みちこのみち
未知の存在みちこ
「あなたは普段何しているの?」と聞くと、みちこは「ただのジムしてる」と答えた。
みちこは凛とした発声で話す。身体は小さいが声はよく通る。
私はみちこが着ているTシャツが気にいった。みちこの持ち歩いているショールも気に入った。みちこのTシャツには面白い猫のイラストが描いてあった。身体が黒くて後ろ脚だけ白い猫のイラストで、そのユニークな色味の猫はみちこの猫だということだった。私はそのTシャツが気に入ったので、みちこに話しかけようと思った。みちこのショールはアンティークのGUCCIだった。みちこのコーディネートは、私の感想としては、アンバランスだ。何かが違うような感覚を覚える。みちこはショートヘアで、カットは素敵だったけれど、多分、もう少し前にカットに行くとシルエットが保てていただろうな。私は「多分この人は、1ヶ月に1回とか、決まったタイミングで髪を切りに行くのだろう」と思った。私は美容室に行かない(というか、行けない)。みちこは美容室に行って、椅子に座ってケープをかけられて、てるてる坊主のように頭だけ出して、鏡に対面して、じっと自分の顔を見つめたりはしないだろうな。もしかしたら美容師と「大人ぶった話」をしたりするのだろうか?
みちこにTシャツのことを聞くと、みちこの猫の写真をSNSにあげていたら、その猫のユニークな色具合とシルエットを気にいってイラストに起こして描いてTシャツにしてくれた人がいるのだと言った。それから、「あなたにうちのみーちゃん(仮名)の写真をみせなきゃ!」と言った。私は「写真をみせなきゃ!」と言っているみちこを見て、使命感に燃えている坂本龍馬のようだと思った。
多くの人は知らないかもしれないが「猫の写真を見せる」とは、平和のための重要な任務なのだ。しかしながら、私は猫の写真は静かに黙って見たかった。目の色とか、鼻とか、肉球の質感なんかをよく分かるためには静かさと空間が必要で、私は猫を詳細に見たいのだ。私がみちこを坂本龍馬であると感じているとき、静かさを得ることは不可能だと思った。がしかし、みちこは猫の写真を私に見せる間、茶室のような静かさを顕した。
みちこに興味を持って、私は「あなたは普段何をしているの?」と聞いた。
事務員みちこ
みちこは「ただのジム」をしているという。みちこにとって「ジム」とはオーディナリーなことなのだろうと思ったが、私にとって「ジム」とはなかなかに技術を伴うものである。もう少し詳しく聞くと「社会保険の手続きとか、お金の勘定とか、その他なんでも」ということで「月初めは、先月の仕入れ、売り上げ、とかをまとめて、まとめた数字を親会社に提出。」とのことだった。なんとなく、みちこはみちこの仕事を気に入っているか、職場を気に入っているか、どちらか、或いはどちらもだろうな、と感じた。
踊る事務員みちこ
私は「事務員みちこ」と踊った。私たちはmovement medicineのイニシエーションで出会ったのだ。
イニシエーションは、本当にイニシエーションだった。まず私は「事務員みちこ」の父となり、みちこは私の娘として踊った。
みちこは踊っている間、私を見なかった。私に見られていることを意識している様子はあったが、私に見られていることが気に入らないようで、苛立ち、憤り、私の理解を拒み、私の存在を拒んでいるように見えた。それでも時々、私の元に戻って来て背中を押し出すように言った。
私はみちこが戻って来る度に柔らかな喜びに満たされた。私を満たした柔らかな喜びは私の中に蓄積された。一度目より二度目、二度目よりも三度目、私はより深く温かく柔らかな喜びに満たされて、みちこの背中を押し出した。信頼とは未知の無防備さである。私の体験は、みちこが私を信頼した、というのではなく、みちこがみちこ自身をを信頼するさまを見ていた、ということだったと思う。その「見ている」ということの無防備さと共に私は踊った。
続く。