【コラム】結局“ルル・ベル”って、誰?~SOUL’d OUTに翻弄される筆者を添えて~
「SOUL’d OUTで一番好きな曲は?」って聞かれたら、「ルル・ベル」を挙げる人は多いと思う。私もこの曲、大好きだ。
スラップベースを際立たせ、サンプリング元となったルーサー・ヴァンドロスの「She's a Super Lady」へのリスペクトを最大限に感じさせながら、どの時代のものともつかないShinnosukeのクールなサウンド。日之内エミが重ねる色っぽさとあどけなさを併せ持つ魔性の歌声。リズムと単語ひとつひとつの発音のハマりかたが気持ちいいDiggy-MO'。この楽曲をひとつの作品としてもう一段階上の次元へ引き上げるスパイスめいたBro.Hiの高速ラップ。何もかもが奇跡的に噛み合った、至高の4分間である。
ただこの曲、毎度のことながら何を言っているのかわかりにくい。いやその「バナナスプリット」や「ニタニタTHERAPY」あたりと比べりゃわかりやすいことこの上ないのだが、一般的なJ-POPと比較するとものすごく抽象的で小難しいことに変わりはないだろう。「ニタニタTHERAPY」はSOUL'd OUTの中でも外れ値だが。
「ルル・ベル」を始めて聞いたとき、まず多くの人は「“ルル・ベル”って何?」と疑問を抱く。っていうか私がそう思った。曲中で「底意地の悪い“ルル・ベル”」とわざわざ「“ ”」付きで言われているから人名っぽいが、姓名だとしたら「鈴木花子」みたいな曲ってことになる。鈴木花子ってなんだ?
とりあえず検索してみたのだが、ズバリこれな元ネタは見つからなかった。一応フランス王の通称として「ル・ベル」というのがあり、これは「端麗王」って訳されるらしい。そのまんま、容姿端麗な王につけられるあだ名だそう。
だが「ルル・ベル」のシチュエーションにフランス王が出てくるとは思えない。さらに深く調べてみると、「ルル(lulu)」は古いスラングで「良い意味でも悪い意味でもとてつもない、並外れた」、そして「ベル」はフランス語で「美しい」を意味するらしい。
なるほど「ルル・ベル=いい意味でも悪い意味でも並外れた美女」ということだ。余談だが「ベル」って人名はイザベルとかアナベルとかの愛称として使われることが多く、単体で名前として使われることは少ない(っぽい)。
いずれにせよ、「ルル・ベル」は“並外れた女”を意味している。何が面白いって、サンプリング元の「She's a Super Lady」のタイトルも“並外れた女”と訳せるところだ。ここまで文字数使って考察したのに、一周回って元ネタに戻ってきちゃった。これは見事にSOUL'd OUT triangleの手のひらの上で転がされてる。
さて、名前の意味がわかったところでこの“ルル・ベル”ちゃんの人物像について考察していこう。歌詞からストレートに読み取れることは以下の通りだ。
いろいろ調べているうちに「3カラットのダイヤモンドは裸石で200万~1000万円」という事実を知ってびっくりした。なんてもんおねだりしてるんだ。
まず彼女の年齢だが、「だいたい学校はサボっている」「明日のテストは2教科ともほったらかし」って描写があるから、どうも大学生未満で年頃の娘さん≒高校生ぐらいっぽい。だって大学生のテストで「教科」って使わない気がするから。ただそのへんは人や学校によるのでなんともいえない。ちなみに「school」は大学にも使われるので、「“college”や“university”ではなく“school”だから高校生!」とは断言できない。
次に容姿。冒頭で彼女に対する形容詞として「Bootylicious(いいケツ)」と言われていることから、ルル・ベルちゃんはこの頃流行りのお尻の小さな女の子ではなく、お尻がぷりっとしているタイプらしい。前から歩いてくる女の子に対して“おっぱい”じゃなくて“お尻”に言及してるあたり、相当ケツはでかそうだ。「Sweet Grrl パイセン」ではおっぱいの話ばっかりしてるのに。
印象的に歌われる「トっぽい」って単語だが、これには「生意気・策略家」と「間抜け」というほぼ正反対な意味がある。どっちにしても次の「色っぽい」にはつながるので、両方あわせて二面性ある女の子として解釈しても良いと思う。
スラング等をあわせて読み解くと、彼女はどうもイケないお薬にも手を出している様子である。サビでチラつかせている「キャンディ」は麻薬の隠語であり、「ワンショット」はコカインをライン1本吸う隠語でもある。イケないお薬をチラつかせて君を誘惑する美少女。う~ん、これは底意地が悪い。
一方、これらのスラングには別の意味もある。たとえばキャンディは「魅力的な女の子」だ。こちらを軸に解釈すれば、サビで描かれているのは“自分の魅力を存分に見せつけながら「このパーティ抜け出さない?」って誘う女の子の様子”となる。
また、「ワンショット」にはそのまんま「一発(ワンチャン)」という意味があり、前後の詞とあわせると「週末の昼間から性行為をしている」と読み取れる。
お薬やってる解釈、やってない解釈。どちらが正解かは敢えてどちらともつかないように書かれているとは思うのだが、個人的には「お薬やってない解釈」のほうが好きだ。だってジゴロ(=ヒモ男)に“元”とつけさせるほど貢がせて、ドラッグに夢中だった男を自分の魅力ひとつで手玉に取り、パパたちにとんでもなく高価なものをおねだりするほどの魔性の女。そっちのほうが“ルル・ベル”ちゃんのイメージに合うと思わないかい?
と、ここまで彼女の人物像について読み解いてきたのだが、この子ってざっくり言って「タワマン住みパパ活女子」なのである。リリースされた2005年ごろといえば、1990年代の女子高生ブームを引きずり、援助交際のアングラなイメージが残る時代。当時のニュースでは「ブルセラ」なんて単語が流れていて、小学生だった筆者は都会の女子たちを薄気味悪く感じていた。
その時代に「タワマン住みの貢がせ系パパ活女子」を題材とし、かつ「Every girls envy(女の子は誰もが彼女をうらやむ)」と歌うSOUL’d OUT、あまりに先見性が過ぎやしないか。この曲のポップさ、描かれる“ルル・ベル”の奔放できらびやかな人物像、そしてそれを取り巻く周囲の視線と彼女を表現する語彙は、キラキラ夜職女子アカウントがSNSをにぎわせる2020年代にも一切古くなってない。それどころか「まさに“イマ”の曲じゃん!」と思うまである。20年前の曲だぞ。あと何気に2024年、ケツがでかいのも流行ってる。
それはさておき、楽曲としての「ルル・ベル」は、この魔性の少女ルル・ベルちゃんを歌う曲である。“である”とか言ったって、そりゃタイトルになってるんだから当たり前も当たり前なのだが、ちょっと改めて読んでみてほしいところがある。それはこの曲の“視点”だ。
“視点”に注目して「ルル・ベル」を読み解くと、この曲は一貫して「SOUL’d OUTというグループの冷やかし視点」で書かれていることがわかる。彼女本人でも、彼女に魅了された男の視点でも、まったくの三人称視点でもないのだ。これが何気に面白い。
ポルノグラフィティの「横浜リリー」や長渕剛の「純子」、サザンオールスターズの「いとしのエリー」など、タイトルに人名がつき、特定の人物について歌う曲の場合、多くはその名を持つ人物の視点か、それに思いを寄せる人物の視点で歌詞が書かれる。まれに完全三人称視点(神の視点)で書かれたものもあるのだが、良い例がホルモン鉄道の「包茎ジョナサン」しか出てこない。真面目な話で出てきて良いタイトルの曲ではない。
一方「ルル・ベル」の歌詞は、一貫してSOUL'd OUTメンバーの視点で書かれている。ド頭からアーティストの自己紹介で始まるこの曲において、S.Oは完全に部外者だ。彼らがルル・ベルと接触するのは冒頭におけるほんの一瞬で、しかも「やっぱ来んな」と突き放してしまう。一応「花束とKiss」を贈ってはいるのだが、のちに語られる彼女の人物像的に、これが御望み通りのプレゼントとは思えない。どうも彼女は超BADなS.Oに軽くあしらわれちゃったようである。
そのあとの歌詞でも、S.Oは特段ルル・ベルを賛美しているわけではない。むしろ「底意地の悪い」「脇目もふらず」とネガティブめな語彙が続くし、「話によれば~」からの歌詞で語られる彼女の人物像も決して良いものとはいえない。「Crazy for ya!(あなたに首ったけ!)」にも「For real?!(マジで言ってる?!)」って言ってるし。
じゃあこの曲でSOUL’d OUTが何をしているかというと、たぶん、ただただライブをしているのだ。Bro.Hiパートで「Hey Guys This is party shit for you(このパーティーはおまえらのためのものだ)」「Welcome to S.O World!」と言っているように、本曲における「パーティー」とは「ライブ」の暗喩である。
パーティー=ライブと置き換えれば、この曲は読み解きやすい。ライブをするSOUL’d OUTと、会場に現れ、ファンのひとりに「ここから抜け出して一緒に楽しいことしない?」とささやきかけるルル・ベル。美しく人目を引く彼女の評判は悪評とともにメンバーの耳にも届いており、SOUL’d OUTは彼女を題材(=ターゲット)に曲を書く。たぶん、これが「ルル・ベル」の構造だ。
しかしもうひとつ、言及すべき所がある。それは曲のド頭、原曲のリフを聴かせながらDiggy-MO'がつぶやいているところである。
この曲は例のごとく「ア アラララァ ア アァ!」で始まるのだが、サンプリング元をしっかり聴かせながらア アラララァ ア アァ!し、「The energy consists in unity(エネルギーは集合から成る)」「SOUL'd OUT triangle」と語ることには、原曲とルーサー・ヴァンドロスへのリスペクトを表明する意味がある。
つまりここは「拝啓 我々はSOUL'd OUTという3人組です。今からあなたの曲を使わせていただきます。よろしくお願いします」部分だ。礼儀正しい。
それらを踏まえて歌詞を俯瞰すると、また新たな一面が見えてくる。サンプリング元「She's a Super Lady」で歌われているのは、孤独な男がとてつもなく魅力的な女性に恋して、「彼女を自分のものにできればどんなに良いだろう」と切望する様子だ。歌詞を和訳して読むと、あまりに熱狂的すぎてちょっと心配になってくる。
ここで描かれる“人生を輝かせるほどとてつもなく魅力的な女性”は、「ルル・ベル」で描かれる“彼女”の人物像とよく似ている。つまりこの曲は、男たちを手玉に取る魔性の少女ルル・ベルの歌であり、そんなルル・ベルをやや冷笑的に見つめるSOUL’d OUTメンバーの歌であり、「She's a Super Lady」で魅力的な女性に熱狂する男を部外者の立場から描いた曲なのである。見事な三重構造、S.O triangle。勝ち目がない。
こういった要素が複雑に積み重なり絡み合って、「ルル・ベル」は2020年代にも全く色あせない楽曲となった。リリースからは約20年、「She's a Super Lady」に至っては40年以上前の曲だし、題材的にもニッチで大衆的なわけでもないのに。
でもこの、メンバーがルル・ベルという少女に深入りしない大人のあしらい方が、かえって良い距離感を生んでいる、と私は思う。
メンバーがパパ活女子に惚れ込んじゃう歌だったら、いわゆる「こういう女とヤりたい」系の歌だったら、この曲は2020年代には聴くのがキツくなっていたかもしれない。表現がもうちょっと際どかったら、言い回しに時代感があったら、語彙が古くなっていたかもしれない。サンプリング元が「She's a Super Lady」じゃなかったら、レトロ感が増していたかもしれない。「ルル・ベル」の色褪せなさは、そういう絶妙なバランスで成り立っているのだ。
まあ「Sweet Grrl パイセン」やソロの「先生、」を聴くとDiggy-MO'年上のお姉さん好き疑惑が浮かぶので、かなり年下かつ奔放な“ルル・ベル”ちゃんはハナからストライクゾーン外かもしれないって指摘はできるのだが、そのへんはなんというか、「あくまで曲だし……」ということでいかがだろうか。
Text:安藤さやか
【余談】
noteには「誰かが投稿した画像をサムネイルにできる」という機能があるのですが、こんなに歌詞にぴったりで素敵なイラストが見つかるとは思っておらず大変感動しております。