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[Aro Week] 好きってなんだろうと、考えるほどに分からなくなる
Happy Aro Week!
2025年のAro weekは2月16~22日。他者に対して恋愛的に惹かれない「アロマンティック」というアイデンティティを広めるための1週間。
人に対する好意はあるけど、独占欲とかないし、四六時中くっついているのは疲れる。そのような好意は、時に「好き」ではないとみなされることがあるらしい。
「本当にいい人に出会ったら」そういうことがしたくなるもの、らしい。でも「疲れる」という自分の感情を否定してまで、世の中が期待する「好き」に合わせる必要が果たしてあるのか。
こういう「好き」を唱える人を見ていて感じるのは、彼らは本当にそれが楽しくてやっているらしいということだ。結婚する前に、週に何回もデートしていたという人を知っている。自分だったら絶対無理だ。楽しい時間を過ごしてMPは回復しても、HPは減る。HPの回復にはただ休息しかない。そんな人間である。
言葉の意味が分からなくなったら、定義に立ち返るのが原則であろう。goo辞書(デジタル大辞泉)によれば、「好き」は
1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「—な人」「—な道に進む」⇔嫌い。
と書かれている。決して恋愛的な惹かれだけを指すわけではない。仕事が好き、趣味が好き。「好きな道」とは自分が進んでみたいと心惹かれる、そんな進路ということだろう。そりゃそうだ。
一方、英語で「好き」に相当する単語といえば like だったり love だったりする。特に恋愛的な「好き」と関連付けられる love をロングマン現代英英辞典で引くと
1 romantic attraction [transitive not in progressive] to have a strong feeling of affection for someone, combined with sexual attraction
とあり、あろうことか「性的惹かれと合わさった」感情だとある。しかし恋愛=性的な関係、で本当にいいのか。ここに大きな誤解がないのか?と感じずにはいられない。
もちろん、2番以降の意味に「家族や親しい友達に対して、非常に気にかけるさま」とか「何かがとても好きであるさま」といった意味も載っている。しかし世の中で言われるところの「友達と恋愛の違いは“抱ける”かどうか、だ」とか、「付き合ったら“そういうこと”をするもんでしょ」といった、自分からすれば「???」といった話が、1番目の意味によって肯定されてしまう。
もう、定義が信じられなくなってきた。もっとも、辞書の意味を「定義」と呼んでよいかというと、やや怪しい。言葉は生き物であるからだ。最初に言葉があって(別に哲学や宗教の話ではない)、その用例を頑張って文章で説明したものというのが実態だろう。数学のように、定義が先にあって、その定義が未来永劫守られるような性質のものではない。
しかし拠り所のない話をいくらしても空しいだけだ。実態がないものをあれこれ議論しても話はまとまらない。結局は「主観」なのである。
ああ、余計に「好き」が何者か分からなくなってしまった。
――この記事を読んでいる読者の大多数は、何を難しいことを考えているんだ、「好き」は「好き」でなくて何なんだ、と思われていることでしょう。しかしそこがどうも腑に落ちず、このように悩むばかりの人間がここにいることを、どうか覚えておいていただければ幸いです。