天国
私は、なぜか、3年保育で、保育園に通っていた。当初、保育園が慣れず、泣いてばかりいた記憶がある。
そんな頃、家族で妙高高原に旅行に行った。当時は、妙高高原だとかいう土地の名前も知らず、ただ単に、旅行に行ったことしか、覚えていない。
だが、その時、天国を見たのだ。
それは、雨模様の、雲と霧に隠れた、山だった。私の、天国の印象は、当時、そういうところだったのだろう。そのとき見たシーンを、心の片隅に、置いていた。
もちろん、歳を重ねるごとに、成長するごとに、それが天国ではなく、単なる、雲と霧のかかった山であることは、自然に理解するようにはなっていた。が、それが天国なのだと、その当時の自分が、本気で思っていたことも、覚えていたのである。
大学生になり、父と、大人として対峙するようになってから、あるものを見せられた。
それは、村誌に寄稿した、父の文章であった。
父は、本ばかり読んでいるだけあって、文章を書くことを厭わなかった。上手か下手かは別として。
当時の私は、それほど深くは反応しなかったと思う。何を話したかも、全く、覚えてはいない。だが、その文章を読み、少し父と話したことだけは、記憶に残っている。
実は、このゴールデンウィーク。どうしても関西に移動しなければならない所要があり、車で、家内と2人、密かに移動をした。
本当は、父も母もいなくなった実家の整理を、兄と共に、やることになっていたのだ。だが、それは、このご時世、かなわなかった。義母のところにも、立ち寄ることはできなかった。
だが、せめて、一瞬だけ実家に立ち寄り、捨てる前にあの村誌を見てみたいと思ったのだが、雑然とした、物だらけの家の中で探し出すのは、時間も無いし困難だろうと、半ば、諦めていた。
実家に滞在するのは、他の所要もあり、ご近所の手前もあり、あらかじめ、15分と決めていた。
実家に入り、ひとり、ありそうなところを順番に見ていく。
やはり、無い。
心当たりを探し回ったが、見つからなかった。
もう、時間だ。諦めて家を出ようと電源主幹のスイッチに手をかけた時、心の中の、リトルkojuroが、呟いた。
あと1分だけ、寝室を、見てみよう。
そこで無ければ、諦めて帰ろう。
可能性が、ゼロでなければ、やるべきだろう。
今という時は、今しか無いのだから。
私は、父の寝室に足を踏み入れた。
そこには、ベランダの倉庫を、大規模改修を機に解体廃棄をした時の、内容物が雑然と床に置かれて並んでいた。
その中に、「妙高」と書かれた古びた、埃だらけの箱が、置かれてあった。
ひょっとして……。
そう思い、開けてみると、村誌が、一番上に乗せてあった。
父の字で、ページ数が赤ペンで書かれている。
そのページを開いてみると、懐かしい文章のタイトルが、見つかった。
これだ。
その時、心の中の、リトルkojuroが、静かに呟いた。
コジ、もう、15分ちょうど。
時間だ。
主幹を切って、出よう。
私は、車で待っている家内のもとへと帰り、助手席に(注1)座った。
間もなく、小志朗(注2)は、ゆっくりと発車した。
家内は、私に聞いてきた。
あったの?
あったよ。
へえ、凄いじゃない。
奇跡じゃない?
まあね。
雨模様の外の景色を横目に、寄稿文は、ほどなく読み終わった。
記憶とは、実に、頼りにならないものである。父の文章の印象は、少し、私の記憶とは、違っていた。だが、その文章は、間違いなく、父の匂いがした。
降る雨も手伝い、少し、センチメンタルな気持ちになった。
父も、母も、もう、いない。
ただ、不確かな記憶が、胸に残るだけである。
また、いつか、天国で会おう。
今はまだ、そっちに行くつもりは、ないけれど。
そう、静かに雨空を見つつ、ひとり、助手席で、呟いた。
(注1)家内は私が運転すると酔うらしく、99%、家内がハンドルを握っている。
(注2)我が家の車には、小志朗=こじろう、という名前がついている。