思考実験:4日目「悲しさ」を感じたとき、そこにある悲しみの感じに「はい。わかりました」と言う。
「悲しさ」を感じたとき、そこにある悲しみの感じに「はい。わかりました」と言う。
悲しいと感じた時に「悲しい」と感じても大丈夫なだけの安心が、全ての人にありますように。全ての子どもにありますように。
悲しいと感じたときに、安心して無防備に「悲しい」と感じることが当たり前な場所にいきたい。
そんなところでは、「悲しみ」という言葉の意味は「愛」とか「優しさ」と同じものになるんじゃなかろうかと、私は思う。
胸がぎゅっと詰まり、身体が冷たくなって力が抜けていくのを感じた時、私は混乱してしまうが、そんな時には立ち止まって「はい。わかりました」と言う。そうすると、「ああ、今私は悲しいのだ」と分かる。
はい、わかりました。
悲しさを感じたとき、そこにある悲しい感じに「はい、わかりました」と言う。
十分な安心を感じられている状態がないと、そこに感じている「感じ」があったとしても、それが何なのか分からない。
自分が感じている「感じ」の名前を知るには、学習が必要。「感じ」はそこにあっても、それがどんな名前の感情なのかを知るためには、学習が必要。そこの学習に不足がある私は、自分が何を感じているのか、しばしば分からない。
私は自分が「恐怖、不安、不快」を感じていると思っていたけども、実はそれらの中に「悲しみ」が沈んでしまっていた。
私の感情的体験の中から、「悲しみ」を掬い取る。
その「感じ」を体験しているとき、「私が今その「感じ」を感じていても大丈夫だ」という安心を覚えた経験があってこそ、自分がそこに感じている「感じ」が何なのかが分かるようになる。
この思考実験は、その安心を自分で自分に贈る試みである。
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