雑記 死ね 2024/10/30

私は、ボカロが好きだ。
普段周りに見せないように精神をすり減らしている、辛い苦しい羨望嫉妬その他もろもろ、醜い感情を私の代わりに歌ってくれるような気がする。それに救われている人が確かにそこにいることに、私は救われている。

父にも母にも、妹にも親友にも、誰にも言えないことを歌ってくれる、かけがえのない場所だと思っている。


私の母には悪癖がある。
歌詞やら台詞やらにいちいちいちゃもんをつけたがること。
殺意さえ覚えるが、それをぐっと堪えて母が馬鹿にした世界に閉じこもることが、日常茶飯事だ。


インターネット上にあるものは特に、文脈がすべてだ。
その人のバックボーンだったりその曲にかける思いだったり、そういったものに自分を重ねて完成する。

私は文脈を知っているから、その歌詞のその言葉回しの意味が分かって感動したり面白がったりできる。
でも母にとってはそんなことはどうでもいいらしく(自分が好きなアーティストの曲はその文脈や考察までしっかり見てるのに!)、イラついているときに聞こえてきた歌詞に脳死で言い返しているらしい。

別にストレス解消にもならない上に人の気分を害するわけで、なぜそんな不毛なことになるのだろう。


知りもしないのによく馬鹿にできるな。
こんなに誰かを救っているのに、そんなものにも感動できないのか。嫌いなものを突っぱねることしかできないのか。かわいそうだな。

…なんて言葉を飲み込み続けている。


私の家では、割と暴言が飛び交っている。そのほとんどは妹だった。
妹の学年は下の子が多くて、上の子が言う言葉をその重さも知らずに軽々しく使う子が多かった。それに影響されたのかなんなのか、中3にもなって死ねだのクソだの、口が悪い。

しかもそれに影響されて、年々母まで口が悪くなっている。
本当に勘弁してほしい。中学生はまあギリ理解できるけど、いい年した大人が死ねはキツいって。


届きもしないテレビの向こうへ、どうでもいいことにいちいち暴言を吐くのが我が家の食卓だ。良いニュースに対してもなぜか暴言が出てくる。嫉妬か何か知らないけど、人の不幸なんて願うものじゃないと思う。

阪神ファンがテレビ見ながらどうこう言うのとはわけが違う。阪神ファンはなんだかんだ勝ったら喜ぶし、その野次には愛がある。人を責めるような野次ではない…と、思いたい。


どこまで人は残酷になれるのだろう。
もはや、私が死んでなくなった方がこの人たちは幸せなんじゃなかろうかと思い始めた次第だ。

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