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忘備録: 「感じきる」の前には「固有感覚」が発達していることが必須ってことと、恐怖麻痺反射の残存と。

「感じる」ためには、「自分が存在していることが分かる神経回路」が機能していることが必要。そして、固有感覚を育てることが必要。

ここで言う「感じる」って「刺激への反射(脊椎反射とか)」のことではなくて、「感じる」(勉強不足でちゃんとはわからない)。

例えば、モロー反射の残存は、感じきって統合(怒りを感じきるとか)なのだけど、恐怖麻痺反射の残存があると、「感じる」ことが上手くできなくて、「刺激に曝露する」ってことだけになって、その刺激にさらされ続けると「恐怖麻痺反射の残存」をより強化していくことになる(私的には)。
私は「私にとっての不快な刺激」に曝されると、(慣れるのではなく)よりその刺激に脆弱になって、より過敏に反応が出るようになる。一般的には少しのことでも(例えばテレビから男性ニュースキャスターの声が聞こえてくるとかに)圧倒されてしまい回復までかなりの日数が必要になる。

それから、恐怖麻痺反射は「統合」に向かうって質感ではない(私的には)。どちらかというと、「境界を明確にする」方向へ向かうのが健やかな感じ(私的には)。
快yes 不快にnoを表現して、快適を選ぶことをする(ちょっとでも不快ならnoと表現するのが大事。なんせ境界を作るのだから)ことで、私が私の境界を明確に感じられるようになって、それに伴って「自分が存在している」という感覚が分かるようになってくる(私はそう)。
「自分が存在している」という感覚が分かるようになってくると、やっとここからいわゆる「怖い」という「感じ」が分かるようになる。そうなって初めて「感じる」ことが可能になり、「(一般的に)怖がっているように見える」ような反応が出るようになる。

肌の感覚が快を感じる方を選ぶ結果、私はあまり服を着ない。冬は寒いけど。

私は対人関係においてレジリエンスが低い(割とすぐ終了してしまう)のだけど、多分これはレジリエンスが低いことに意味がある(と私は捉えている)。
いやさ、私の偏見だけどさ、なんかほとんどの場所が「健常者」の安心安全と「健常者」の経済的発展を支えるための構造ばかりで、そんな中でレジリエンスなんか必要なくて、崩壊へと順調に進んで行く健やかさってのがあるのだわ(私には)。

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