命をたたむ
100年後には誰も私のことを知らないから、きっと私が思っているよりもすぐに私は消えるだろう。教科書の中の彼らのことを覚えている人なんていないから、きっと彼らも消えている。残っているのは、名前と成し遂げたことだけ。偉業、なのだろう。でも彼らはやっぱり生きていない。
どう死にたいか、なんてことを考える。
私が死ぬとき横に誰がいるのだろうか。私がどれだけ必死に生きても、結局私はいずれ消えてしまうから、隣にいるべき人なんてきっといない。私の人生は数あるうちの一つで、私以外の人にとってはどうでもいいものだから私は、これから私が生きていても死んでいても、どうでもいい。
最後まで自己満足だけの人生だ。誰かのためになることも誰かを傷つけることも、全部が自己満足で、数百年後には私の存在ごとなかったことになる。だから、心底どうでもいいのだ。私が今楽しかったことも悲しかったことも嬉しかったことも悔しかったことも幸せだったことも、いずれなかったことになるのだから、命に意味なんてない。だから、私は誰にも気づかれないくらい静かにいなくなりたい。ただ自己満足に、自分のことだけ考えて幸せになって不幸になって誰にも私のことを知られずに死にたい。
この先、もういつでもいい。私を殺してくれる誰かが、私を殺してくれる何かが現れたとして、私はそれに身を任せて消えてしまいたい。私は生きていても死んでいてもいい。淡々と命は処理されていく。結局私が望んでいたような暖かさなんてない。死んだら何もなくなるだけ。
西田敏行さんという方が亡くなったそうだ。私は彼の活躍も知らないし、名前も知らなかった。夜のニュースの「どう命をたたむか」という彼の言葉が、どうにも頭から離れない。
何年も前に自殺した女の子のnoteの〆の文章がTwitterで話題になっていた。「さあ朝が来る、幸せになる準備だけはいつだってできている」
日が経つほどに私の手はあの子を撫でた感覚を忘れていく。声も、顔も、匂いも、だんだん輪郭がぼやけてわからなくなる。9年一緒にいてもそうなのだ。だからきっと仕方がないことだ。だから私は誰も悲しませたくない。誰にも覚えられなくていい。自分が消えても、それでいい。誰かの中で生きようとも思わない。静かに消えれたらいいな。
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