改めて、自己紹介⑥【浪人時代編】
こんにちは。
株式会社Majorの大東直人です。
noteをスタートして、2年9ヶ月でやっとちゃんとした自己紹介をやってきたが、今回は第六部。
毎月一部ずつ公開中。
そして、今回は、大学時代編の前に、浪人時代編。
野球をやりすぎた末・・・
夏の高校野球、2回戦敗戦が決まると、大学受験にむけ勉強の日々が始まる。母校は、進学校であり、90%以上が大学に進学する。その為、必然にどこの大学に行くかというのが話題になるし、決めざるを得なくなる。
当時、高校2年生から理系の道へ進み、科学や物理、数学IIIの授業についていけず、とても苦労しながら受けていた。テストも赤点が多かった記憶がある。そして、受験期にはいよいよ点数を上げるために、文系に移転するといういわゆる「文転」をして、大学受験をした。
1月中旬にあるセンター試験、ボロボロ(笑)。親から大学行くなら、国公立に行きなさいと言われていたので、受けたところが、中国地方のとある大学と、関西のとある大学の経済学部。2次試験もボロボロ(笑)。潔く、浪人をすることを決断。
今思い返せば、その地方への受験に、父がついて来てくれていたなと。ありがたいなー。思い出すと涙出てくる。
決めたことをやることと、忍耐
浪人は、予備校などに通う人が多いと思うが、我が鳥取県は、予備校があまりないかわりに、「専攻科」と呼ばれる浪人生が通う高校のクラスがあり、わかりやすくいうと高校4年生だ。専攻科は2クラスあり、理系と文系で分かれていて、母校に設置されているクラスだったので、すごくありがたかった。また、4年間制服を着たことになるので、少しお得感も(笑)。
授業は、受験専用の勉強を集中してやり、放課後は塾に通いながら、勉強の日々。唯一の楽しみは、年に1回ある校内の球技大会で、専攻科チームとして出場できること。高校3年生までは、自分が所属している部活の種目には出場できなかったので、ソフトボールを選択できなかったが、専攻科になると関係ない。野球部の浪人生が多かったので、強く、決勝まで行って先生チームに勝ち、優勝したことが嬉しい思い出だ。
勉強は、集中すればできるのが自分のいいところで、計画を立てて、基礎を固め、模試などに臨んでいた。成績も、やればやるほど伸びていったのを覚えている。
ただ、実はこの年、日韓のワールドカップがあった年で、、観たかったけど、勉強を優先して、耐えたのことも覚えている。決めたことをやること、忍耐力はここでも力をつけてきた気がする。
願望を広げる、百聞は一見に如かず
浪人時代の思い出で、やって良かったことの一つに、行きたかった大学のオープンキャンパスにいったことだ。そこが、関東の大学だったので、初の一人旅、電車に乗って、横浜へ。今は、日本に一つしかない寝台列車「サンライズ出雲号」の昔のバージョン寝台列車「出雲」に乗って、遠路はるばる向かった。
大学は坂の上にあり、ついた頃には汗ダラダラで、毎日この坂を登ることになるのかと思うと、気が遠くなる感じはしたが、キャンパスに着いた途端、テンション爆上がり。憧れの大学ライフ、サークル、恋愛、一人暮らし、バイト、遊びー!!イメージすることでワクワクが広がり、絶対行くという決断をしたのを覚えている。大学生協で、その大学の団扇やチラシをもらい、それを机に貼って、毎日眺めていた。それほど、ここの大学に行くぞという思いは強く、勉強に打ち込んだ。
念願の第一志望へ
そして運命の1月のセンター試験。緊張はもちろんしたが、なんとかうまく行き、採点もいい感じ。結局、合計で8割くらいの点数が取れて、内申点も良かったようで、無事合格。ネットで、自分の受験番号があるかどうかのドキドキはたまらんし、確か、照合的な感じだったので、すぐ合否がわかった。
受かったときの喜び、最高。
そして、念願の横浜国立大学経営学部経営システム科学科へ。
一人暮らしを始めることに。
ここから関東生活が始まる。