ヒマラヤ山脈と鬱
私は遥か昔にヒマラヤトレッキングをしたことがある。
当時の友人と私と、シェルパとガイドとの4人のパーティーで、村から村へと歩いた。ヒマラヤでは、村を出た後は次の村まで草も生えていなかった。
ヒマラヤ山脈を歩いていた時、私は酷い鬱だった。それまでの流れで「インドに行かねばならぬ」と強迫的にインドに行き、その道すがらネパールに降りて、そしてそのままヒマラヤ山脈トレッキングとなった。カトマンズで泊まった宿に旅行代理店がひっついていて、あ、と言う間もなくそういうことになっていた。
で、ヒマラヤを歩いたって鬱は良くなることはない。それどころか、正気の沙汰を遥かに越えて辛かった。まず朝が辛い。寒くて動くことも動かないこともままならなかった。なんせ、山小屋の壁の隙間からはふかふかの雪が見える。私たちは蛹のようにシュラフに入っていて、当時の友人はやすやすと着替えたが、私がそこから出るのは大仕事だった。鬱特有の動き難さがあって、身支度はめちゃくちゃに大変で靴を履くのが本当に辛かった。右足と左足と、どちらかを決断してやらねばならないが、それがめちゃくちゃに大変なのだ。
そして、朝食もままならずとも次の村までいかねば死ぬのは確実なのだけども、だからといって歩く気力が湧くわけでもない。鬱々と一歩一歩が地獄のように重く辛く、しかも遅々としか歩けないなので予定では8時間歩く、というところを12時間歩いた。当時の友人はというと、ガイドの青年に気に入られて、2人ですたすた先を行って、私はひとり足元の石や砂地を見つめ続け、目前に立ち迫る山脈を見つめ続け、実のところ何も見ずに鬱鬱としながらこれを5日間続けた。毎日頭痛と眩暈がし、食べられず、食べていないのにお腹を下していて、要するに高山病である。
私の腕にはざくざくと自分でつけた切り傷があって、ヒマラヤを歩きながらひたすら頭の中は鬱思考が止まらなかった。自分でも病気だな、同じことを考えでも考えてもまだ考えてるな、と気づいていて、明確な病識があった。病院を掛け持ちして大量に飲んでいた抗うつ薬とか睡眠薬とか、それを止めるにはいい機会だと思ったが、全然いい機会なんかではなかった。とにかく毎日荒野を崖をじりじりと歩かねばならず、そうする間に腕の切り傷をどうこうする暇などなく、その間に傷はめきめき回復した。
私の肉体は健やかで、私の心と精神だけが病んでいた。
私は私の鬱を侮っていて、環境が変われば気分も変わると考えていたが、全くもって環境なんかに左右されず、大自然の中で朝日を浴びて、毎日野外を歩き、そして鬱のままであった。