雑記 特別 2024/10/27
特別になりたい。
そう思い始めたのはいつだっただろう。
小学生のころ、先生からの信頼を肌で感じていた日々だっただろうか。
同い年の男の子に告白されたときだっただろうか。
生徒会で庶務として仕事をたくさん任されていた日だっただろうか。
はじめて身近に推しができた日だっただろうか。
それとも、記事にいいねしてくれた方の記事を見て、素敵だと思ったけれどフォロワー数を見てフォローの手を止めてしまった、あの日だろうか。
とても素敵な人だと思ったし、文章はすごく好きでフォローするに値したと心から思う。
でも、私には手が届かないと思ってやめてしまった。
彼女をフォローしている5000人余りの人の中で彼女にフォローされている30数名が、ひどく特別な人のように見えてしかたなかった。
逃げるようにパソコンの電源を切ったあの日から、その方を見つけることは二度とできなかった。次の日に見に行くとアカウントは消えていた。
私は、私の特別な人の特別になりたい。
彼女の記事を読んだ時点で、あるいは彼女にいいねされた時点で、彼女は私の特別になった。
私を見てほしかった。いいねしてほしかったし、フォローしてほしかった。
私が彼女を特別な人だと認識したその段階で、彼女は私にとって遠巻きに眺める相手ではなくなっていた。
私は、「誰か」の特別になりたいんじゃなくて、
「特別な人」の特別になりたかったんだと思う。
承認欲求と言えばそれまで。
私の大好きな人、尊敬している人。私の、特別な人。
他でもないあなたの、特別でありたかった。
相談相手としてでもいい。恋人としてでも、家族としてでもいい。
「隣にいてほしい人」でありたかった。
なんとも身勝手なように聞こえてしまうが、実際、私は身勝手だ。ネット越しなのに、コメントさえしたことがないのに、隣にいるようにに感じてしまう。
そんな相手が、私にはたくさんいる。
今の古典の先生もその一人。大好きですごく尊敬しているし、一時は看取りたいとまで思っていた(重すぎる、愛が。)けれど、1対1で喋ったことはない。ネットならまだしも、リアルでこれだと悲惨だ。
彼女の特別になれたらなんて幸せなんだろうと思う。
もちろん、彼女は生徒全員に向けている愛を私にも同じように向けていることも、絶対に叶うことのない願いだということも知っている。
そんな相手が、本当にたくさんいる。
本当は寂しがり屋で、ずっと不安で満たされている私は、そうやって均衡を保ってきた。
そんな歪な特別を、私は願ってやまない。
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