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「自分」に迷うあなたへ
どうやら、近頃うちの娘は「自分が何者であるか」を探ろうとしているようだ。
自分にどんな特性があるのか、
それはどこのどういう類に当てはまるのか…
それを探ることは悪いことじゃない。
「自分を知りたい」
その疑問は、誰もが少なからず通る道のような気もするし、自分で自分に問いかけるのも必要なことなのかもしれない。
思春期の娘なら、そこに不安を覚えるのは当然だし、何かに当てはめておきたいという気持ちも理解できる。
ただ、かといって必ずしも、既存の概念に分類しなくてもいいじゃないか。
私は、あなたが何者であっても別に構わない。
女だろうが、男だろうが、人以外の別の物に分類されようが…
あなたは他の何にも変えられない、重なることもない、唯一無二の「あなた」という存在なのだから。
*
人はよく、マジョリティとかマイノリティとか分けたがるように、何かの型を作ってそこに当てはめようとする。
形が先にあって、そこに必要な要素をかき集めていくようなイメージ。そして必要なパーツがないと落ち込んだり、劣等感に苛まれたり、さも「ある」ように見せて無理をしたりする。
でも、本来は逆なのではないと最近思う。
自分が元々生まれ持っている特性、好きなこと、感動すること、苦手なこと、おぉ!って思うこと、ビクッとなること、ちょっとずるいところ、恥ずかしい部分…そんなひとつひとつの色や形も全部バラバラで、他者とも違うピースを積み上げて、少しずつ勝手に形作られていくのが「その人」なのではないのだろうか。
それをジャンル分けすることなんてできるわけはないし、ましてや他者を真似たり、比べることなんて到底できるはずもない。
「あなた」は「あなた」だ。
そんな何者でもない「あなた」を私はとてつもなく愛しているし、どこかの部分を無理矢理変えようとしたり、隠したりするのはやっぱり…悲しい。
人生は長い。
まだまだあなたを形成するたくさんの自分の感覚や感情と出合うだろう。
それらを無視せず、否定せず、「私の大切なパーツなのだ」としっかり受け止めて、またオリジナルなあなたを作っていってほしい。
そして、それこそが「私」なのだ!と、あなたをいつも見守ってくれているお日様に胸を張って、堂々と生きていってほしい。
大丈夫。
母はいつだって、どんなあなたでもあなたの一番の味方だから。
生きてそこにいてくれるだけでいい。
生まれてきてくれて、ありがとう。