7年ぶりに最初の恩師に会った話
皆さんには、最初の恩師のことを覚えていますか?
というか、今でも恩師といえる人はいますか?
僕にはざっと4人いますが、その中で最初の恩師に会ったときのことを書きます。
1.軽く回想
最初の恩師とは、小3の終わりから高校受験を終えるまで算数・数学を教えていただいていた塾の先生である。
僕がいた塾の受験学年は非常に過酷で、1日フルで休みだったのは正月しかなかったほどだ。
そこで「勉強は嫌だ」という社会的な偏見が麻酔のように抜かれたことは、今でもプラスになっていると思う。
また同じ中学ではその塾に行く者のことを「〇〇(塾名)教」と揶揄されていたのだが、僕も立派な教徒の1人であった。
僕に限らず今でも慕っている人は多い先生なので、良い宗教(チックなもの)だったのだろうとは思う。
なぜこの人を恩師と思っていたのか、いざ自問してみるとよく分からない。
この塾の中で個人的な印象が最も強いことや、受験に成功させることで人生の根を作っていただいたことという物理的な恩はもちろんあるが、それ以上のものもあったと思う。
こういうのは「なんとなく」が一番いいのだろうと思う。
この日はそんな僕と同じ時期に教わっていた腐れ縁2人と、計4人で会った。
2.先生の凄さが昔よりも分かれた
久しぶりに人に会うのなら、人生を感じられるような会話がしたい。
これは常々思っていることだ。
こういう場だと昔話に花が咲くケースが多いが、今回はあまりそういった話はなかった。
今なにをしているのか、どうしているのかという話がメインだった。
これは僕的に非常に良い流れだ。
そして仕事云々よりも考え方みたいなところの方が話してみたかったのだが、これがそういった話に傾いてくれる。
僕はこんな感じで擦れて捻くれているので、
自分ではこの数年で大きく変わったように思っているが先生目線ではあまり変わっていないか、予見できた変化にとどまっているようだった。
驚かせたいという欲も少しはあったが、本物には通用しないのだなと思わされる。
それにしても、やはりこの人は凄い。
当時ははっきりと分からなかったが、知識や考え方において
明らかに塾講師の領域を超えている。
「当時ははっきりと分からなかったが」というのが肝だ。
そもそも人を正しく評価するには自分もそれ相応なレベルが必要なものである。
この話についても別の機会に書こうと思うが。
なので、当時は分からなかった凄さを分かれたことで、少しは自分のレベルが上がっていたのだということを実感できた。
業務上必要ないはずの各業界の状況なんかについては、業務上少しは必要なはずの僕より遥かに詳しかった。
考え方においては、思っていた以上に自分が見てきた生徒の将来を考えてくれているようで、その日に来ていない同級生や僕たちの状況なんかも詳細に聞いてくれていた。
塾講師としては受験にさえ合格させてしまえばどうでもいいはずなのに、である。
こういうところが「なんとなく」の部分だったのだろうなと思う。
自分の一番凄いところは「尊敬する人を間違えない」ことだと思っているが、それをさらに裏付けることになったと言える。
3.何年ぶりかの課題
僕はこの日、どうしても先生に聞いてみたいことがあった。
これは最近ハッとした言葉だ。
まさに今の僕を現しているからである。
そのため、今こうやって人間軽蔑と傲慢が現れていますということを先生に話した。
これは、何としてもこの先生に聞いてみたかったことだ。
なにせ、僕が小学生の頃は「俺がルールだ」とか言っていた人なので(どこまで本気だったのかは分からないが)
大なり小なり、これを乗り越えた人なのではないかと思っていたからだ。
すると、
「お前に今後10年間の課題を与えよう」
と言っていただいた。
これは素晴らしい展開だ。
未だに課題をいただけるとは。
この時の期待感が右肩上がりに上がっていった感覚も珍しかった。
「他人に対してはんなりしろ。」
それがいただいた課題の内容だ。
今としては全く意味が分からない。
だからこそ良いのだ。
しばらくして解散し、外に出ると東京の夜が心地よかった。
人生において先生といえる人がいるのかどうかが、
特にこのよく分からない現代ではひとつ大事なことだなあと常々思う。
翌日お礼のLINEをしたところ、
「色々考えてまた色々話をしてください」
と返信をいただいた。
まずはこれに対する返信を、色々考えている。