タマタマガッチャンコ
僕は小学校2年生の息子といっしょに風呂に入っている。それで湯船につかっているとと、ほぼ毎回息子が「パパ。湯船に両脚かけて、すべり台にして」と頼まれる。確か2~3歳くらいから「お風呂すべり台」をやり始めて、もう5年くらいはやってます。今では息子も大きくなったけど、風呂を改装した際に湯船も大きくしたので、まだお風呂すべり台は問題なくできてしまう。
息子は湯船のへりに上がり込むと、毎回嬉しそうに僕の脚をすべり台にしてすべってくる。たぶん距離的には数十センチしかないんだけど、脚がお湯にぬれて滑りやすく、かつ息子も「少しでも長く滑らなきゃ」と両足を広げ、寝転がりながら滑ってくるので最終的には結構な勢いになる。
それで表題です。
勢いあまって、息子のタマタマと僕のタマタマがガッチャンコしてしまいます。「ガッチャンコ」といってもそれは効果音的表現で、僕は特に痛みを感じる事なく、滑り終えた息子は満足そうにゲラゲラ笑って、また滑るために湯船のへりに上がり、ガッチャンコは繰り返される。
冷静に考えると、すごい「映像」だ。
僕はホモセクシャルではないので、物心ついてから他の息子以外の誰かと「タマタマ」をガッチャンコさせた経験はない。タイムマシンを使って16歳ごろの僕に「おまえは将来、生まれてきた息子とお風呂場でタマタマをガッチャンコさせることになるよ」と予言すると、「血を分けた息子でもそういうのはイヤだ。耐えられない」とか言うかもしれない。実際、僕も息子が生まれてしばらくは「赤ちゃんとはいえ、裸の男を抱くのは嫌だな」とか思ってました。
それが今ではタマタマガッチャンコ。
たぶん、今夜もお風呂でガッチャンコ。
もっとも僕の息子は親の僕が言うのもなんだけど、目鼻立ちが整った可愛い子供で、知らない人からは10人中8人くらいの割合で女の子に間違われてしまう…というのは、まったくの嘘。スポーツ刈りで前歯が抜けていて、低俗なギャグを言っては下品にゲラゲラ笑うどこにでもいるバカ男子です。
そんなバカ男子と全裸になってガッチャンコ。
うーん、こうやってnoteに書いていても自分がやってる事とは思えないくらいシュールだ。ちなみに僕が新しい性の世界に目覚めたかというとそんなことはなく、やっぱり今でも女性だけ(できれば35歳以上)が好きです。
どちらかというと、裸でガッチャンコしてもそれが性的なアクションであるという認識すらなく(まあ当たり前だけど)、パンツをはくときに「タマタマをどちらに寄せようか」くらいの印象しかない。いや、意識して寄せたことはないな。なんか自然にやっているな。つまり何の抵抗もないってことだな。
世の中のパパのどれくらいがタマタマガッチャンコをやっているかは分からない。お風呂場が狭かったら、そもそもできないしね。でもやることになったら、「意外と抵抗なく受け入れることができますよ」とアドバイスしたい。そしてタマタマガッチャンコをやることで、男同士の友情や絆が深まるかというと、そんなことはない、ともアドバイスしたい。役に立たないアドバイスはいりませんか。そうですか。
問題があるとしたら、たまに小学校5年生の娘も「いいなー」と、息子がやった後に僕のお風呂すべり台に挑戦してくること。大股開いてスピードをつけて、かなり際どい所まで滑り込んでくる。映像的にはこちらの方が確実にエグい。
話を元に戻すと、僕がなんのためにこのnoteを書いているかというと、息子が大きくなって一緒に風呂に入ることもなくなれば、たぶん忘れてしまうからだ。タマタマガッチャンコを抵抗なく受け入れている、ということは抵抗なく忘れてしまう、と僕は予想している。
そして子育てにおいては、こういうとてつもなくくだらない記憶、とくに「とてもじゃないけど写真に残せない記憶」がけっこう大事だということを何となく気づき始めたからだ。七五三や誕生日や、ディズニーランドなんてのは写真眺めてればいいのです。どうせ写真もそのうち眺めなくなるけどね(笑)。
子育て中の皆さんは、「とてもじゃないけど写真に残せない記憶」を日記とかブログで残すのをおススメします。特に大きくなった子供が「そんなことは絶対にしない。したことない」とムキになって否定するようなことを残すと面白いかも。
む、あまり考えずに書いたけどいい感じにまとまった気がするな(笑)。
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