好奇心めらめら
Mちゃんが「理解したいの。それが何故なのか、何故この人がそんな風に思うのか、何故なんだろうって知りたくなるの」と言ったのを聞いて、私は「そりゃ、きっとそうだろうけどさ、ちょっとだけ嘘が混ざってるんじゃないの?」と思った。そんな風に思ったから、口を閉じておくことに集中した。こんな時には口を開かない方がいいということを、私は知っている。ここで「それ、本当にそうなの?」とか「嘘くさい」なんて言うのは歯を食い縛って我慢するのだ。これを我慢できたら、本当に本当の言葉が聞ける可能性が高まる。私は私の好奇心のために我慢した。
私は、Mちゃんは「私の言葉にギョッとしたに違いない」と疑っている。私はMちゃんは「理解したいのではなくて、心のビックリを治めたいのだ」と決めてかかっている。そして私は頑なに「もしかして私の言ったことでビックリさせてしまった?」とは聞かないのだ。理由は単純で、私は優しい人だと思われる可能性があるような言動は注意深く避けていて、そもそもそれを実現するために多少は人が聞いてビックリするだろう言葉を意図的に選んでいるのだ。
私はMちゃんが、私と同じ空間にいる時に安心して快適にいてほしいと思う。本当にそう思うけれど、私の心は小さいのだ。
私はMちゃんが私と同じ空間にいる時、私自身が心おきなく自由に伸びやかに辿々しい言葉を辿々しく紡ぐことをしたいし、そのためのサポートが欲しい。どちらかというと、私自身のやりたいことに関する願いの方が手前にある。私の狭い心は手前にあるもので他には何も入りそうにない。でもさ、私に安心している人じゃないとサポートだってしてもらえないじゃん、私にとってなゃサポートってさあ、本当に心からのその人の声なんだよ、例え「聞いていて、たまらなくイライラする!」でもいいの。
ああ、そして、私たちがどんな技を駆使したのかは分からないけれど、とにかく、Mちゃんと私はコミュニケーション、というところに着地できた。
コミュニケーションが叶った!と心から感じられる時、私はその時の相手の心に深い深い敬意と感謝が湧いてくる。あなたと私がここにいるって分かるとき、私の心は温かくなる。心が温かくなると、新しい言葉が私の中に生まれ始める力が湧き上がってくる。言葉を生み出すことは、言葉を構築することは、私の仕事であり私のいのちだ。
いきなりだけど、今日はここまで。