思考実験:29日目「悲しさ」を感じたとき、そこにある悲しみの感じに「はい。わかりました」と言う
私は、子どもから親や世界の愛は無条件で直向きなものだと思う。親が子どもに「愛を与える」ことが大切なことだとしたら、その行いの最も重要なひとつは「子どもからの愛を受け取ること」だと思う。
私自身の子ども時代を振り返って、親から色々物品や食料、環境を与えられることより、私は私が「親を愛しているからしたこと」を受け取ってもらえなかった記憶が、心の中で冷たい傷となっている。
そこだけ血が通わず、冷たく壊死していく。
私は悲しいと感じるより、この世界から出て行きたいような感覚を覚える。
悲しいと感じることができれば、耐え難いなんだかめちゃくちゃな感覚には陥る、が、生きている。
悲しいと泣いたらセックスしなくてはならなかった。何年それが続いたっけ。
悲しいと感じるとき、混乱した記憶が押し寄せてきて、せっかく生き延びて今があるというのに、いちいちがまた混乱混乱していく。
混乱の中にいるまま、普通の人みたいに普通に生活しているように振る舞っていると疲弊する。ただ少し休みたいという願いが、とにかく非常口から今すぐ出ていきたい衝動として、私の中にありありと生きている。
悲しいとただ感じることが、困難だし、わけがわからない困難さを引き起こすことが悲しい。
はい、分かりました。
私の中に温かな優しい気持ちが育まれますように。