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「ボクはパラサイト」

 昨年8月に「アットホーム」という小説で作家デビューしました。
 現在Twitter上で真夜中に呟いている
 新作「ボクはパラサイト」の草稿をアーカイブスとして掲載します。
 これはツイッターのあるフォロワーさんが呟いた話をヒントに考えました。
 今後長く継続するか、とん挫するかは分かりませんが
 将来の書籍化を目指して(ムリしないで)頑張ります。

        ※

何をやっても上手くいかない。
そんなことは分かってる。
僕は頭が悪いんだから。
頭が悪くても儲かる仕事はないかな?
悪い頭で考えたっていいアイデアが浮かぶ訳ない。

『バカとブスこそ東大へ行け!』
やっぱり僕みたいな人間は東大に入った方がよかったのかな、なんて考える。
勉強やる気なんかなかったくせに。
でも勉強してたら何でも上手くいったのかな?
よく考えたら勉強しなかったから成績が悪かったんだな。

今時好きな映画や音楽はネットやスマホで簡単に手に入る。
でも僕はパソコンもスマホも使いこなせないから、
オンラインじゃなくリアル店舗を利用するしかない。

だからといって映画鑑賞も趣味じゃないし、
好きなミュージシャンもいないから、
毎日の生活もそれ程苦痛じゃない。
それで勉強しないのかも。

日曜日。何もすることがない。
ひまだから近所にあるレンタルビデオ店に行った。
と言っても並んでいるのは全てDVDかブルー・レイ。
昔のビデオテープはもうほとんど置いてないのに
なぜ『ビデオ店』なのかよく分からない。

分からなくても僕の生活に何の問題も起きないから
これ以上は考えないことにする。
特に何かを探していた訳でもない。
時間つぶしに映画のタイトルを端から順番にただ眺めていた。
その中で気になるタイトルを見つけた。

『JM』
 脳に埋め込んだ記憶装置に機密情報を記録する運び屋の話。
パッケージの解説を読んで記憶がはっきりと蘇った。
でもいつ観たのか覚えていなかった。
キアヌ・リーブスと北野武の共演。
二人とも世界的知名度が上がる前の作品だ。

「あれ?懐かしいモノ借りてきたね」
リビングのテレビに映るシーンを観て母が言った。
「これさあ、僕観たコトあるのかな?」
「あんたが三歳の時観せた映画だよ」
三歳?二十年以上も前だ。
僕は意外に記憶力がいいのか・・・。

(!)
 思い出した!
 何月何日かは覚えていないけど、あの日は朝から雨で映画館に出かける時、僕が車の前で思い切り滑って服をビショビショに濡らして怒られたんだ。
「ねえ、これを観に行った日って雨が降ってなかった?」
「そうそう、あの日は朝から雨で、あんたが出かける前に道路で・・・」
「思い切り滑って怒られたんでしょ?」
「それで観ようと思ってた回に間に合わなくて私がキレたの。あんた頭悪いのによく覚えてたわね」
 母は目を丸くして驚いた。 

ボクは先生の話がよく理解できず、大半は授業に付いて行けなかった。
耳から聞かされる簡単な計算問題も苦手だった。
黒板に書かれたものをノートに書き写し、それを後で見返しても何が何だか分からない。

「お前、顔だけなら余裕でジャニーズ入れたのにな」
いつも友達にそうからかわれた。
背もそこそこ高いし、案外イケメン。でもスポーツは頭と同様全くダメ。
というかやる気がなかった。
疲れることはやりたくなかった。
だから興味が湧かなかった。

でも最近ない頭で考える。
身体は動かさないとドンドン衰える。力が入らなくなる。
それでは長生きできない。
長く生きることに意味があるかは別としても、明日死ぬよりは十年後に死ぬ方が人生を楽しむ時間は遥かに多い。
だから適度な運動は大切だ。

ところで『適度』ってどのくらいだ?
そこで再び思考が止まる。
難しいことは僕には分からないから、
とりあえず今やりたいことを飽きるまでやってみようと思った。
何にするかとまたまた考えた時、父親がテレビ観戦をしていた野球を思い出した。

とりあえず野球をしようと思った。
でも父とキャッチボールをしたことがなかった。
幼少期、父は何度も誘ったけど僕は一度もやらなかった。
友だちにも放課後草野球に誘われた。
でも一度も行かなかった。
ことごとく拒否った理由が全然思い出せない。

そこでまた思考停止。
そんなことはどうでもいい。
考え直して思考再開。
故にキャッチボールが分からない。
とりあえず父の隣りで漠然と観たプロ野球のピッチャーを思い出そうとした。
(!)
直後僕は驚いた。
二十年前に観た映像が鮮やかに脳裏に蘇った。

顔までハッキリ見えた。でも名前が分からない。
白いユニフォームに襟と袖にはオレンジと黒のライン。
背番号は十九。その上に刻まれたアルファベットを読んでそのピッチャーがUEHARAという人物だと分かった。

彼は軽く投げているように見えるけど、
ボールがあっという間にキャッチャーミットに届いた。
球筋に糸が見えたから凄く速い気がした。
頭が悪いから理屈は分からない。
でも投げ方は真似できそうだ。

ボールを持った右手をグローブに納め、そのまま顔の前に引き上げ腰を右にひねる。
同時に上げた左足を上半身に素早く引き寄せ全体重を右足に乗せた。
右腕が滑らかに背中を回わると同時に上半身は前方にすぐ様移動。
その身体を支えるように素早く下ろして踏み込んだ左足が力強くマウンドの土を噛んだ瞬間、反動でバッティングセンターのピッチングマシンのようなキレで右腕を顔の真横に通過させ、頭上前方でボールを地面に叩きつけるように指先から離した。

目の裏で映像を再生しながら
ゆっくり身体を動かした。 
何とかできそうだ。

日曜日朝、グローブを持っていた気がして父をキャッチボールに誘ってみた。
「何だよ今頃になって?」
ご飯を食べながら新聞を見ていた父は凄く驚いていたけどなぜだか嬉しそう。
物置から出してきた二つのグローブはホコリ塗れ。
色もボケていた。
父が何度も叩いているうちに鮮やかな黄色が浮かび上がる。
「最近買ったの?」
「いやお前が生まれてかすぐに買ってそのまま使わずしまってあったんだ」
頭が悪いから間抜けな質問をした。
ホコリを被ってたんだからその時点で歴史があるのは分かるはず。

「お前が物心付いたらキャッチボールをするのが夢だったんだが、
なぜか頑なに嫌がられた。それでグローブはお蔵入りだ」
 父は左手に嵌めたグローブを見つめ、手の平の中で拳をパンパンと二度叩いた。
 受け取ったグローブは硬く、指を入れても自由に動かせない。
「ほらボール」
 てこずっている間に父が二メートルくらい離れて下手で軟式のボールを投げた。慌ててグローブを差し出したけど、上に向けたグローブの中に納められず、足元にボールは落ちた。
「こんな近くで取れないのに、キャッチボールなんてできるのか?」
 心配そうな言葉を掛ける父の表情は、またしてもなぜか楽しそうだった。
「投げる方はなんとかなるかも」
「そうなのか?一度もやったことないのに?」
「たぶん・・・」 
 父は更に十メートルくらい離れ、とりあえず軽く投げてみろとグローブの中で右手拳を二度叩き、胸の前で構えた。
 UEHARAの投げ方でゆっくり動いてみようと思い、目を閉じ映像を再生した。

 ボールを持った右手グローブに納め、そのまま顔の前に引き上げ腰を右にひねる。同時に上げた左足を上半身に素早く引き寄せ全体重を右足に乗せる・・・。
「おっ、上原浩治か!?」
 野球好きの父はすぐに気付いた。
 ボールを持つ右手が滑らかに背中を回わると同時に上半身を前方にすぐ様移動。傾く身体を支えるように素早く下ろして踏み込んだ左足が地面についた瞬間、ピッチングマシンのようなキレで右腕がしなり顔の真横を通過。
 頭上前方で地面に叩きつけるように指先のボールを離した。

(!)

 直後ボールがグローブを激しく叩く乾いた音が響き、ドスンと何かが倒れる振動を感じ目を開けた。
「なんだこりゃ?」
 そう叫びながら父が尻もちをついていた。
「どうしたの?」
「お前の球が速すぎて、その勢いで吹っ飛ばされた!」

 えええっ!

「凄いなお前!いつ上原のフォームで練習したんだ。まるで瓜二つだった。
オマケにスピードまで現役時代の本人並みだ」 

 えええっ!

 ゆっくり投げただけなのに・・・。

 その後何度も繰り返したけど、結果は同じ。
 更に離れて受けていた父はその度に球の勢いでひっくり返っていた。
父が嬉しそうに褒めるので何度も何度も投げ込んだ。
 その内受けるのにも慣れてグローブに収まるボールの音が心地よく胸に響いた。

 翌朝。頭は起きているのに、何かに上から押さえつけられているように身体が全然動かなかった。
これがあの金縛りなのかと恐怖心を抱いた。振り解く方法を知らないから強引に手足を動かしてみる。思うように力が入らず、逆に強烈な痛みを感じた。
 それは筋肉痛みたいだ。中学の体育の授業でうさぎ跳びをした翌日に太股が凄く痛かったのを覚えている。
 間違いない。そしてない頭で考えるまでもなく、原因はキャッチボール。
 運動なんて何もしてないからこの状況は当たり前。
 でも痛みが酷すぎる。

 これはない頭で考えた。
 筋肉を鍛えもせず、プロ並みのスピードボールを投げたんだから、僕のフニャフニャ筋肉へのダメージは想像を絶したんだろう。
 でもなぜ僕があんな球を投げられたのか?
 考え始めたら、すぐに思考が停止した。
 
(!)

 すぐに回路が繋がった。でも繋がったのは違う方向。
 父は僕のフォームが上原浩治にソックリだと言った。
つまり頭の中の動画を真似たら僕の身体がその通りに動いた。
 僕は頭の中の動画を完コピできる・・・。


 完コピができたから結果も同じにできたけど、鍛えてないから長続きはしない。ならば身体を鍛えれば本人並みの持続力で再現が可能というコトになる。
 どうしてそんなコトがきるのか?
 思考が停止するからそれは後回しにする。
 とはいえ、キャッチボールは楽しかった。短時間だったけどこんなにテンションが上がった経験は生まれて初めて。どうやら僕の身体は脳に記憶された映像を忠実に再現できるようだ。
 でもどうして再現できる?ヤバい思考がまた停止する。
 原因究明は後回しだ。

 そんなコトよりこれからはやりたいコトをどんどん記憶したい。
 でもどうして二十年前の記憶が・・・
 あれ?あれ?僕の頭の中に『どうして』がどんどん湧いてくる。

『どうして』が湧いてくるのはどうしてだ?

 今までほとんど頭を使ったことがないから、脳に何かのスイッチが入ったみたいだ。
 急に頭を使いすぎると血管が切れて死ぬのではと怖くなり、全ての思考を強制的に停止して、その日はすぐに寝た。

「突然頭の中で『どうして?』が増えたんだ」
 そう話すとお前何言ってんだ?と友だちにすぐ様突っ込まれた。
「そう言えばお前、学生の頃ほとんど頭使わなかっただろ?そういう奴は歳をとってから脳みそに空き容量が一杯あるから色んなコトが頭に入るってテレビで誰かが言ってた気がするな・・・」
「人間の頭ってパソコンみたいだね」  
「バカだなお前、今のパソコンの大元のコンピュータが発明されたのは二十世紀中頃で、人間は現代人と同じグループの新人類が現れたのが二十万年前って言われてるんだ。言ってるコトが逆。脳みその方が先。パソコンは人間が考えたからメカニズムは脳に似てる。スーパーコンピュータのようにとてつもない高性能のモノもあるけど、人間の脳に及ばない部分がまだまだたくさんあるんだ。それを言うなら『パソコンは人間の脳みたいだね』と言う
ほうが正しい」

 知識がないから言い返せなかった。
「そんな話はともかく、好奇心旺盛な幼児みたいに知りたがる意欲が出てきたのはいいコトなんじゃないか」
「そうかな?」
「そうだよ」
「この前から、やりたいコトを急にたくさん覚えたいって思い始めたんだ」
「へえそうなんだ。だったら今までほとんど使ってないんだから、ちょっとやそったじゃお前の頭はパンクしないよ。だから色んなコト、どんどん試してみたらいいんじゃないか」
「そうか・・・。それでさあ、この前、長生きするには体力付けなきゃって、運動しよう思ったんだけど、何したらいいか分からなくてない頭で考えてたら、昔親父の隣りでプロ野球中継観てたのを急に思い出してキャッチボールしたいなって思ったんだ」

僕は驚愕の出来事を詳しく話した。
「頭の中に上原浩治のはっきり残ってたんだな。もしかしたらお前、すごい能力の持ち主かもしれないぞ」
「すごい能力って?」僕が何かを持ってるの!?
「それはきっとカメラ・アイだ」

 カメラ・アイ!?

「僕の目がすごいの?」
「目だけじゃない、脳なんだ。一瞬見ただけの映像を脳内に焼き付けることができる。簡単に言えばデジタルカメラのSDカードが脳の中に埋め込まれていて、保存されてるからいつでも呼び出せる、みたいな感じだ」
「呼び出せる?」
「いつでも思い出せるってコト。しかもそのSDカードの容量は果てしなく大きい」
「やっぱりパソコンみたいだね」
「それにその能力は、お前が思い出したっていう、動画だけじゃない。
文章なんかも一瞬で記録しちゃうんだ」
「それに気付いてたらもっと勉強できたのかな?」
「お前がやる気がなくて、思い出す気にならなかったからかもな。でも上原浩治を思い出したように、何にでもやる気が出てきたら昔の学校の授業、思い出すかもな」
 何だか楽しくなってきた。

「でも、この能力の持ち主ってサヴァン症候群の人が多いって聞いたんだけどなあ」
 サヴァン症候群?
「自閉症とか知的障害がある人で、その障害とは対照的に、ある一つの能力が他人よりずば抜けて優れていることをそう呼ぶ。その能力の一つがカメラ・アイなんだ」
 僕って知的障害児だったのかな?
「そう言えばお前、学生の頃先生の話しがよく分からないって言ってたよな」
「うん」
「それって耳からの情報、すなわち聞いたコトが理解できない、聴覚的短期記憶能力が低いってことなんだ」

 チョウカクテキタンキキオクノウリョク?

ダメだ。ぜんぜん理解できない・・・。
「だから?」
「実は典型的なサヴァン症候群だったってことだ。でもお前みたいに普通の人と変わらない生活をしてる人間は珍しいんじゃないかな」 
 てことは・・・?

「普段は少し頭が足りないところ以外、まともなんだから、本当にカメラアイなら絶対使わない手はないぞ。やりたいコトにどんどん挑戦あるのみだ。お前の人生も一気に変わるぞ!」
 そうか・・・変わるのか!
 で、何をすればいい・・・?

 何でもできると思ったけど、僕にはその『何でも』が何もなかった。
冷静に頭の中を捜索すると、片隅に野球のフォルダを発見。先日父とキャッチボールをしようと思った時に自動的に作成されたようだ。
 選ぶモノがないのなら先ずは野球からだ。

 野球の基本を友だちに訊ねるとそれはキャッチボールだと返された。
僕の頭の唯一のフォルダには上原浩治の動画のみ。それが手本では剛球すぎて相手はいつでも命懸けになる。
 だからキャッチボールの動画を見ることから始めようと思った。

 僕の脳が理論立てて答えを導いた。今までにない経験で、頭の中に澄み切った青い空が広がった。
 その後はやりたいコトがどんどん浮かんだ。
 キャッチボールの次はバッティング、守備の練習、そして全部出来るようになったら・・・

 どこかの草野球チームに入れてもらおう。 
 少し時間がかかってもいい。
 これだけテンションが上がるのは生まれて初めてだ。じっくりやろう。
 
 そんな気持ちとは裏腹に、ボクの周りは慌ただしく変わっていった。

 ネットで無料動画を検索して、最初に現れたのは元プロ野球選手が解説する「正しいキャッチボール」。
 具体的な行動に入る前の身体の構えからグローブの位置、ボールの握り方、足の上げ方、投げ方へと流れるように映像は進む。

 最後は相手から投げられたボールを受ける方法でその一連の動きを終えた。途中、停滞せずに丁寧な説明を挟んでいたけど、『聴覚的短期記憶能力』が低い僕はその言葉を無視してただ映像を凝視した。
 何度も動画を再生して強く記憶に留めようと考えていた。

 だって僕の頭はたった一度で動画を記憶してしまったから。
(これがカメラ・アイか!)
 目を閉じるとすぐに脳内スクリーンにその映像は再生された。
 次の日早速父をまたキャッチボールに誘った。
「また上原浩治じゃ、オレ死ぬぞ」

 グローブを手渡すと父はそう呟いた。言葉は怖がっているようだけど、表情はいつものように嬉しそうだった。
「大丈夫、今度はちゃんとキャッチボールできると思う」
 僕の声を背中で聞いて父は始めから前よりも距離をとった。
「さあいいぞ!」

父の握り拳がグローブの中でパンと一度軽やかな音を立てた。
 目を閉じ、頭の中で動画を再生する。
 その画をなぞるように僕は身体を動かした。
 身体の構えからグローブの位置、ボールの握り方、足の上げ方、投げ方へと流れるように映像は進む。

 投げたボールは胸に構えた父のグローブの中に乾いた音を立てて納まった。

「おっ、キャッチボールっぽくなってきたな」
 
 父は言葉を添えて素早く投げ返した。

 相手から投げられたボールを受ける方法を映しながら、僕はそれをグローブに難なく納めた。ボールは何十回も二人の間を往復した。その間、父も僕も無言だったのに、何も話さなくても会話を交わしているような気がして僕はなぜだか胸が熱くなった。

 父はずっと笑っている。きっと僕が小さい頃からこうしたかったんだろう。今まで出来の悪い息子で苦労ばかりかけたけど、少し親孝行ができたような気がした。
「また上原浩治やってくれよ」
 何の前触れもなく父は突然リクエストした。

頭の中で動画を捜す。
「いいけど、また吹っ飛ぶよ」
 そう思うのだが・・・。
「ちょっと待て」
 父はグローブを外すと、足早に家の中へ戻り、一分後姿を現わした。
「これを買って来た」

 父は真新しいキャッチャーミットを嵌め、中腰に構えた。
「さあ来い!今日はちゃんと受け止めてやる」
 父は何だか楽しそうだ。
「それじゃあ、いくよ」
 ボールを持った右手グローブに納め、そのまま顔の前に引き上げ腰を右にひねる・・・。

 同時に上げた左足を上半身に素早く引き寄せ全体重を右足に乗せる・・。
 後は身体が勝手に動いた。ぎこちなく感じた前回より滑らかな気がした。
指先から離れる瞬間のボールの回転が、前よりも速くなったと感じた。
 ということは・・・。
 
 ズバン!!

 キャッチーミットが物凄い音を立てた。

(やばい!吹っ飛んだ!?)
 ところが父は中腰で微動だにしなかった。
「お前、前よりスピードが上がったな」
 父の声は上擦っていた。
「でも父さん取ってるよ!」

「やはり一度、球速に慣れておくと違うな。これが『学習』ってやつだな。
プロ並みの球が簡単に受けられた」
 言っている意味がよく分からなかったけど、父は『学習』という勉強によってキャッチできたようだ。
 僕もひとつ勉強になった。

「今度はもっと広い場所に行って遠投してみよう」
 また父はリクエストした。
「遠投って?」
「昭和の怪物江川卓もそうだったが、球が速いピッチャーはみんな肩が強い。遠くに投げられるってことだ」

「遠投はキャッチボールの投げ方でいいの?」
「いや、遠くに投げるってことはそれなりに助走がいるし、力の入れ方が少し違うから同じじゃないな」
 その動画は頭にない・・・。
「このスピードだと一〇〇メートルくらいいけそうだな」

「今日はもういいよ。また今度にしようよ」
「そうか。またやってくれるか」
 父は何だか嬉しそうだ。
「それよりお前、どこかの草野球チームに入らないか?」
 
 えっ・・・!?

「プロ並みの球速があるピッチャーなら、素人のチームどこに入っても敵なしだぞ」
 いきなり野球チームなんて・・・、遠投だってできないのに。
「そんなのムリだよ」

「知り合いに草野球してる奴がいるから、今度話してみよう」
 父は僕の声を無視して、楽しそうに笑っていた。

 父の笑顔は僕の心に勇気を与えてくれた。父の期待に応えるように何とかしたいと思った。

 だから野球を教えてくれる無料動画をひたすら見まくった。
 守備の基本、バッティングの方法、塁に出た時の走塁の仕方等々、見られるものは全て見た。どれも解説付きだけど、理論的なコトは全然分からないからいつも通りに無視した。
 それでもたった一度で頭の中に映像が浮かぶからそれ程時間はかからなかった。僕の頭の中の『野球』のファイルにはデータがあっという間に増えていった。

 父は準備が整うのを待っていたかのように草野球チームの監督を僕の前に連れて来た。
 キャッチボールの後、監督の目の前で上原浩治のストレートを披露すると、ぜひウチに来てくれと、まるでプロのスカウトマンのように両手を握って懇願していた。 

 最近世の中はどんな職業でもで人手不足が深刻らしいけど、娯楽としての草野球チームでさえ九人のメンバーが揃わず、試合をするのも苦労しているらしい。全然野球の経験がないど素人の僕に向かって監督はチーム内でのエース待遇を約束した。

 次の日曜日に試合があるからと早速来てほしい言われ、躊躇して言葉に詰まった。それを見た父は必ず連れて行くからと代わりに二つ返事でOKを出してしまった。
 イヤなら拒否すればよかったけど、父が嬉しそうにしているので何も言えなかった。

 試合開始前の練習に参加してほしいと、午前九時に河川敷の野球グランドに父と二人で向かった。
 グランドには監督を含めて十人しかいなかった。メンバーが一人でも欠ければ、監督も試合に出なければならない。
 全員の前で僕は『救いの神』だと紹介された。

『救いの神』 
 その言葉の意味が僕にはよく分からなかったけど、みんなの目が輝いていたからきっと期待されているんだと思った。
 実際の野球の動きは上原浩治とキャッチボールしかまだしていない。
父とやる以外は練習もしていない。

 練習しなくても頭の中の動画を真似すれば、完コピで動けるから。
やった後の筋肉の疲労はやる度に軽くなっていた。
 少しずつ身体が慣れてきたみたいだ。

 メンバーの一人と早速キャッチボールを始めた。投げ方と受け方がとてもきれいだと褒めてくれた。しばらくすると、ベンチに座る父が遠投してみろと大声で叫んだ。
 僕は頷き、すぐさま後ろに走り出した。

 遠投はプロ野球選手の動画を見た。現エースが次期エースを指名して行ったもの。その遠投のタイトルが『お金が取れるキャッチボール』だった。父が話していた通り、投げ方がキャッチボールとは違う。全体的にゆったりしている。

 投球フォームに入った左足はすぐには下ろさず、ボールを遠くに運ぶ為のパワーを蓄えるように、もう一度胸元まで抱え上げ右足に全体重を乗せる。
背中に回した右腕は大きな弧を描くように、ゆっくりと頭上を通過した直後、素早く前方に体重移動。

 左足は力強く地面を噛み、その反動で指先から勢いよくボールが放たれた。それは戦艦に備え付けられた主砲から球が飛び出したように、勢いよく宙を舞い、相手が構えた胸元のグローブに心地よい音を立てて吸い込まれた。

『いい投げ方してるよね』と唸った現エースと投げた次期エースの距離はおよそ一〇〇メートル。
 その通りに離れた僕に、そんなとこから投げられるのとキャッチボールのパートナーが叫んだ声は裏返っていた。

 大丈夫ですと声を掛け、僕は目を閉じた。動画は脳内で素早く再生され、そして僕は動きを追う。
 力みもなく筋肉への負担も余り感じられない。左足を上げ二度抱え込んだ後、前方への体重移動も滑らかに、完コピでボールを指先から勢いよく放った。

 山なりの球筋でも遠い距離、長い時間宙に舞うと、それなりの勢いがつく。五秒後相手に届いたボールは凄まじい音を立ててグローブに吸い込まれた。その光景を目撃したメンバーの動きが一瞬止まり、直後みんなが驚きの声を上げた。

 それはこのチームの一番下っ端である僕が一目置かれる存在に変わる瞬間だった。
 そして試合後、僕を取り巻く状況は、更に劇的に変化した。

 いきなり先発だった。人手不足でピッチャーを兼任していたという一塁手は、これでバッティングに専念できると喜んだ。
 父の様子を見て喜ばれるのは嬉しいと感じた。
だから今日入ったばかりだけど、チームの為に何とか頑張ろうと自然に気持ちが昂った。

 投げ方は上原浩治。ピッチャーはそれだけでいいと思ったから他の動画は見なかった。
 いつものように頭の中の彼を完コピして投げる。
 球は全部真ん中に構えたキャッチャーミットに勢いよく吸い込まれた。
 面食らったバッターはかすりもせず三人が三球三振。

 二回、三回も球数が九球で終わり、チームメイトはすごいじゃないかと僕を持て囃した。
 打順はピッチャーなので九番でいいなと監督が言った。早く打ってみたいと思ったけど、野球の常識が分からなかったから、従うしかった。

 相手のピッチャーも甲子園経験者とかで、中年のオッサンで腹は出てるのに江夏並みに球が速いから全然ダメなんだと誰かが嘆いていた。
『江夏奈美?』そんなに凄い女の人がいるのかと訳も分からず眺めていると
一番強打者だという四番バッターも三振。

 結局一人も出塁できないまま。僕の打順を迎えた。
 だから完全に舐められていたんだと思う。
 二回、三回の表も全員三球三振で終わらせると三回裏ツーアウトで僕の打順が来た。
 僕はベンチから近い方のバッターボックスに入った。

 なんだ君は右投げ左打ちなのかとみんなが驚いていた。
 僕は意味が分からなかった。最初に見たバッターの動画の選手がこちらに入ってホームランを打っていたのでこれでいいと直ぐに決めてしまった。

 動画を再生させた。頭の中のバッターと同じ構えをするとチームの皆が声を上げた。
「そのフォームは松井秀喜だ!」
 江夏奈美さん級(?)の相手ピッチャーが投げた初球を動画の完コピはで打ち返すと、打球はライトの頭上を遥かに超えて飛んで行った。

 河川敷のグランドは外野フェンスがないからボールは転々と川沿いの草むらを転がった。回れ回れと叫ぶ声に急かされ僕は必死にベースを回った。ボールはホームを駆け抜けるまで戻って来なかった。
 ランニングホームラン。
 チームメイトは歓喜した。

 そして相手のピッチャーは僕に三打席連続ライトオーバーのランニングホームランを打たれた以外は一本も打たれなかった。
 僕も九回まで投げ続けた。六回までは三球三振が続いたけど、七回からは身体が疲れて、一本づつ合計三本ヒットを打たれた。

 結局投げた球数は八十四球。相手チームには一点も与えず、三対〇で勝利した。
 ピッチャーとしての活躍だけを期待していた監督はホームラン三本に驚愕。大谷翔平ばりの二刀流なのにどうしてこんなところにいるんだと、チームのみんなが僕を絶賛していた。

 野球は投げるコトと打つコトの両方が出来ないとダメだと思っていたから
動画をたくさん観たのが功を奏したようだ。

(功を奏した?)

 僕はそんな言葉をどこで覚えた?

 頭の中を捜索してみた。すると『野球』以外のフォルダを発見。それには『言葉の意味』と書かれてあった。
 知らない言葉の意味を理解しようとして、無意識に記録されていたようだ。

 知らない言葉の意味を理解しようとして、無意識に記録されていたようだ。
 それはともかく、試合終了まで見届けていた父は大喜びだった。

~何かをすることで、誰かが笑顔になれる。~
 こんな体験は初めてだった。
 僕の周りにいる人たちが幸せになれるならこれからも色んな知識を吸収したいと改めて思った。

 野球はレベルアップを続けていくことにしたから父と一緒にプロ野球中継を観ようと思った。
 これによって頭の中のフォルダの情報がどんどんバージョンアップされていくということみたいだ。

 父は僕が野球に興味を持ち始めたと思い、今起こったプレーの解説や選手一人一人のプロフィールを説明してくれるけど、聴覚的短期記憶能力(漢字はカメラ・アイで記録しました)が低いから、全然覚えられなかった。

(2021・08・27 更新)

そう言えばどうして野球を始めたんだっけ?

 僕は改めて考えた。
 長生きする為に適度な運動をしようと思っただけなのに、ある草野球チームの『救いの神』になって、みんなから期待されて(父からも)、必要以上の筋肉もいつの間にか付いて・・・。

 自分にとってはイイことだらけだった。
 この結果が僕のこの後の人生にどんな影響を及ぼすかは分からない。
 何をやっても上手くいかなかったのは、自分が何もやってこなかったからだと気付いた。

『クソみたいな人生を変えられるのは自分しかいねえんだ!』(byドラゴン桜Ⅱ)

 まだ何も始まってはいないけど自分を変えなきゃ、お金儲けだってできないし、今の僕には何も取柄がないから、もちろん彼女を見つけるコトすらできない。

 そうだ!

 可愛い彼女をゲットする為に僕はこれからがんばろう!

でも彼女ってどうやって作ればいいんだ?
 どこで女の子を知り合えばいいんだ?
 何をは話せばいいんだ? 
 そのそも僕はどんな女の子が好きなんだ?
 それ以前に、僕は女の子が好きなのかな?
 ・・・
 久しぶりに思考が停止した。

 子供の頃からどんなことに対してもやる気が起きなかった。
 真剣に考えようという意欲がなかった。
 思春期に異性への興味が湧いて性欲も溢れてきて、オナニーも経験したけど生身の異性と付き合いたいとか、セックスしたいとかはそれ程強く思わなかった。

 思考停止を機に改めて自分の青春時代を振り返ると僕は『草食系男子』だったのかもしれない。

 積極的に『肉食系』に変貌を遂げようとは思わない。でも折角男子として生まれてきて曲がりなりにも人並みに子孫を残す能力を与えられたのだから結果的に結婚して子供が生まれなかったとしても、チャレンジしてみる意味はあると思った。

 いやそこを最終目的にするんじゃない。
 先ずは異性と交際するコト。
 詰まり、彼女をゲットする方法を追求しよう。
 年齢的にまだ遅くはない(と思う)。 

その為にはボク自身どんな女の子がタイプなのか、そこから始めるしかない。今あらゆるメディアに露出している色んなアイドルやタレントを見て、気になる相手を捜し出そうと考えた。
 その先には自ずと気になる相手が見えるはずだ。

 レンタルビデオ店に足を運んだ。先ずはアイドルのイメージビデオを眺めて気になる女の子のDVDを物色しようと思った。ネット検索でもよかったけど、気付くと店の前にいた。
 どのジャケット写真も水着姿でセクシーポーズをとるモノばかり。

 そうなると、どうしても抜群のプロポーションに視線は向いて、性欲をかき立てられてしまう。
 確かに『ヤリたい』と思う感覚も重要だ。
 でもそれは必ずしも『好き』なタイプとは直結しないと思った。

 男の心理は単純だ。好きな異性じゃなくても、胸が大きくて魅力的なお尻をしていて甘い言葉を囁かれたら大半の雄は頭の前に、先ず下半身が反応してしまう。
 肉体に惑わされないよう、ジャケットに映る容姿やポーズを一つ一つを丹念に観察した。

 でもこれが逆効果だった。見れば見る程肉感的な肢体に魅せられた。
 ヤバイ!思考が下半身主導で進んでいる。
 その時だった!

 少し古ぼけたジャケットの少女に僕は釘付けになった。切れ長の目に大人びた端正な顔立ちのその子はセーラー服を身に纏い、真っ直ぐカメラを見つめ、僅かに口元を緩めていた。
 そこには自分を売り込む為に媚を売る可愛らしさは全くないし、性欲をかき立てる扇情的なポーズもない。

 ただ立ち尽くしているだけなのに、その佇まいには凛々しさを感じ、印象的な眼差しは得体の知れない決意を秘め、カメラの向こうにいる肉体目当ての輩を見下しているような、敵対心をむき出しにしているような、一言では言い表せない涼しい目をしていた。

『桐島ユマ:少女の誘惑』

 ケースを手に取り、発売年月日を確認すると、それは何と十年前の作品。
 浮き沈みの激しい業界(私見)で、こんなに古いモノがなぜ今までレンタル店の棚に残っているのか、とても不思議に感じた。

 でも桐島ユマ関連のDVDはこれ一本で他には見当たらなかった。
 結果的に気になる女の子はこれだけ。始めから何も借りるつもりはなかったけど、彼女のコトがもっと知りたくなってとりあえず借りることにした。「ああこれね、他のに比べたら一本だけ古いでしょ。昔のDVDが長い期間残っているのはよくあることなんですけど、これはレンタル開始当初は全然人気がなくてね。ジャケットも余りそそられる感じじゃないからね。それが三年くらいたって、もう撤去しようと考えた頃から急に借りる人が増えてね。だから未だに外せないんですよ」
 ベテランらしき店員が、何も訊ねていないのに残り続ける経緯を説明してくれた。 
 増々気になる存在だ。

「桐島ユマ、平成○年生まれの十七歳です」ジャケットと同じセーラー服姿の彼女が、
両手で持った学生鞄をプリーツスカートの前に置き、少し上目遣いではにかんでいた。
「料理をするのが好きで、麻婆豆腐が得意です。もちろん食べるのも大好きで回転ずしなら二十皿は食べられます」

 徐に歩き出すと、別録音された自己紹介の声が流れ始めた。
 どこかの線路沿いの道を軽やかに歩く彼女を捉えるカメラアングルは常に足元から。下半身の撮影を容認するかのように、大袈裟に身体を揺らしプリーツスカートの裾を翻していた。
 でも何かが引っかかる。

「ストレッチ」「制服」「お掃除」「お風呂」「浴衣」・・・。チャプター毎に分かれた項目には様々なシチュエーションに合わせたコスチュームを身に着けた桐島ユマが登場し、BGMが流れる中まるで穢れを知らない少女のように笑顔を絶やさず動き回っていた。

 とは言えどれも肌の露出が多い衣装ばかり。下半身に至っては、全てがTバックで尻が完全に露出していた。ジャケットにもあったセーラー服のプリーツスカートも極端に短く、カメラのアングルは常に男性の性的欲望を満たす、下半身や胸を舐めるように這い回る。

 十八歳未満だから直接的な露出がないとはいえ、股間を大きく広げさせ、過度な尻振りを要求する。それはまるで、どんなに可愛く着飾っても結局最後は全裸でセックスして終わる昔観たアダルト映像のように、只カメラの向こうにいる男性の性的欲求を満たすだけの代物に過ぎなかった。

 でもボクは全く『そそられる』感情には至らなかった。確かにその目的以外、これと言って中身のない内容ではあった。
 ところがそれにもかかわらず、ボクは幻滅することなくその映像に魅せられ一部始終を食い入るように見続け、脳に焼き付けた。

 理由は下半身主導ではない別の感情が芽生えたから。動く桐島ユマを見始めて突然抱いた違和感がいつまでも解消されず、ボクを惹きつけて離さなかった。
 それは一体何なのか?ボクにはすぐ理解できなかった。

 カメラ・アイだから、興味を抱いたモノなら一度見れば頭の中にフォルダができる。全てを見終えた後、ボクは入浴中湯船に浸かり彼女の姿を脳裏に再生した。

 やはりどのチャプターも大人びた顔立ちの美少女が踊りながら一枚づつ衣服を脱いで肌を晒し、ただ欲望のはけ口として見ているだけの男共のために無邪気に笑顔を振り撒き、股を広げ、尻を振るだけの代わり映えがしない動画だと再認識させられただけ。

桐島ユマの笑顔にはウソはないと感じていたから、ボクはただ純粋に彼女の魅力に引き込まれただけなのか・・・? 
 それはかつて経験したコトのない、『恋心』というものなのか?
 ボクの結論はその考えに傾いていた。だけど・・・

ボクは一つ一つをスロー再生してみた。
 違和感は桐島ユマがカメラを見つめ、笑顔を見せた後だと気付き、そのシーンを注視した。
 脳は何かを見つけようと、再生速度をどんどんゆっくりにした。そんな機能があるコト自体、自分でも驚いた。

 そして遂に違和感の原因を発見した。
 浮かび上がったのは、桐島ユマの笑顔の直後に一コマだけ見せた、鋭い視線でカメラを睨みつける表情。
 得体の知れない強い意志を持った眼。
 ボクはその一瞬に恋心を抱いたようだ。

 自分を売り込もうとして、飢えた男どもに媚びないその態度に、強く心を打たれた。
 容姿が気に入ったことも否定はできない。
 でも、容姿だけでもこの感情は生まれない。

 ボクは彼女の彼氏になりたいと思った。

 ボクは彼女の彼氏になれると思った。
 ボクにはカメラアイがある。
 彼女が求める理想の彼氏を突き止めて、そのためにカメラアイからあらゆる情報を収集し、彼女が求める理想の彼氏を演じようと思った。

 それからボクは桐島ユマの手がかりを捜した。先ずはインターネットを検索。ボクが借りた「少女の誘惑」の他に商品として世に出ている彼女の姿を追った。
 ところが潔いほど何も出てこない。
 画像もDVDのジャケット写真が数点掲載されるだけ。

 ウィキペディアの記載にも目新しい情報はなく、現在所属している芸能事務所すら分からず、プロフィールの欄には出身地や血液型、身長体重、スリーサイズさえ情報がなかった。

 どうして・・・?

(2021・09・18 更新)

 ものすごく気になった。             
 会ってもいないし一方的な思い込みなのに失恋したような気分になった。
 それに今何しているかも気になった。
 絶対に捜し出そうと思った。
 何がそうさせるんだろう?
 ボクはしつこい性格だったのかな?

 ネット上に何か手がかりはないかと、試しに「桐島ユマ 噂」で検索をしてみた。するとなぜかSNSのアカウントが表示され、ボクは迷わずクリックした。
 アイコンの画像はDVD発売当時の店頭でキャンペーンをする水着姿の彼女の姿。

 投稿は同じ事務所のタレントと併せてのプロモーションの他、撮影風景の画像投稿が一点と、ショッピングを楽しむプライベート写真が二点、それに青年誌のグラビアを飾った号の宣伝写真が一点の合計5点。
 投稿はSNS利用開始から三か月後。今から七年前で止まったままだ。   

 またしても手がかりは得られなかった。

「桐島ユマ 突然、引退したみたいです。僕も残念です。」

 検索結果の下欄に何やら衝撃的なコメントが。
 本当にそうなのか!?

『それが三年くらいたって、もう撤去しようと考えた頃から急に借りる人が増えてね。だから未だに外せないんですよ』
 脳が勝手にレンタルビデオ店店員の記憶を再生し始めた。SNSの更新が止まったのとレンタル増加のタイミングが一致している。

 引退はしていない。
 ボクはそう直感した。
 桐島ユマのSNS更新が止まった時、人気のないDVDのレンタルが急増した。

『何かが終わって、何かが始まる』

 浮き沈みの激しい芸能界に於いて、海のモノとも山のモノとも分からない駆け出しの少女の動向にいちいち関心を示すメディアは皆無かもしれない。
 その点ではネット上の彼女への扱いは納得できる。
 でもボクには何かが違う気がした。

 SNSの更新が止まれば誰かが何かを発信し、僅かなファンでも小さな騒ぎが起きるはず。
 急激にレンタルが増えたのはたまたまじゃない。店に足を運んだ客は何かの情報を得て桐島ユマを手に取ったに違いない。
 
 終わる・・・。始まる・・・。

 ネット上にはどちらの手がかりも、何もない。
 それにしても情報がなさ過ぎる。
 それとも隠している?
 何かの意図を感じる。
 情報操作がされている・・・?

 ボクは何者でもないし、桐島ユマとは何の関わりもない。でも不可解な消え方(失踪とは言わないけど)には何か良からぬ力が働いているような気がして、このままでは終われないと思った。
 何の根拠もないけど、彼女の彼氏になれると確信したから尚更だ。

 ボクは彼女を捜し出そうと思った。
 桐島ユマを見つければいいコトが待っている気がする。でもそれはボクが勘違いしているだけできちんと居場所があるのかもしれないし、或いは本当に引退して芸能界とは無縁な幸せ暮らしをしているのかもしれない。

 今までほとんど有効活用していなかった脳みそをフル回転させて様々な可能性が浮かび上がった。だから一つ一つ確かめて、桐島ユマに辿り着くしかない。

 ボクはカメラアイを使って捜査のプロのデータを集めようと決意した。

 その前にDVDを返却に行き、急にレンタルが増えた理由に心当たりがないか改めて店員に訊ねてみたけど分からず仕舞い。「あ、でもただ」「ただ?」「借りに来た人は『この後も誰かが借りに来るから絶対撤去しないでしてください。』って必ず言うんですよね」

 誰かが来る?
 来ることが判っているということは、レンタルしている人たちは何かで繋がっているということか?今の時代、知らない人同士が電話での会話はあり得ない。
 やはりインターネットということか?

 ボクは捜査のプロになる前に、自分でできることをやってみようと考えを改めた。
「あっ、それと・・・」
 店員が突然声を上げた。
「これは店に来ていたお客さん同士の話を偶然立ち聞きしちゃったんですけど・・・」
「何ですか?」

「『あ、これこれ、今超人気アダルト女優のデビューイメージDVDだって噂なんだけど、みんなそれが誰だか判らないんだよね』って」

桐島ユマがアダルト?
「その噂の信憑性はどうなんですか?」
「僕も気になってちょっと調べてみたんだけど、今ランキングトップ10のアダルト女優に桐島ユマらしき顔の女優が見当たらないんだよね」
「整形手術してるんですかね?」

「そんなに真剣に捜した訳じゃないけど、鼻とか目元の整形くらいだったらなんとなく判ると思うんだよね。都市伝説みたいな話だよね」
 もう一度インターネットで検索した。

 桐島ユマ アダルト

 何も出てこない・・・。

 これは映像を観て確かめるしかない。
 噂では超人気アダルト女優だと言うが一体この業界で何人働いてるんだ?
 一年間に何本のDVDがリリースされてるんだ?
 考えただけで気が遠くなる。

 あれ?ボクはどうしてここまで熱くなってるんだっけ?
 
 最初の目的を忘れて久し振りに思考が停止した。空き容量は大きいけど、脳の回路のフル稼働したのが原因のようだ。

『ボクは桐島ユマの彼氏になりたい』

 思考停止後、復活を遂げた脳にボクはその言葉をインプットして、先ずネットでアダルトDVD専門の動画サイトに飛んだ。

 トップページのメニューにある『人気順』をクリックしてみた。

 352493タイトル中・・・。

 実際に見ても気が遠くなり、ボクは再び途方に暮れた。

再びの思考停止寸前でボクは持ち応え冷静に考えた。
 先ずはイメージDVDの名前『桐島ユマ』で検索。
 結果は、該当する女優なし。
 作品の数だけいる訳じゃないから次に『AV女優一覧』で出演本数が多い女優を選び出すことにした。

 基準として、人気女優が一年間にどのくらいのペースで新作を出すのか分からないから、今も現役で一か月に一本のペースで出演したとして『少女の誘惑』のレンタルが増加した七年前から、合計八〇本以上出演している女優に絞った。

 そしてそれぞれ単体での人気作品を数本観て捜し出そうと思った。
 もちろんボクの場合は、一人一人を画面から選んでメモする訳じゃない。頭の中に『人気AV女優のフォルダ』を作り、カメラアイで目に焼き付け、手当たり次第保存する積りだった。

 でも始めてすぐに違和感を抱いた。
 これは捜し出すための最も適切な方法とは言えないかもしれない。出演作品が二〇〇本を超えてはいても、ジャケットを見る限り、魅力的には思えない女優もいた。
 例えタイプでなくても・・・

 男の下半身が一瞬でも熱くなるような仕草や表情がなければ人気者にはなれないと感じた。
 ボクは更に考え直した。すんなり最適解(この言葉も最近覚えた)が導き出せないのは今まで脳を活用せず思考回路が最短距離で繋がらないからに他ならない。思い付きや偏った考え方のみでただ闇雲に見つけようとしても事は上手くは進まない。現在のアダルト映像の業界の、表に露出している情報だけでも垣間見るしかない。

 現在の人気女優の仕事ぶりや収入の実情を知るため、ネットで羅列される下世話な情報を調べてみた。
 先ずは純粋に基本となる収入源。作家やミュージシャンの印税のように、売れた分だけ得られる訳ではなく、出演した際に支払われる報酬のみのようだ。出演作品がヒットすればそれが女優の実績となり、次の依頼には増額が期待できる好循環を生む。分かり易く例えればプロ野球選手の契約更改のようなイメージか。
 アダルト女優の最上級とされる待遇は大手メーカーの『専属女優』になること。
 出演する作品は専属契約を交わしたメーカーのみ。本数は量産できない代わりにメーカー主催のイベントやキャンペーンのギャラが加わり、それらが収入の軸になる。
よって『専属ー』を勝ち取るためには、ただ喘ぎや腰振り演技が上手いだけでなく、タレント性も必要不可欠なのだ。

(2021・10・16 更新)

 しかしそれでもいいコトばかりではなく、近年は専属女優でブレイクしても出演料は単純に右肩上がりとはいかないようだ。また特定のメーカーとは契約せず、色々な作品に数多く出演するのが『企画単体女優』というスタイル。この場合の一般的な相場は専属女優よりも低く、十分の一から二十分の一程度。基本的には数をこなして大きく稼ぐことになる。この方法で大ブレイクした有名女優も少なくない。一方ではすぐに身体を壊して引退する女優もいるが、ハードな仕事をこなした暁には専属を凌ぐ収入も不可能ではないらしい。更にこれらの成功例は、始めからこの業界でブレイクを考えていた訳ではなく、全く売れないアイドルタレントからやむなく転身を果たし、売れっ子になった女優も数多い。

 そこまでして身体を張って稼がなければならない理由はよく分からない
けど、古臭くて画一的な体質だと思っていたこの世界も、女性たちのアプ
ローチは多種多様で、奥が深いと感じざるをえなかった。

 研究者になる積りはないからある程度の予備知識を基に自分なりに捜索
方法を考えた。アダルト動画サイトに表示されている女優の数は一万人余り。先ずはトップの顔写真を片っ端からカメラアイで脳に焼き付け、気になる女優をピックアップ。現役であることと年齢(桐島ユマは推定二十八歳)の合致、七年間で月一の合計八十四本以上の出演本数を最低条件とし、取捨選択することにした。
『気になる女優』と言ってもボクの直感でしかない。或いは好きなタイプ
の容姿の根幹を成すのかもしれない。画面を素早くスクロールし最下部まで辿り着くとすぐ様次のページへクリック。その作業が延々と一〇〇ページ続いた。表示された女優の人数を単純に合計すると一万人余り。一人一人の顔を五秒ずつじっくり確認するだけでも、何もしないで六時間以上。

 それに○×の判断を加えるだけでも更に相当な時間を要するだろう。でもボクの場合はただ目の奥の網膜に映すだけで脳の中のフォルダに確実に保存され、単純作業は短時間で終了できる。あとは気になる女優の情報を適宜抽出し検索するだけ。身体に悪影響を及ぼすパソコンのブルーライトに目を晒し続ける必要はない。
『寝食を忘れて』(最近覚えた言葉)という程のめり込んではいない捜索作業も何と三日で一万人を十人にまで絞り込んだ。でもこんな経験をする輩はボクぐらいだから、きっと他人にこの苦労を打ち明けても誰もピンと来ないだろう。
 とはいえ、特殊能力のお陰で道は大いに開けた。

 その中には昨年の年収ランキング、売り上げランキングに名を連ねた女優が八人もいて、ボクの見る目もあながち節穴ではないと、ほっと胸をなでおろした。そして捜索は次の段階へ。それぞれを詳しく観始めた。

 最初は数点と考えたが、進める内に、場合によってはもう少し観賞する数を増やした方がいいと思い立った。そんな柔軟な対応も、カメラアイがその要求を容易く実現可能にしてくれからに他ならない。

 内訳はお姉様系が四人、ロリータ系が三人、それにアイドル系と美少女小悪魔系、巨乳系が一人づつ。
 巨乳系女優は、ベビーフェイスに不釣り合いな巨大な胸と肉感的な体型が魅力的だ。確かに人気は出そうだが優しすぎる目元に違和感を抱いた。どうしても胸を前面に押し出す作品が多く、画一的でバリエーションに欠けた。
何より、途中休止期間があったため、本数が明らかに少なく、残念ながらすぐに除外対象となった。

 美少女小悪魔系の女優は、鋭い視線の持ち主で彼女の姿を想起させた。メガネを付けて内気な少女を装うセーラー服もの、OL風、中年男を手玉に取るツンデレな内容など、出演本数も多く様々なジャンルをこなしているようだがデビュー年が桐島ユマよりも二年遅いので除外した。

 アイドル系の女優は年収ランキング、売り上げランキング共に一位を獲得し、現在絶大な人気を誇っているメーカー専属女優。当然出演本数は絞られているが、桐島ユマとデビュー年が一致しており、既に相当数をこなしていた。しかし元人気アイドルグループAK○○8メンバーだったという触れ込みもあり、そのルックスと抜群のスタイルを前面に『カワイイ』を強調した作品が多かったため、彼女もこの二つの理由で除外とした。 

 ロリータ系三人の内の一人は人気もあり出演本数も多く小悪魔的な容姿や愛嬌のある体型が長いキャリアを続けさせていると感じさせたのだが、惰性で行っているような性行為や、カメラに向ける視線に桐島ユマが持つ意志の強さが全く見受けられず、除外。

 残りの二人の内の一人はデビュー年一致も細身の体型故、女子高生ものがほとんどで除外。もう一人も同様に、桐島ユマのイメージには程遠かった。

 最後に残ったのはお姉様系四人。何れも幼い顔立ちを演出出来るし歳を重ねたシチュエーションも可能。ボクはこの中に必ずいると睨んだ。 
 溢れる知性と落ち着き払った佇まいが、妙に扇情的で欲望をかき立てられた女優は残念ながら昨年で引退。
 あとの三人はデビュー年も一致、本数もかなりの数をこなしていた。
 だがその中で、ボクは遂に一人に絞り込んだ。

 フェラチオ、オナニー、SМもの。出演ジャンルは多岐にわたった。そしてどんなにマニアックな検索をしても必ず彼女の出演作品が登場し、トップではないが何れも上位にランクインしていた。更に気付いたことに最後に絞った三人が全てに登場しているのだが一つだけ違うのは、彼女にだけ七年前から続いている素人参加企画が存在していた。
 これが決め手だった。

 霧乃中(きりのあたる)

 この地味な名前の女優がきっと桐島ユマだ。

 素人参加型にも色々ある。代表的なモノはアダルト女優が童貞くんの手解きをする『筆おろし』モノ。
 大量の体液を女優に浴びせるため、汁男優と呼ばれる素人を募る『ぶっかけ』モノ。それに最近は余り行われていないらしいが人気女優とのセックスを懸けて素人が競う集団参加型の『ファン感謝祭』モノなど。
 確かに奇をてらった企画ではないのだが、その中でも桐島ユマと思われるアダルト女優霧乃中の素人参加の応募条件が一風変わっていたのだ。 

 霧野中のそのシリーズはスタンダードな『筆おろし』モノ。応募条件はたった一つだがその条件がとてつもなく狭き門なのだ。

『数学オタクの童貞(年齢不問)』

 面接で自分が如何に数学オタクであるかを証明しなければならず、そして更に条件をクリアした時点で女優本人が直接合格者に会い、好みのタイプかどうかで出演が決定するという。
 こんなに高いハードルにもかかわらず、希望者が意外に多いのは、霧野中がとてつもないテクニックの持ち主だからというのがもっぱらの噂だ。

 しかしなぜ数学オタクなのか?
 応募規定にその理由は何も書かれていないのだが、本当に霧野中が桐島ユマならその辺に謎を解くカギがあるのかもしれない。 
 それにしてもボクはとんでもない女性(ひと)を相手にしようとしているのかもしれない。

 どんな業界であれ、その名を轟かせている第一人者が、何者でもないボクを気に入ってくれるはずがない。後ろ向きな気持ちを抱えながらも、ボクは先ず数学オタクにパラサイトすることを決意した。

 先ずは『数学オタク』でネット検索をする。
 東大数学科を卒業してネット上に動画を配信しているユーチューバーや天才数学者が語る、一般人には考えられない変人ぶりを知らせる記事が興味をそそられた。一部ではあるがその人種の生態が垣間見えて、これからパラサイトする予備知識としては情報を取り入れやすい筋道ができたような気がしてとても有意義に感じられた。

『二十四時間数学のことを考え続け、それが全く苦にならないレベルじゃないと数学者にはなれない』

 その言葉にオタクという言葉では片付けられない飽くなき探求心にも頭が下がる思いがした。

 行動を起こすと、頭も追随して活動を始め回路が繋がると、すぐに解決策が見つかった。
 特別な存在として振り向いてもらうためには他の素人とは違う飛び抜けた特徴が必要だ。

 霧野中が超絶テクニックの持ち主なら、それに対抗してボクがそれ以上のテクニックを手に入れ、逆に彼女を虜にすればいい。

 そう思い立つと、凄腕テクニックの持ち主で有名な男優が出演しているアダルト映像を中心に観まくり、脳のフォルダに保存した。

 それにしても改めて思う。
 ボクは他人の知識や経験の蓄積を容易に拝借でき、膨大な情報量を短時間で処理して自分の手柄のように利用できる。でもそこには何の感慨も充足感もない。

 所詮他人の持ち物だ。

 だからこそ、大多数が理解できない事象も、どんなに極めても敬意を払われない行動でも、一つの世界で遺した偉業を、その生き様を絶対に汚してはいけない。
 それだけを心に刻んでボクはパラサイトする。 


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