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ウルトラヴォックスの全盛期

どの時期のウルトラヴォックスがお好き?

まずなんだ、ウルトラヴォックスという名前がカッコイイ。日本語に訳すと「超声」というわけわからん名前になりますが、そんなことは気にしない、ワカチコワカチコ。

ウルトラヴォックスを大ぱっぱに時代でくくるとこんな感じでしょうか。

第1期:ジョン・フォックス時代(1977-79, 結成は74年らしい)

第2期:ミッジ・ユーロ時代(1980-87)

第3期:ビリー・カーリー時代(1992-96)

第4期:黄金ラインナップ復活期(2008-2013)

圧倒的なポピュラリティを得たのは80年代の第2期ですが、ジョン・フォックス時代の方が評論家筋には評価されており、また音楽的な影響力もジョン・フォックスはありました。ということで、人気があったにも関わらずミッジ・ユーロ時代はあまり評価されていないように思うので(というかそれ以外の時期はほとんど私が聴いてない)、今回はミッジ期を中心に。

ジョン・フォックスの面白さ

バンド創世者、ジョン・フォックスがいた時代のウルトラヴォックスは初期がモロにパンクで、その後徐々にエレクトロニクスを導入しその独自の個性を発揮します。確かにこの頃のウルトラヴォックスに影響されたというバンドが多いのは分かる気もします。ちなみにこの時期で一番好きな曲はロビン・サイモンのギターがうねるパンキッシュはこの曲だったりします。

Ultravox! "Young Savage" (1977)

評論家やミュージシャンの間では高い評価を得るものの商業的成功を収められず、ウルトラヴォックスは解散。ジョンはソロに転向します。ソロ作におけるジョンはエレクトロニクスを多用しつつ、ウルトラヴォックスの頃のようなロックナンバーは抑えめになり、ヨーロッパ的な叙情性あふれる作品を作り上げていきます。私はこの頃の彼のソロ作はかなり好きです。イギリスでは彼への再評価もあり80年代小ヒットを飛ばすようになります。日本ではこの曲がCMに使われていました。

John Foxx "Europe After The Rain" (1981)

80年代後半はほぼ音楽業界から引退状態でしたが、2000年以降はボチボチと活動中。ウルトラヴォックス時代のイメージとは正反対に "Quiet Man"が彼のニックネームとなりました。

ミッジ・ユーロを迎えた全盛期

リッチ・キッズ、ヴィサージと活動していたミッジ・ユーロはジョン・フォックスと入れ替わってウルトラヴォックスに加入。ここから彼らの快進撃が始まります。

ミッジ加入後の3rdシングル "Vienna" がイギリスで2位を始めヨーロッパ中で大ヒット。アルバムも大ヒットとなります。日本ではアルバム "Vienna" に収録された"New Europeans"がサントリーのCMに起用され大ヒット。このヒットにより日本だけで「新欧州人」という編集盤が発売されたほど。

この後も彼らは快進撃。この後のアルバム "Rage in Eden"、"Quartet"、"Lament"とシングル共々ヒットを飛ばします。個人的なオススメは(どれも良いんだけど)あのジョージ・マーティンがプロデュースを手がけた"Quartet" (1982)。

Ultravox "We Came to Dance" (1983)

この時期の彼らの魅力はこのベスト盤でぜひ。何回も聴いたなぁ。イギリスでめちゃくちゃ売れたベスト盤です。

あのバンド・エイドの立役者に

1984年、ボブ・ゲルドフとミッジがアフリカ飢餓チャリティのためのバンド・エイドを立ち上げることに。バンド・エイドに関しては死ぬほど話したいことがあるので別の機会にするとして、このバンド・エイドによるシングル "Do They Know It's Christmas?" の作曲を手がけます。

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この時のエピソードが面白い。

最初のデモを作ったのはボブではなくミッジだった。曲調はベース・ラインがいかにもウルトラヴォックスを彷彿とさせるもので、初めて聴いたボブは「どこかできいたことがあるぞ」と言うと、ミッジは「お前も何かパクればもっとましな曲が書けるさ」と言い返した。(Wikipediaより)

当時、ボブのバンドのブームタウン・ラッツはセールス急降下中(いい作品を作っていたのに)だっただけに結構この言葉は堪えたんではないかと。ところがバチが当たったのか、ウルトラヴォックスも…。

問題作 "U-Vox" (1986)

84年のバンド・エイド、85年のライヴ・エイドと忙しかったせいか、86年になってようやくウルトラヴォックスの新作が登場。ミッジに注目が集まっていた時期にで、しかも"Vienna"、"Rage in Eden"で組んだコニー・プランクを再びプロデューサーに迎えたのにも関わらず、アルバムこそイギリスで9位とそこそこだったものの、シングルはイマイチな結果に。結局この後はミッジが見切りをつけてソロ転向するためにバンドは解散。ボブのブームタウン・ラッツを笑えない状況になりました。

アルバムを聴けばわかりますが、彼らの特徴である哀愁のあるメロディとエレクトロニクスを中心とした硬質ながら人間味のあるアレンジがあまり聞かれなくなり、ウルトラヴォックスである必然性がなくなった感じが低迷の一因かと。

ミッジ・ユーロのソロ活動

さてバンドを解散させたミッジはというと、もともとウルトラヴォックスが存在していた1982年にシングル"No Regrets"を英9位に、85年には初のソロアルバム"The Gift"(英2位)とシングル"If I Was" (英1位)を大ヒットさせており、それもあって「ソロの方がいいや」となったんでしょうが、そのあとはウルトラヴォックス時代ほどの成功はおさめられず。

Midge Ure "If I Was" (1985)

彼の音楽性は評論家のどなたが指摘していましたが、「浪花節的な歌いっぷりと歌謡曲的メロディ」という言葉に集約されているように思います。日本でミッジ期のウルトラヴォックスの人気があったのもむべなるかなというところですね。

さて、ミッジのソロ期において是非とも聴いて欲しい曲がこれ。元ジャパンのミック・カーンとの共演シングル。かっこいいです。のちに12インチ盤を探し回った思い出が。ミックのフレットレスベースがうねるうねる。

1983 Midge Ure & Mick Karn "After a Fashion" (1983)

おわりに

ということで、ミッジ期を中心としたウルトラヴォックスのお話でしたが、現在アマゾンでは彼らの作品はなかなか入手できない模様。去年(2020)に"Vienna"の40周年記念盤が出るも、あっという間に売り切れのようです。

というかですね、彼らが所属していたクリサリス・レコードは旧盤のリマスターをなかなかしない実に不親切なレーベルでして、ウルトラヴォックスは2009年ごろになって初めてリマスター盤が出たくらい。稼ぎ頭であったはずのヒューイ・ルイス&ザ・ニュースやパット・ベネター、ブロンディ、スパンダー・バレエ、ビリー・アイドルあたりですら2000年代後半になってから1回こっきりのリマスター版しか出していないはずで、80年代ファンには冷たいというか、やる気あんのかゴラァみたいな状態です。

ウルトラヴォックスの場合はその時のリマスター盤を発見したらぜひ入手してください。しょうもない編集盤はいっぱい出すくせにまったく(自粛)。

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