意味なんかいちいち決めなくてもいい
忘備録: 嫌いな人の幸せを祈る
去年「そのままの自分で嫌いな人の幸せを祈るWS」ってのをやった。
私はしばしば「あの人嫌い」「こんな人嫌い」「嫌いな人がいっぱい」とか言う。でさ、時々「え、わたしも嫌われてたらどうしよう」みたいなことを言われることがあるけど、私としては、それってあなたが「人のことを嫌いとかいう発言が嫌い」なんじゃないかな、私のことを嫌いって思うのも嫌なぐらい私と私のセンスと私のまわりの空気が嫌いなんじゃないかな、と思っている。知らんけど。
私は嫌いな人のことは永遠に嫌いだ。これは小さい時から変わらない。
私は嫌いな人には近寄ってもらいたくないから、心掛けてその人と私が一緒にいる時には居心地悪くする。もちろん、そもそもが同じ空間にいないことに全力を注ぐけどさ。
でさ、私は時々思いついたり思い出したりして、嫌いな人の幸せを祈る。
例えば、私の身体を痛めつけて痣だらけににして「生徒への愛だ」と言った教師とかが、健やかさに満ちていて、いるかどうか知らんけど、パートナーとか家族とか、愛する人がいて、その人たちと深く愛し合っていて、安心の中にいて、満たされていて、やりたいことをやっていて、やりたいことをやるのを心から応援してくれる人たちがいて、優しく温かな幸せに満たされているところをリアルに思い描いたり、漠然とだったり、とにかく幸せを祈る。
そうしたらどうなるか?って、私はその時私が体験することを体験することになる。
だから何なの?っていうと、なんでもない。いちいちに意味を決めたりしなくてもいいんだよね。
嫌いな人のことは変わらず嫌いなままで、私には私のいのちを生きている今がある。