肩書のない自己紹介
ずっとうっすら鬱っぽい
肩書のない自己紹介を書こうって思ったときに、書いたり消したりなかなか進まなくて、なんで書けないかなぁと思ったら、ネガティブすぎて人に見せられないなぁって思ったから。なんでネガティブになるのかなぁって考えたら、そういえば高3くらいからずっと薄っすら鬱っぽい。何が鬱っぽいかというと、以前好きなものがそんなに好きじゃなくなったり、好奇心が弱くなったなーって思う。あと気力と体力と集中力が少なくなって物事を続けるのが難しく感じる。昔と比べて何事にもうっすら無気力・無関心って感じで生きててそんなに楽しくない。早くこの状態から抜け出したいとはずっと思ってるけどなぁ。どうしたらいいのかな
人に自分の考えを伝えるのが苦手
自分の中ではすごくすごくたくさん考えて出した結論が、誰でも言ってるようなことだったり、何も考えてない人が言いそうなことだったりすることが多いなと思う。長々説明してめんどくさいやつだと思われたくないから、結論だけ先に言ってみるけど、痛い奴かおバカさんみたいないじられ方して終わる。結論が分かりやすくて面白みもないからだと思うけど、私の思考のプロセスに興味を持ってくれてると感じることが少ない。だからあえてそこを聞いてくれる人がいるとめっちゃ好きになる。パッケージとかステレオタイプに囚われずに私のこと見ようとしてくれてる、、、❗️ってドキドキする。そんな相手のことは私も知りたくなる。
早くおばあちゃんになりたい
おばあちゃんがやってそうなこと全部好き。お花やお野菜育ててみたり、生け花したり、編み物だったりミシンしたりとか手芸したり、お料理やお菓子作りして毎日好きな事して暮らしたい。おばあちゃんがする事って意味がなさそうに見えるからいい。非効率的だし、お金にならないし、誰かを喜ばせる為でもなく自分が好きだからってだけの理由でしてる気がする。上に書いたことは今の私でも出来るけど、好きってただそれだけの純粋な気持ちで始めたことにも何か意味を見出さなきゃいけないような気がして、そのうち、その意味の為にやらなければならないことになっちゃう気がして怖くてできない。好きっていう純粋な気持ちを大事にとっておきたくて、なかなか好きなことが始められない。
MBTIの話が苦手
なんだろね、MBTIの話聞いてもそこから何か得たって思ったことが少ないからかなぁ、MBTIの話って意味ある?って思っちゃう。性格の傾向で人を見てないから、MBTIから何か得られたって思うことが少ないのかもなぁ。そもそもあまり興味がないから詳しくないだけで、意外と仲良い友達のMBTIはみんな似てたりするのかね。なんでMBTIの話が苦手なのか自分でもよくわからないでちゅね。
りんちゃんがちゅき
小さい頃から両親はじめとして人に理解されることが少なく、定期的に人から変わってるよねって言われることが、どこかさみしく感じて生きづらいなぁと思っていたところに、りんちゃんっていう名前の天使が降りてきて、「ななちゃん、ななちゃんはたしかに人とは違うところたくさんあるけど、それでいいんだよ。むしろそういうところ好きだョ。(天使の笑顔)」って受け止めてくれて衝撃だった。以来、幼少期の埋められない思いみたいなものを日々ぶつけてしまっていて、申し訳なさと感謝で胸がいっぱいです。