本能 と 身体を大切にする ということと

メモ: 本能 と、身体 を大切にする ということ

中学生の時に性的搾取に遭った経験があり、そのことを大人になってから気がついた女性のメッセージビデオを見た。
当時中学生だった彼女が、自分の通う学校の教師から長期間に渡って性的搾取を受けていたのだが、それを「恋愛」たと言い含められてどうしたらいいか分からないままそれが継続されていた、誰に何をどのように言えばいいのか、これは「恋愛」だと教師から言われて自分に何が起きているのかが明確に分からなかった、と彼女は言う。
私はやり切れなくなった。そりゃあ、分からないよね。分からないよ。分からなかったあなたは、おかしくない。

人間と他の動物との大きな違いとして、「食べる行為」「排泄行為」など「本能的行為」とみなされることを、長い時間をかけて学習して獲得するってのがあって、「生殖行為」も同様に学習によって獲得していく。なので、「健康的な性とどのように向き合うかの教育」がコミュニティ内でなされてないのに、巷に不健全な性情報があふれているのって、人間の尊厳にとって安全がないと思う。
性的搾取にあった人の尊厳が損なわれるのではない。搾取をした側が自らの尊厳を踏みにじっている。

性的搾取に遭って、それが何なのか分からなくて混乱するというのは、当然のことだと思う。子どもも大人も関係ない。それが何なのか、どう対応したらいいのかが、学習されていない限りは分からない。それが人間という生き物だ。
私の経験では、「本能的に分かる」ということがあるけれど、それは一般に信じられていることとはまるで違う。「本能的に何かおかしいと分かる」が、これは「本能的に自分を守る行為ができる」ということではない。
しかしながら「本能的におかしいと分かる」という状態があるのに「自分を守る行為」につなげることができないから、その不快を身体が忘れない。
一言でいうと、トラウマになるってこと。

再被害に遭う、ということもままあって、何故なら「被害経験」は「自分の身を大切に護る学習」ではないから。それは「自分を護った」経験ではないからそこから「自分を護る」という行為に自分をつなげることができない。
例えば、小さい子どもが、お漏らししたからといって、トイレに行く学習にはならないのと同じ。トイレで排泄することに成功できた経験があってこそ具体的にどうしたらいいかが学習できる。

私は、性的搾取に気がついた時にの辛さのひとつに、社会全体がまるで信頼出来なくなるっていうのがあった。
「度を超えてなにもかも信頼できない」という状態の自分を、オカシイを思っていたけれど、「信頼できない」ならそれはそれで健やかな感覚なのだと、「何もかも信頼できない」って孤独で怖くて苦しいけれども、その苦しさを祝福したいと改めて思った。私の本能が「苦しい」と感じるのは健やかなことだ。

身体を大切にするって、学習して身につけていく行為。私はそんなことが基本にある場所で生きていたい。

・・・・・と思ったのだけど、私はヒキコモリなのよねえ、、、
しかも今、ブリミアとなんだかんだでダメなのよ、、1年のほとんどがダメなのよ、、、と鬱々したら良い方法があった。
祈る。

身体を大事にする方法と、全部の人間が繋がれますように。


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