”普通”に面白かった「犬王」
琵琶法師と異形の子によるロックンロールミュージカル映画「犬王」を見てきた。
アニメーション表現などが普通に面白かったが、いくつか問題点と、私の戦略ミスがあった。これから語っていくが、ネタバレが含まれているので気をつけてほしい。
まず外堀から攻めていこう。私がミュージカル映画として真っ先に思いついたのが「グレイテスト・ショーマン」だ。この作品は意外にもシナリオが良くできている。あっと驚くような仕掛けがあるという意味ではなく、分かりやすいのだ。物語の中で「そろそろ挫折パートに入るな」「そろそろ成功パートに入るな」という強弱の波が分かりやすい。その後の展開が予想できてしまうという弱点でもあるが、シナリオが親しみやすく心地よいという利点がある。それにより本作における一番の魅力であるミュージカルシーンに集中できる。そして、最後に大きな波を持ってくることで、視聴者は期待通りその波に乗れる。
しかし犬王にはそれがない。起承転結というのは一応あるが、時間的にはほぼ「承」で占められている。加えてその中で波がない。挫折パートは最後の最後。ラストになってようやく「転・結」がやってくる。
「承」はライブシーンが連続する。その映像と楽曲は面白い。南北朝時代にロック&ミュージカルだ。持っているのは琵琶だけどあきらかにエレキギターの音がする。非現実的でヘンテコな独自のエンタメは面白い。ちょっと長尺すぎるかもしれないが、もはやライブ感覚で楽しめる。ただ、最後の演目で一番変わったことをするのかなと期待していたが、それまでの演出を超えることはなかったのが残念。
さて、本作では異端の存在としてロックを描くが、好む好まざるに関わらずロックの文脈に生きる我々にはむしろ親しみやすいものを感じてしまう。もちろん、南北朝時代にロックをやるという意味での異端というのは理解しているつもりだが……。私がこれを見ても「なるほど、こういう和風っぽい人々がロックンロールするのってたまにあるよな~」と思ってしまう。要するに、思ったより普通だったのだ。
それとは別方向で問題なのが、私は歌詞の意味が入ってこないタイプの人間なのだ。意識しないと何を言っているのかわからない。歌詞をいったん頭の中で文字に変換しないと意味を理解することができない。
彼らはあのエンターテインメントの中で平家物語を語る。ある程度は意味を理解したい、と思って歌詞に集中してしまったのが悪かった。また、観に行った映画館の音響は重低音がリッチで声が前面に出てこなかった。迫力こそあったが、歌詞を聞くという意味では向いていない。
ともかく、歌詞を理解するという選択をしてしまった結果、映像表現に集中できず、かといって聞こえなかった部分も多々あるので歌の物語を追うこともできず、どっちつかずになってしまった。
せめて字幕で歌詞を表示してくれたら……と思ったが、落ち着いて考えるとライブ感のある演目で字幕を付けるのは興が削がれるかな。
メタ的だが、我々視聴者には2回見に行くという選択肢があるので、1回目は何も考えずに楽しむ方針で行き、歌詞の意味やバックグラウンドなど理解した上で2回目に臨むべきだったかもしれない。
そういうこともあり面白いと思いつつも、犬王に乗り切れなかった。
戦略ミスだな~
もちろんこれは作品の問題というより私の問題だが。
話を一転、シナリオの起承転結でいうところの「転」は面白かった。天才がお上に迎合して、独自路線は封印されてしまう。
犬王は実在の人物だが、歴史の教科書で習った記憶はない。当時の記録もほとんどなく、歴史から消えてしまった。その事実にある程度の理由を与えてくれた。もちろんファンタジーだが、現実へと連結している。
ちゃんと締められていたので観終わった時は結構スッキリした。
くどくどとしょうもないことを書いてきたが、総合的には普通に面白かったです。
サントラを何回か聴いてテンションを合わせて2回目に挑むとより楽しめそうな感じがする。
(サムネイル画像は公式サイトから)