。長女と次女が手を貸してくれるとは言っても、帰りも遅く不規則で、毎日の習慣のようには、いかなかったりする。

それは、子供たちには子供たちの付き合いや都合があり。若い頃は、致し方のないことと私は、割り切ることにしている。

そうなると最後に残されるのは、私で。私が殿しんがり。最後のとりでである。


家事とはいっても、色々なことがある。まずは、洗濯から手をつけたが、同時に、洗い物にも手をつけた。それぞれ、毎日、処理すべき量があまりにも多い。1日サボろうものならば、翌日が大変で。とどこおると、途端とたんに支障が出る。

ただ、洗濯も、洗い物も、家内の仕事が激烈に忙しくなるまでは、私にとっては不慣れな領域のものであった、つまり家内任せにしていたことは事実で。それは、家庭を同じくして生活を共にするものとして、かなり反省せねばならないところだと、必要に迫られて初めて気付いたわけである。


心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

人とは、勝手なものだな。

コジも、人だな。


洗い物には、二つの手法がある。1つは、手洗い。そしてもう一つは、食器乾燥機。

長女や次女とやっていた頃は、長女の流儀でやっていた。つまり、手洗いである。

これは、問題ない。その作業自体には、今までの経験値より深い決まり事や規則は、そうそう、無いのである。綺麗に洗えたかどうかは、手で触り、確かめることが出来る。

そう思って、気を抜いていたわけではないのだが、やってしまった。

つい手がすべり、お皿を割ってしまったのである。

ぞうさん、今まで、ありがとうございます


幸いにして、誰かのお気に入りとか、特段に思い入れのあるものではなかったので、丁重に廃棄をすることにした。そして、写真と詫び文をLINEに入れると、家内から、間髪入れずに、コメントが入った。

ピンクの袋には入れているが、まだ広告に包んでいなかった



心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

指摘してもらわねば、忘れていたね。


何事も、実際に自分で経験していかねば、思いつかないし、忘れてしまうものでは、ある。

さすがに、このままだと回収者が怪我するかも知れないと思っていたので、このまんまとは、しなかったが、やはり、すぐに思いつくところが、経験者は違う。家内には敵わないのである。

広告に包みました


家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所のそばのホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。

マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。



心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。


さっちゃん(注1)がいなくなって、コジも、少しは、考えて行動するようには、なったのじゃない?




やりとりからすると、さっちゃん(注1)は、元気なようである。


だから。


これで、いいのだ。




(注1)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキとの関係で、そもそもの飼い主が長男であることから、私は、おじいちゃんだが、家内に対して「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。



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