性犯罪対策について(男性差別と女性の負担)
(この記事では加害者:男性、被害者:女性の性犯罪を想定)
性犯罪対策について、男性差別や女性の負担といった観点を中心に、諸々考えてみた。
◆差別の側面
まず「性犯罪者のほとんどが男性なのだから、性犯罪者かもしれないと(とりあえず)男性全体を警戒する」というのは差別云々の前に理屈からしておかしい。
「管理職に占める男性の割合は90%だから、男性の90%は管理職である」「日本の歴代総理大臣は全員男性だから、日本の男性は全員総理大臣経験者である」と言っているような状態。
性犯罪者のほとんどが男性である場合に正当化できるのは「『性犯罪者』と聞いて男性を想定すること」である。元の言説を通すには、男性のほとんどが性犯罪者であることを示す必要がある。
まあ、男性はほとんどが性犯罪者というわけではないにしても女性より性犯罪率が高いことに変わりなく、自分としては女性が対女性より対男性で個人的に警戒意識を強めるくらいなら許容され得ると考えている。
ただしそれは「差別ではないから」ではない。許容され得る差別と考えるからだ。
これが排除や特権などである場合(特に公的な制度によるもの)は許容されない寄りになってくるかと思う。
他方、個人的な警戒であってもわざとらしくそれを表に出すのは慎重になった方がいいとは思う。相手が本当に警戒しなければならないタイプの男性だった場合、そんな露骨な態度を取るのはそれこそ危ないし、無用なトラブルの元だ。
(無害そうな男性だけ選んでこれ見よがしに警戒してみせるのはただの嫌な奴……)
性犯罪関連の男性差別つながりだと、「性犯罪者と一括りにされたくなかったら男性はまず性犯罪をなくせ」みたいなのもある。これも理屈からしておかしい。
そもそも、女性はもちろん、男性も他の男性の性犯罪をなくす義務を負わされる筋合いはない。結託して性犯罪してるわけじゃないんだから。必要なのは自身が性犯罪をしないことと他の男性に対し教唆しないことくらいだろう。
自分が「女性は性格が悪い」と主張したとして、それへの反論はまず性格が悪い女性をなくしてからじゃないといけないのかという。
それに、一括りがOKなら何も「男性」で区切らなくてもよく、「同じ日本人として女性もちゃんと日本人(男性)の性犯罪をなくせ」みたいなことも通すしかないし、同じ人間ということで世界中の人々を巻き込むことも可能となる。
似たようなのとして「痴漢冤罪が嫌なら痴漢を撲滅すればいい」みたいなのもあって、これもやはりおかしい。ネットで「魔女狩りは魔女が実在したから起きたのか?」と引き合いに出している者がいたが、本当にそのとおり。
痴漢が本当にゼロになっても痴漢冤罪がゼロになるとは限らない。だって冤罪なんだから。
真犯人がいるタイプの冤罪(人違い)は減るかもしれないが、痴漢されたこと自体が勘違いだったり元々女性側に悪意があったりするタイプの冤罪が減るとは限らない。「もう撲滅したんだからこの人が痴漢なわけない」などとなるはずもなく、痴漢の残党として処されるだけだろう。
性被害を受けたことのない女性はもちろん、過去に性被害を受けた女性にしたって犯人以外の男性からは被害を受けていないわけで、男性全体を一括りにするジェンダーバイアス全開の女性は、性犯罪に関しては確かに被害者側かもしれないが、こと男性差別に関しては加害者側である。
なお、性被害という女性側の被害に対し、男性側の被害は一括りに差別されて不快・傷付く程度のいわゆる「お気持ち」に過ぎない(ので男性差別は許容される)……という言説をどこかで見かけたことがあり、それについても少々。
一理あるしだからこそ自分はそのような男性側の被害は一部許容され得ると考えている面もあるのだが、「『お気持ち』に過ぎないから」というのは理由として不適切。
それを言ったら性被害だって主に「お気持ち」の被害に過ぎない。特に痴漢なんかは「お気持ち」以外の何が傷付くというのか。
妊娠させなければ、痛くしなければ、病に感染させなければ、病院代や薬代が生じなければ(あるいはその分のお金を与えていれば)性犯罪もお咎めなしにすべきか?……そんなわけない。(主に)尊厳が=「お気持ち」が傷付くからこそ性犯罪は許されないのではないのか?
男性差別の被害を「お気持ち」だからと切り捨てるならば、女性の性被害だって同じように切り捨てることが可能となる。性被害を軽視するつもりがないのであればそこでの線引きはしない方がよいかと思う。
◆原因と責任
「襲われても文句言えない」という言い回しがある。
例えば露出の多い服装、夜道の一人歩き、一人暮らし男性の部屋に行く……といった行動を取る女性について使われることがある。
襲う側が悪いに決まってるだろという理由から批判が多い言い回しで、この点は自分も批判側だ。
女性側が言葉などで明確に誘ったり合意したりしていない限り、当然襲う男性側が完全に悪い。女性側はどれだけ文句を言っても言い足りないだろう。
しかし一方で、「文句言っていいけど襲われるかもよ」とも思う。
悪いのは性犯罪をするヤバい男性だが、それで実際に被害に遭うのは女性だ。文句さえ言えれば襲われてもかまわないというわけではないはず。
であればやはり女性は「襲ってもいいんだ」と(ヤバくない男性はそう受け取らないが)ヤバい男性が受け取るおそれの大きい行動にはなるべく慎重になった方が無難なのではないだろうか。
性犯罪者予備軍に対して社会的に先手を打つのが困難な以上、どうしても何も悪くない女性側に余計な負担が押し付けられる形になってしまうが……。
(警察などの対応は前提として、その上で)なぜ性犯罪者及びその予備軍を含む男性側ではなく何も悪くない女性側に対策を求めるのか、というのはありつつ、性犯罪者などに対策を求めることにどれだけの効果が望めるのだろうか、という懸念もある。
彼らは「性犯罪やめろ」と呼びかけられただけで思いとどまるだろうか?それで思いとどまる者は最初から性犯罪しなくないか?
性犯罪をしようとする者をなぜそんなに信じられるのか不思議。他人(しかも一般より歯止めが効かないタイプの人間)の行動を変えさせるよりも自分の行動を変える方が確度が高い。
あとは、性犯罪対策で女性個人にできることとして、防犯グッズを用意するのもいいかもしれないが、やはり体を鍛えておくのがよいのではないかという気がする。
いかに社会全体で目を光らせようが、死角をなくすのは現実的ではない。助けを呼んでから来るまでにはほぼ例外なくタイムラグがあるし、防犯グッズだって襲われたときに取り出せる状況にあるとも限らない。
自分のことをほぼ確実に、タイムラグなく助けるための行動を取れるのは自分自身しかいない。あらゆる不届者を返り討ちにするのは無理にしても、逃走成功の可能性を高める努力は十分現実的だ。
まあこれも「なんで被害者側が……」ということかもしれないが(気持ちは分かる)、向こうが悪い・自分は悪くないからといって対処を怠っていると最後に困るのは他ならぬ自分自身だ。
原因と責任は切り離して考えたほうがいい。責任がなくても、そこに原因があるから対処する……そういうこと。
※この場合、対処せず被害に遭っても別にその女性の落ち度ではないというのは大前提
(参考:過去記事)
◆まとめ
性犯罪者と聞いて男性を想定することは正当化されるが、男性を性犯罪者と想定することは正当化されない
男性全体を性犯罪者とみなすような対策は差別ではあるが、許容され得るものもあると考えられる
女性はもちろん、男性も他の男性の性犯罪をなくす義務を負わされる筋合いはない
男性差別はいわゆる「お気持ち」の被害に過ぎないが、それを言ったら女性の性被害も主に「お気持ち」の被害に過ぎない
女性に性被害の責任がなくても、原因があるなら対処するに越したことはない