真田丸第22話について
真田丸第22話です。北条氏政が遂に上洛を承諾、しかし、沼田城を真田から取り戻すという条件付きでした。北条から板部岡江雪斎、真田からは真田信繁、徳川から本多正信、各大名家の名代が関白秀吉の前に集まり、沼田の真の主を定める「沼田評定」がいよいよ始まりました。
板部岡江雪斎「そもそも、沼田城は上杉のものであったところを天正6年、御館の乱の際に我が北条が奪い取った城でござる」
御館の乱(おたてのらん)は、天正6年(1578年)3月13日の上杉謙信急死後、その家督をめぐって謙信の養子である上杉景勝(実父は長尾政景)と上杉景虎(実父は北条氏康)との間で起こったお家騒動のことです。御館とは、謙信が関東管領上杉憲政を迎えた時にその居館として建設した関東管領館のことで、春日山城下に設けられ、後に謙信も政庁として使用しました。現在の直江津駅近くに当時の御館の跡が御館公園として残っています。
板部岡江雪斎「よって、沼田は北条のものであることは明々白々」「以上!」
石田三成「それにつき、真田の言い分は如何に?」
真田信繁「確かに、かつては北条のものでありましたが、天正8年、城は武田の手に渡っております。以後、織田に引き渡すまでの2年間、沼田城は真田の支配で御座いました。何故北条殿が己が城と言い張るのか、全く解せませぬ!」「以上!」
秀吉「面白い!」「双方真っ向から言い分がぶつかっておるな」「そもそも沼田城というのは誰が築いた?」
石田三成「片桐殿」
片桐且元「はっ」
ここで待ってました、とばかり、沼田家系図の巻物をぱっと開き、片桐且元のプレゼンが始まります。
片桐且元「沼田城を築いたのは上野の国衆、沼田顕泰に御座います。顕泰は上杉に近く....しかし、ここが面白い所ですが、家中に騒動が起こりまして、何と家臣が上杉方と北条方真っ二つに分かれ、その時騒動を鎮めたのが...」
秀吉「長い!」
片桐且元「はっ!」
片桐且元「上杉謙信ということで御座います。以上。」
秀吉「で、何故皆この城にこだわる?」
石田三成「片桐殿」
片桐且元「はっ」
秀吉舌打ち(また、お前か...)
ここでまたまた待ってました、とばかり、新しい沼田周辺の地図の巻物をぱっと開き、片桐且元のプレゼンがまたまた始まります(笑)。
片桐且元「沼田城は、上野と越後の国境に御座いまして、関東の最北に位置します。利根川と片品川に挟まれた絶壁上にあり、天然の要害とも申せます。守るに安く、攻めるに堅しとは...」
秀吉「沼田が如何に大事な城かはよう分かった」
片桐さん、頑張って家系図や地図を用意しましたが、立場なしです...(笑)
秀吉「続けよ!」
石田三成「江雪斎殿」
板部岡江雪斎「最も大事なのは、どちらが先に城を有していたか...とすれば、北条であることは明々白々」
石田三成「それに対して、真田殿」
真田信繁「どちらが先かは意味の無いことで御座います」「それを言うならば、城は上杉に返さねば筋が通りませぬ!」
秀吉「一本!」
真田信繁「沼田はかつて、上杉、北条、真田が三つ巴で争っていた場所。そこへ織田が現れ、横から城を奪い取った。大事なのはその織田から誰が奪い返したかでは御座いませぬか?」
板部岡江雪斎「それならば北条である!。上野・信濃から織田を追い払ったのは我が北条の軍勢じゃ!」
真田信繁「織田を追い払ったのは北条かも知れませぬ。が、しかし、沼田城に関しては真田が己の力で勝ち取った城で御座います!」
板部岡江雪斎「否!」
板部岡江雪斎「勝ち取ったと申すが、実のところは本能寺の騒ぎに紛れて掠め取っただけでは御座らぬか...」
真田信繁「それは言葉が過ぎまする...」
板部岡江雪斎「掠め取ったではないかっ!!!」
真田信繁 (うわぁ....っ!! と言ったかどうかは分かりませんが 😅)
板部岡江雪斎「更に言えば、当時真田は織田の家臣、滝川一益の下に付いており申した」
板部岡江雪斎「つまり、真田は、主人の滝川殿を裏切り、沼田を、騙し取ったのです」
板部岡江雪斎「違うか?」
これはなかなか痛い所を突かれました...😅。事実ですので、こういう時は相手の言い分を認めざるを得ません。むしろ、堂々と認めた方がかえって印象は良くなります。何せ下の者が上の者を倒してのし上がっていく下克上の戦国時代ですから、織田の滝川一益の下に付いていた真田が、好機到来で城を掠め取るのは当時悪いことでも何でもありませんでした。
真田信繁「仰る通り、騙し取り、掠め取り...」
真田信繁「勝ち取りました!」
なかなか真田信繁、潔くてかえって好感が持てました!(笑)
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