バシリカ / 十字 / アイコン
前回の続き.
東京オリンピックでピクトグラムのことが話題になったが, 世界で最も有名なアイコン(図像)は十字架である. (この場合は, 語源のイコンになるが.)
宗教のことには明るくないが, あらゆる時代・地域の人々の畏敬や思念を吸収し続けているその存在は単純にすごいと思う. これ以上のアイコンは無いし, この先誰かがデザインできるとも思えない.
以前知って意外だったのは, キリスト教のごく初期から十字架(十字形)が特別視されていたわけではないようで, 初期キリスト教が普及していく数百年の段階のなかで, 徐々にその存在が大きくなっていったのだという.
建築のほうに話をスライドすると, ごく初期のキリスト教会堂は, 異教色が薄いバシリカというローマ由来の公共建造物の形式を援用して造られていた. 元々のバシリカは, 長方形の平面で内部に柱が規則正しく立っていて, その上に屋根がかかったものだ. バシリカの代表的な平面を予断なく見れば, 近代建築のユニバーサルスペースのようだし, 用途を問わず多目的に使用することができたのだと思う. バシリカを元々用いていたローマ人はプラグマティックな印象があるので, もしかしたらプラン(平面)にある種の理念を込めるということには興味が無く, ごく実用的につくっていて, そのある種の色の無さが初期のキリスト教にとっては都合が良かったのだろう.
しかし, その後, キリスト教会堂が, そんなどうにでも使える実用的な長方形から徐々に腕を出していってよりシンボリックな十字形の平面形式に移行していく. その移行期には, バシリカ式教会堂の中央にドームを設けたもの(ハギア・ソフィアなど)も造られた. 個人的に思う大きな流れとしては, 長方形→多角形(集中形)→正十字形→ラテン十字形だと思う. もちろん情報や技術の伝搬がゆっくりとした時代だったから, そんな単純な流れではなく, それぞれに造られ続けたりもしたが.
移行の理由として, 中央のドームを支える構造の合理を追求していくなかで長方形よりも十字形(集中形)の平面形のほうが都合が良かったとか, 長方形では平面にメリハリが無くて儀式の際に使い勝手が悪かったからと説明されることが多い. なるほどと思う半面, 説明がすっきりしすぎているような感じもしてダーウィニズム的な理屈だなとも思う.
移行期はそんなにすっきりしたものではなくもっと混沌としていたのだと思う. とはいえ, そうした混沌のなかでもその後の方向性をきめていく強い力をもった羅針盤のようなものがあったのではないか. その羅針盤が十字形という図像だったのではないかと想像する.
長方形→十字形への平面形の移行期間は, 5世紀~8世紀の数百年にわたるとされているから, 十字形の萌芽というか計画案が出始めたのは, 4世紀末頃なのだろう. 一方で, 十字架が特別な図像として神聖視され始めた時期については, 4世紀末頃にそれがおこったとする説(コンスタンティヌス帝とその母 聖ヘレナに関するもの)があるそうだ. そう考えると, 十字形というアイコンが発明(発見)されたこと, そして, 同じような時期に教会堂建築を独自化(神聖化)する必要を感じていたときに, 十字架という当時最新のアイコン(図像)を平面形として取り入れた. 言い換えると, 十字架(十字形)のアイコンとしてのインパクトがバシリカという四角いニュートラルな形に変形をもたらしたのかもしれない.
ところで, "空間"は断面にこそあらわれると思うが, 理念や思惟は平面にあらわれやすいと思う. (それは絵といえば絵だから.)
だから特に機能や用途を求められない空間は, 平面図に設計者(あるいは為政者)の理念が反映されやすい.
全くの妄想だが, もしかしたら, 当時の設計者が十字形というアイコン(図像)を建築物として図案化してみたら, 為政者の受けがよかったのかもしれない. 加えて, 中央部のドームの架構にも適している, 交差廊だったり身廊を伸縮させるなど空間を無理なく細分化するにも都合が良い!長方形バシリカでは出来なかったことがいろいろできる!!といいことづくめで, 十字形から芋づる式に湧いてくるアイデアに興奮して眠れない夜があったのではないか.
「陛下, これはいいですよ, 世を席巻しつつあるアイコンだし, 東方(ビザンティン)で流行りのドームも取り入れやすくなるし, 儀式での使い勝手も良くなるし, 一石三鳥ですよ!」的な. まあ, そんな単純な話の訳は無いが, ある一時期, これらのアイデアをまとめあげてテンションが爆上がりした幸せな設計者がいたことはいたのだと思う.
というわけで, 個人的には, 何か技術的だったり使用上の要請だけでなく, その時代を象徴するようなアイコン(図像)が建築の進化の方向性に大きな影響を与えたのではないかと思いたい.
現代に戻って, 東京オリンピックのシンボルマークは, 単純な幾何学ではなく複数の幾何学が共存していて, 複雑系を思わせるような図像だった. それは時代の多様性を象徴していたと思うし, 現代建築との類縁も感じた.
時代が図像を生むのか, あるいは図像が時代に影響を与えるのか,,, いずれにせよ, どういう原理かはよく分からないが, 人間に広く深く共有される図像(アイコン)というものは確かに存在し, 建築もそれとは無縁ではない.
MMのステッチ→アイコン→十字 と芋づる式にそんなことを思った.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?