【コラム】SOUL’d OUTはなぜこんなにも愛されるのか?(あるいはネタにされるのか)
大学生の頃から定期的にSOUL’d OUTに関する怪文章をネットへ放流していたら、あるときレコード会社様から「SOUL’d OUT、ときどき聴きたくなりますよね!」とDVD(デベディ)が贈られてきた。人生いろんなことがあるもんである。
SOUL’d OUTは、なぜだかときどき突発的に流行る。ある日突然SOUL’d OUT関係のネタツイがバズり、それに付随してみんながア アラララァ ア アァ!言い出すことでトレンドにSOUL’d OUTが入り、ファンとメンバーが困惑する──というのがいつもの流れだ。直近ではエビ揉んだことにBro.Hiが反応したことで話題になった。この一文、たぶん2年後には怪文章でしか無くなってると思う。
それにしても、SOUL'd OUTほど多くの人に愛される……というか、ネタにされまくるアーティストはそういない。クロマティ高校のフレディ・マーキュリー弄りだってもうちょっと大人しかった。ファンが公式YouTubeチャンネルのコメント欄で大喜利大会したり、大手メディア(やや語弊のある表現)が「Diggy-MO'が言ってないこと選手権」企画をやったり、「Diggy-MO'」って検索しようとしたとき検索候補に「Diggy-MO' 鳴き声」って出てきたり。っていうかこれS.O弄りじゃなくてDiggy弄りなのでは?
さて、どうしてSOUL'd OUTは、こうまでイジられるのか。
とはいっても理由は明白である。だって面白いんだもん。
まず、名曲には必ず「ん?」っていう“引っかかりポイント”がある。たとえばクイーンのド名曲「ボヘミアン・ラプソディ」は、歌い出しから「ママ、オレ殺っちゃった」。こいつァ見事な釣り針だ。喰いつかずにはいられねえ。
この“引っかかりポイント”というのはイヤーワームポイント、「耳にこびりついて離れない所」だ。世界一とも称賛される美声で初っ端「ママ~♪」言われたらもう一生耳から離れない。フレディは絶対わざとやっている。
得てして世界的ミュージシャンは、この“引っかかりポイント”の使い方が巧い。古い洋楽名曲メドレーを聴いて「知らない曲なのに知ってる~!」が連発するのは、まさに我々が人生のどこかのポイントにおいて、アーティストの垂らした釣り針に引っかかっているからである。ベートーベンの『運命』の冒頭だって、言ってしまえば“引っかかりポイント”だ。
そしてSOUL'd OUTだが、彼らの楽曲は引っかかりポイントがあまりにも“多すぎる”。誇張でもなんでもなく、S.Oの曲には10秒に一回くらい「今なんつった?」って所が出てくる。「1,000,000 MONSTERS ATTACK」なんて歌い出しがまず「POW!!!!!!」だ。クールなイントロ明けた瞬間に大声で「ポウ!!!!!!」とか言い出す時点でもう“勝ち”なのに、続く歌詞は「アッ オゥ アッオゥ アッ オゥ アッ アッ アッ オゥ」。どうしろってんだよこんなの。
「COZMIC TRAVEL」は「クリストファー↓ コロンブス↑」がネタにされがちだが、個人的にはイントロの“タタッタタッタ(Ah)×3”でノックアウト。その「Ah」は何なんだ。
「TOKYO通信 ~Urbs Communication~」は初っ端ナゾのリップ音にア アラララァ ア アァ!を重ねがけ。「Catwalk」ではナンパして速攻フられる。個人的には「GROWN KIDZ」の歌い出しで「衒いなんて」が来たとき「語彙力!」と叫んだ。
この「今なんて?」を餌にして、SOUL’d OUTはリスナーを一本釣りする。「どんな曲だよ」と思って聴いてるうちに、いつの間にか通してツルっと聞いてしまっている。ここがまずめっちゃオモシロい。
そしてリスナーは「結局これなんて歌ってるんだろう」と思い自然と歌詞カードに手を伸ばしてしまうのだが、そこで待ち受けているのが、あの“画面ヅラがいかにもSOUL’d OUT”なめちゃめちゃ面白い歌詞カードだ。
SOUL'd OUTはむやみやたらと几帳面なラップグループであり、どう考えてもそこまでは書かなくていいことまできちんと歌詞カードに書いてある。「1,000,000 MONSTERS ATTACK」の「アッ オゥ アッオゥ アッ オゥ アッ アッ アッ オゥ」はその代表例。最後「アォゥワッ♪」で〆るのが小粋である。「♪」までが正式表記。
「TooTsie pOp」の「アン アン アン」もたまらない。なんでここカタカナで書いたんだろう。全く理由がわからない。「Magenta Magenta」も「んんばっ×3(※正式表記)」だし、「イルカ」も「ザッブ~ン」とか言ってる。“スタッタラッタ”は“STuTTA-LuTTA”なのに。むしろなんでスタッタラッタはアルファベットで表記したんだ?
はっきり言って、SOUL’d OUTは歌詞カードを参照しながら聞いてもどこを歌ってるのかよくわかんない。少なくとも半分くらいは日本語だし、よく読めば中高レベルの単語が多いのに、どこを歌ってるのかわからない。だって「PURE」が「ピョッ」、「THERAPY」が「テロペッ」だもん。「VOODOO KINGDOM」の「RUDIment's gon' succeed 」ってところに関しては、(おそらく意図的に崩してもいるだろうが)一度も歌詞通りに聞こえたことがない。それも面白い。
加えてSOUL’d OUTの書く詞はJ-POP(広義)の中でもかなり抽象的な部類に入る。比較的歌詞が聞き取りやすく、かつメッセージ性の強い「ALIVE」でさえ「受難と夏の空に残した傷跡」と来た。みんなホントに歌詞の隅々まで全部わかって聴いてる?頭の真上にでっかいクエスチョンマークつけっぱなしでいない?14年越しに「COZMIC TRAVEL」の「Christopher Columbus!」が『若草物語』の引用だったことを知ったりしてない?
歌詞に出てくる単語も尖りまくってる。たとえばあなたが作曲家だったとして、ある日いきなり「冒頭ではまず各メンバーのお部屋を紹介して、『お入んなさいな』で〆ます。これでカッコイイ曲作ってください」「『野菜・肉・肉・肉・肉・野菜・時に魚介・うーん了解』で韻を踏みます。バッキバキのtrack曲作ってください」と言われたらどうだろう。私だったらフルスイングで匙を投げる。
(※なおSOUL'd OUTはインタビューなどから推測するにトラックからインスピレーションを受けて歌詞を作るタイプ)
それでも1曲に1つは必ず、印象的かつ聞き取れるワードが入る。「クリストファー↓ コロンブス↑」だったり、「ウェカピポ オッオー」だったり、「最初っからSTuTTA-LuTTA 二人が泳ぐイルカ」だったり、「わかってんだろ?ペイス」だったり。どうでもいいけどあれだけ歌詞を細かく書く割に「わかってんだろ?ペイス」は歌詞カード表記外なのが不思議。
そしてこれこそが、SOUL'd OUT最大の強味だ。
S.Oにおける“引っかかりポイント”は、すべてSOUL’d OUT側から「ココを聴くべし」と提示されている。わかりやすい例で言うと「Magenta Magenta」の「お前って不思議ちゃん?」ってトコ。この曲は全体的にくぐもった発音で歌詞を濁し、ShinnosukeのバッキバキのTrackを際立たせるサウンドなのに、「お前って~」のトコだけバックの音がパッと消える。これがおでんのカラシくらい効いてくる。
SOUL’d OUTの楽曲には、こういう音楽的アクセントが詰まりまくっている。印象的なフレーズは必ず“印象的なフレーズになるよう作られている”所だ。トラックの厚みが変わったり、裏声になったり、コーラスをかけたり、そこだけリズムが変わったり、執拗に反復したり。そういうことをして、リスナーの意識を惹き付けて、ハッとした瞬間を釣るく。これにより、我々はSOUL’d OUTが「ここを覚えてくれ」って所を無意識に覚えてしまうのである。私たちはS.Oを聴いて踊っているのではない。SOUL'd OUT triangleの掌の上で踊らされているのだ。
ここまでは音楽的な話だが、SOUL’d OUTはイメージ戦略も良いアーティストだ。なんてったって彼らはパブリックイメージ的な“ラッパー”を地で行っているグループ。だってまずメジャーデビュー曲の「ウェカピポ」が初っ端「Nah ウェカピポ Yo!」で始まって「チェケラ!」って言うんだもん。「ラッパーってマジで“YO!”とか“チェケラ!”って言うんだ!」って感動した人、絶対いると思う。
歌詞という面では、「やたらと自己紹介する」「やたらと何かを要求する」「やたらと何かを確認する」「ちょくちょく下ネタが混ざる」って所が“いかにも”である。特に自己紹介とグループ名のコールはアイドル以上に丁寧だ。SOUL’d OUTで一番多い歌詞はたぶん“S.O”と“SOUL'd OUT”、次いでDiggy、Bro.Hi、若干頻度は減ってShinnosukeだろう。
ビジュアルに関しても、ザ・ラッパーって感じだと思う。ShinnosukeはShinnosukeだが、Diggy-MO’とBro.Hiはローウエストなデニムのパンツにだぼだぼのシャツ、キャップ(キャップonハット等の時に見せる謎のスタイル)、凛と光るチェーンネックレス、ストリートの風を感じさせるジャケット、髪型にあごヒゲと、そのファッションは誰がどう見てもいかにもなラッパー。何も知らない人にDiggy-MO’の写真を見せて「このひと、何してる人だと思う?」と聞くと、多分「ラッパーか美容師」と返って来る。
そのいかにもなDiggy-MO’とBro.Hiが、MVではいかにもな陽キャ仲間たちと、いかにもな振付で歌い踊る。どこをどう切り取っても典型的なラッパーの手の動き、どこか成金趣味を感じさせるギラッギラなCGのちょいダサMV。「“あとで車を合成します”って言われてとりあえずハンドル切りまくってたらずっと直進だった」というエピソードからにじみ出る「誰か指摘してやれよ」感、「Magenta Magenta」のルーレット回しながらカード手繰る謎ゲーム、「イルカ」のどこからツッコんでいいかわからない謎MV。その全てがステレオタイプなHIP-HOPのイメージとして流れ込んでくる。
このステレオタイプ感と振り切ったダサさは、わざとというか、意識してやっていると思う。というより、わざとやってないと「イルカ」のMVが偽ジローラモVSイルカ拳法マイクロビキニ美女になるわけがない。あのMVの「映像を通して伝えたいことはわかるんだけど本当にその表現でいいのか?」感はわざとじゃないと絶対できない。わざとじゃなかったらどんな顔すればいいのかわからない。
そんなコッテコテの“パブリックイメージ的HIP-HOP”を演じながら、SOUL’d OUTは終始HIP-HOP界隈と距離を置いていた。このため彼らの楽曲は、何の前提条件も予備知識も無く、ただ直感的に聞ける。これが大きな長所となっている。
SOUL’d OUTには「〇〇(別アーティスト)を聞かずしてコイツは語れない」理論における「〇〇」にあたるものが存在しない。これって何気に重要なことだ。勉強せずとも楽しめるから、多くの人に愛してもらえる。耳がHIP-HOPに慣れていなくても、シーンへの知識が無くても、専門用語がひとつもわからなくても、「ラップってYO!とかチェケラ!とか言うよね」程度のノリで楽しめる。けれど音楽を知れば知るほど味が濃くなる。彼らはそういうふうに音楽を作っている。
結局のところSOUL’d OUTは、すっごいステレオタイプなビジュアルとパフォーマンスで、違う次元のフォーミュラをもって、メンバーのお部屋に招いてくれるチャーミングさを持ちつつ、ビギナーにもフルパワーのすんごい音楽を届けてくれるグループなのである。だからこそ誰にとっても面白くて、いろんな意味で愛されるのだろう。時折ジョジョネタを歌詞に仕込んだこともあり、彼らは「オタクに優しいギャル」と喩えられることもあるけれど、シーンとの距離感を考えると、どちらかといえば「気さくで優しいのに特定の誰かとはつるまない一匹狼」に近い。
ただし忘れちゃいけないことがある。この一匹狼は、クラスで一番お勉強がよくできるのである。
“「Christopher Columbus!」が『若草物語』の引用”という所からもわかるように、SOUL'd OUTの歌詞はよく読み込めばやたらと深い。語彙力の豊富さはもちろん、特に宇宙系の知識の詰め込み方は舌を巻く所がある。
たとえばS.O屈指の宇宙曲として知られる「COZMIC TRAVEL」、Aメロの「あかく翔んでく宙」は赤方偏移(遠くからの光が赤っぽく見える現象)のことだ。そのあと「天地が逆さ」と言ってるが、これはおそらく望遠鏡の上下左右が逆に映ることから来ている。
ここから続く詞では宇宙探査と研究に言及する。「爆発と熱風 時代を超えて」はそのまんま、数億光年の距離を超えて届く遥か昔の光のことだ。探査機のスウィングバイにも触れ、Bro.Hiパートでは天文学者の思考を描く。時に突飛な発想や、SF映画からの着想、歴史学との融合が天文学をより拡大する。「クリストファー↑コロンブス↓」でネタにされがちだが、この曲で描かれているのは天文学のリアルだ。
とはいえこれは、たまたま筆者が宇宙探査についてちょっぴり齧った程度の知識があるから読み解ける部分であって、“ガチ”の人が読めばまた違った印象を覚えるだろう。ただ、こういう語彙や表現がポンポン出せるあたり、Diggy-MO’は宇宙好きな人ではあると思う。思えばソロ曲「PTOLEMY」と、そのアンサーソング「GOD SONG」も天文学系の曲だった。
SOUL'd OUTの歌詞を読んで「この単語ってどういう意味だろう?」と思ったものを調べて行くと、だいたい元ネタに突き当たったり、知らないお酒の名前やカッコいいスラングを知れたりする。「MARTIAN MARTIAN」に出てくる99BANANAやクエルボ・ゴールドがお酒の名前なのはわかりやすいが、実は前後に出てくる「サンタ・アナ」「サン・セット」「コロンビア」もお酒やカクテルの名前として存在する。ここでは美しい情景描写とあわせて、クラブで強い酒を飲みまくってる描写をしてるのだ。
視点を変えて「歌詞のカメラアングル」に着目してみると、これもまた巧い。「ALIVE」の「真夜中の風(マクロ)/ポケットの中のアメ(ミクロ)」なんて映画みたいだし、「風・飴・オレ」で三段階の韻を踏んでるのもたまらない。「ウェカピポ」の「そびえたったTower(見上げてる)」から「アスファルト(見下ろしてる)」への視点移動の見事さ、「TooTsie pOp」の「舞い上がるスカートを調整したら(手元の動き)」から「おまえのヒール 大理石を感じながら(足元の動き)」への移行、「Catwalk」での「美脚(撮影される被写体)」から「クリッピング・ビューロー(撮影された被写体)」への移り変わり。お見事というか、よくこんなの思いつくよね。
これって要するに、SOUL’d OUTはフィーリングで音楽を作っていないってことだ。S.Oは圧倒的な“理論派アーティスト”。感覚ではなく理屈で曲を作っているから、掘れば掘るほど面白い。まあ「VOODOO KINGDOM」のイントロのあのタイミングで「The World...」とか言っちゃう時点でSOUL’d OUTが理屈で音楽を作ってるアーティストだっていうのはわかりきったことではあるのだが。
同時に、SOUL’d OUTがHIP-HOPシーンから白い目で見られていた理由も、なんとなくわかる。
HIP-HOPっていうのは、基本的に“オレ”の音楽だ。オレの思想をオレの言葉で表明し、韻とビートのエッセンスをふりかけて、言葉が音楽になっていく。音楽の前に言葉があり、言葉の前に人生があり、人生の前に魂がある。その“魂”の部分をいかに言葉にして、それを音楽にするかっていうのがHIP-HOPなのだ。「なのだ」とか言ってるけど私HIP-HOPのこと3ミリくらいしか知らない。
一方SOUL’d OUTでは、自己表現より先に“音楽”が来る。まず表現したい音楽世界があって、その世界にあわせて言葉を選ぶ。自己の経験は大して大事ではない。Diggyが女とイチャイチャしてる曲はあるけれど、恋愛感情や性欲より前に「いい曲を作りたい」っていう芸術家としての欲望が見える。欲望が言葉へ、そして音楽へと変わりゆくHIP-HOPの一般的なベクトルとはまるで真逆の方向だ。
だから私は「SOUL’d OUTはHIP-HOPじゃない」って言葉に、正直けっこう賛成してる。これはもうなんというか、小説と論文の違いみたいなもんなんだ。一般的なHIP-HOPとSOUL’d OUTの音楽とは、表現方法は近いものでありながら、その目的が違うのである。そして目的が違うアーティスト同士を同じジャンルとして括るのは難しい。
でも、SOUL’d OUTはそんなこと気にしちゃいない。そして多分、自分たちが一般的なHIP-HOPとは違う場所にいる自覚もある。それでも彼らは自分が信じた「良い音楽」をただひたすら、ガムシャラになって届けた。その結果が昨今の「定期的SNSでSOUL’d OUTがトレンド入りするけど、メンバーが特に何かしているわけではなく、なんならメンバー自身もトレンド入りに困惑している」状態なのだろう。
しかし彼らの名が定期的にトレンド入りする理由もわかる。表面的に聞くだけでも面白く、掘れば掘るほど深く、シーンから離れて独自路線を突っ切って行ったからいつ聞いてもなんか新鮮で、知識がなくても楽しめるから入っていきやすい。「曲ネタ」も豊富で、歌詞からの引用だけで多用な会話が成立する。こんなアーティスト、何もしてなくてもファンが増えるに決まってる。
否、もしかしたら“何もしてないからこそ”ファンが増えるのかもしれない。SOUL’d OUTの魅力って、決して多くを語らない神秘性にもあるから。
そんなSOUL’d OUTについて、仕事の合間を縫ってこの怪文章みたいなコラムを書いているうちにも、彼らに関連する投稿はSNSで3~4回バズり、ファンは「Diggyとの会話で自然にSOUL’d OUTの歌詞を引き出そう選手権」をやっていた。10年前に解散したグループとは思えない話題性である。やっぱSOUL’d OUTは凄いなあと思いながら、あのバッキバキのtrackを聴くとイヤホンを耳に突っ込みヒールで大理石を感じながらBoogie Boogieしたくなっちゃう。それがSOUL’d OUTの何よりの魅力だ。
ついでにライターとしては、彼らについて書くとき「ウマいオチに困ったら、とりあえず言っとけばいい〆の言葉がある」という超絶感謝ポイントがある。
そして私は今、語りたいことを語り尽くしてしまい結びに困って途方に暮れているので、満を持して言わせてもらおうと思う。
それでは皆様、ここまでお読みくださってありがとうございました。
ペイス。
Text:安藤さやか