ランドセル
ながた師範から、宿題をもらったのだ。それもかなり前のことになる。
ようやく重い腰を上げて、この宿題に取り組もう。
私は、幼い頃から、悪ガキだった。そして、ランドセルについては、いくつかの思い出がある。
その中でも、思い出深いのは、ランドセルを忘れて登校し、担任のH先生に、家に戻って持ってくるようにと言われたことであろう。
そのランドセルについて、ながた師範は、きちんと考察されている。
その真面目な記事の中で、こんなことを言ってしまったから、ダメだったのだ。
ながた師範から、コメントが返ってきた。
私は、悪ガキだったので、ランドセルは、時には、盾となり。そして時には、武器となり、遊びやちょっとしなケンカの道具だった。
普通、ランドセルは、6年間使う。だが、私のは、もう、ボロボロで。4年生には、もう、使わなくなっていた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
使えなくなっていたが、正確な表現なんだろうね。
うむ。
母が、いつも、嘆いていた。どうしたら、ランドセルをこんなに傷だらけにできるのか、と。
兄は、おとなしく優秀な人で。父も母も、そして兄も、コジは、きっと、病院で取り違えられたんだと言っていた。
私の、悪ガキの象徴が、ランドセルだった。
上の記事のカバー画像は、長男のランドセルだが、私の子供だった当時は、こういう、洒落たサービスは無かったので、いまや、何の記録も残っていない。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジの記憶に、ランドセルが残っていたら、それで、良いんじゃない?
いまや、ようやく、ものを大切にするようになった。時には、命名までする。そういう気持ちになったのは、あの、可哀想なランドセルが、私に、そうさせているのかも知れない。
モノは、大切にしたいと思う。せめて、これからの人生においては。
家内は、プロジェクトが一段落して、通常勤務に戻り、普通に通勤し、帰宅している。
また、夏から、新たなプロジェクトが発動するようで、秋には、また、ホテルに泊まり込みになるようである。
今の期間は、束の間の、休息のようなものである。
家内は、今、残務整理を持ち帰り仕事で、していて。今のところ、マッサージの要望は、出て来ていない。
そろそろ、自主トレ(注1)を申し出る時期なのかも知れない。
マッサージをすると、家内は、上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は、平和で明るくなる。
だから。
これでいいのだ。
(注1)私は、家内のマッサージを、よくする。家内に促されずに、自らの申し出で家内のマッサージをすることを、自主トレと、勝手に呼んでいる。