僕らは彼女の呼び方を知らない - 結城さくなの活動開始
先日、結城さくなというVtuberが活動を開始しました。周知のとおり、ホロライブに所属していた湊あくあさんの転生先です。本人の配信等で触れるのはマナー違反と思いますが、これだけ設定や製作陣を寄せといて別人だというのはプロレス未満の茶番だと思いますので、事実として扱っていこうと思います。
現状では初配信とマシュマロ読み、歌みたの3本しか投稿されていませんので活動内容について語るのは時期尚早。しかし思った以上に「ぬるっと」活動が始まったな、という印象です。想像以上に湊あくあだったとでも言いましょうか。
湊あくあの活動の最後は6年間の集大成という感じで、最後の1か月に詰め込むだけ詰め込んだ特大の打ち上げ花火をぶち上げて終わらせました。いわば、湊あくあというProjectに終止符を打って、結城さくなというProjectが新しく始まった、そんな感覚が実感に近いと思います。つまりは、私は転生先の活動に何らかの新しさを期待していたんだと思います。
しかし、そこにいたのは名前が「結城さくな」になった「湊あくあ」でした。それは二か月前に多くの視聴者が惜しんだものであり、新しい姿で再臨したことはファンが求めていた一つの姿ではあったのでしょう。
Vtuber自体が外側より演者にファンがつくというのは語られて久しいことです。これについては別の機会にいろいろ論じたいところではありますが、少なくとも彼女はかつての自分の視聴者の求めたものを準備して戻ってきたのです。
これまで数多くの人気Vtuberが転生してきましたが、湊あくあが特異だったのは自身の最後を長い時間をかけて綿密に計画してお祭りとして終わらせたことです。契約問題等で転生せざるをえなかったVtuberはもちろん、合意の元で卒業していったVtuberでも、元の活動をこれだけ肯定的に終わらせた例を私は知りません。(価値観の相違的な話はありましたが、湊あくあ本人からの発信でそれほど深刻には扱われていません)
このような動きを見ると「湊あくあ」「結城さくな」という単位よりも、一人の配信者として論じたくなるシーンが出てきます。「湊あくあ」「結城さくな」あるいはその前の配信者時代も含め連続的に論じたい時、それは例えばそれぞれのProjectにどのような繋がりがあるのか、どのような位置づけで活動を進めたのか、そんな話をしたくなった時に、我々は困難に直面することになります。
すなわち、一人の配信者という人間として、我々は彼女をどう呼べばいいのか、そのための名前を誰も持ち合わせていないのです。今は結城さくなかもしれない。少し前は湊あくあだったかもしれない。しかし、それらのProjectを進める裏には必ず名前を持たない彼女が何らかの目的や意図を込めていたはずなのです。その運営者としての彼女を語る時に、我々は何と呼べばいいのでしょう。
Vtuberが「外側」より「中身」にファンがつくというなら、「外側」の役割はどんどん低下していくと考えられます。しかし我々は「外側」の名前でしか、彼ら、彼女らを呼ぶことができないのです。