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初夏のいい季節に長崎へ歴訪の旅

こんにちは。
株式会社Majorの大東直人です。

前回書いたクラシックホテル(雲仙観光ホテル)と一緒に長崎市へ観光も行ってきた。今回のテーマは「長崎歴訪」。

日本で最初の商社「亀山社中」

長崎の歴史にまつわる観光地で有名なところは何ヶ所かあるが、外せないのは、幕末藩士、明治維新のきっかけの先駆けとなった坂本龍馬が作った「亀山社中」。
坂本龍馬といえば、土佐藩(高知県)なのでなぜ長崎??と思う人もいると思うが、長崎は外国との外交があり、坂本龍馬は武器商人だった為、長崎で貿易したり、サポートしてくれた薩摩藩(鹿児島)が近かったというのが理由と言われている。
そして、仲間を集い、亀山という土地に日本最初の商社と言われている「亀山社中」を作ったと。
この辺りは、龍馬通りや公園に龍馬像、龍馬のブーツ像があったりと、坂本龍馬尽くしのエリアになってる。坂道がきついが、歩きながら坂本龍馬のルーツを巡るのは楽しい。
亀山社中には、当時の屏風があったり、書簡があったりとリアルを体感することができる。若くして、日本を変えると立ち上がった坂本龍馬。その勇気と先見性、リーダーシップなど学べるところが多い。
もっと坂本龍馬のことを知りたくなった訪問となった。

鎖国時代、唯一の外交の場「出島」

長崎といえば、港町、そして、江戸時代に鎖国されていた時に唯一オランダとだけ、外交を目的として西洋の窓口となっていたのが「出島」である。
元々は、キリスト教徒を追いやるために、長崎の町商人が作った人工の島が「出島」で、そこからオランダの会社との交易の場として使われていた。

明治時代以降、出島は埋め立てられてしまい、島ではなくなったようだが、1951年から長崎市が復元整備事業を行い、今は「出島和蘭商館跡」で復元がされており、出島のことがわかる観光地となっている。
まるで江戸時代にタイムスリップしたような当時の様子が復元され、出島で行われていたこと、暮らしの様子などが鮮明にわかるような施設になっている。
ここで約1時間半滞在。
時間も忘れるくらい、歴史を学んでいた。西洋文化もここから日本に伝わっていたということで、大事な拠点だったことがわかる。
メモをとっている修学旅行生もたくさんいた。リアルに学べるのは最高の機会。

永遠に忘れてはならない平和公園

長崎といえば、日本でも外交や港町として重要拠点であり、そこに1945年8月9日に原爆が落とされた。この事実と真実を後世に伝え続ける必要があることを改めて心に誓った場所となった。
広島の原爆ドームは、小学生の頃修学旅行で行ったことあったが、長崎は初めて訪問。
原爆落下中心地、原爆資料館も見ながら、平和祈念像へも行ってみる。
初めて見た祈念像は、いろんなメッセージを発していた。

像の柔和な顔は神の愛と仏の慈悲を、天に向けて垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした右足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた左足は救った命を表し、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている。

実際にリアルを目の当たりにすると、いろいろ考えされられる。本当にこの事実、戦争や原爆の恐ろしさ、平和の大事さ、言葉では言い表せないくらいのリアルを伝えていく必要がある。

歴史から学ぶこと、感情が動くこと、未来にワクワクすることたくさんあった。美味しいものも食べる、楽しむ旅もいいが、歴訪の旅、またやりたいと思う。


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