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ベルトをかけて闘う人を見た日(2022年10月9日、東京女子プロレスを観て思ったこと)
懐かしさと戸惑いと
この日の東京女子プロレスの興行は、タイトルマッチ3試合の他にも楽しみなカードだらけ。ドリンク代が必要な会場というのも、私にとっては非常に懐かしい感覚だった(ヴィジュアル系のライブに通っていた頃は当たり前だった)。さらにマスク着用声出し応援可、とくれば、ワクワクソワソワするのも当然。
開幕して、かつて通ったライブ感覚で声出せるかなと、多少緊張していたら……飛び交う声にびっくりしてしまった。
ハイパーミサヲ選手が言うところの「大きいちびっ子たち」の、いわゆる太い声に気圧されていたのである。
ヴィジュアル系のライブだと、声援のほとんどが女性の声だったし……当時は張り合う元気もあったし……などと、懐かしさと戸惑いを感じたものの、試合が始まれば「応援したい選手の名前を好きに叫ぶ」ことを楽しんでいた(選手によっては、「名字と名前、どちらで応援したらいいのか?」と迷ってもいた)。
ベルトの重さ
東京女子プロレスのタイトルマッチは初観戦だったこともあり、「プロレスにおけるベルトとは何なのだろう」という漠然とした思いが、少し整理できた気がした。
考察のため、【プロレスラーの能力は「人気」と「実力」という要素で構成される】、というゲーム的な見方をしてみる。
大雑把ではあるけれど、「人気」はファンへのアピール力、「実力」は試合における強さ、と言えるだろう。
勝者が獲得したタイトルを可視化したベルトは、「実力」の証。「実力」を保証するもの、とも言えるだろうか。
つまりベルトは、プロレスラーの付加価値。
可愛くて良いキャラをしているといった「人気」だけではなく、ベルトを獲れるくらいの「実力」も備えている。あるいは、ベルトを獲ったことで注目度が上がり、「人気」も上がるとか、ベルトに相応しい「実力」を伸ばしていくとか、そういう効果もありそうだ。
ただ、この見方は何かが足りないように思う。
ベルトに対する、プロレスファンや団体運営側の視点にはなりうるけれど、プロレスラー自身の視点とは異なる気がする(全く重ならない、というわけでもないと思うが)。
「人気」も「実力」も十分にあるプロレスラーが、ベルトを獲りたいと思う動機に迫るには、ゲーム的な見方には限界があるのだろう。
ベルトの意味
付加価値という言葉だけでは説明できないベルトの意味。
私はプロレスラーではないので、推測するしかできないけれど……ベルトは、プロレスラー自身が己を鼓舞し、自信をつけるためのもの、のように思う。もしくは、プロレスラーとしてのプライドを形にしたもの、かもしれない。
ベルトの意味や重さが伝わってくる試合だったな、と友人と語らい、思い巡らせた日だった(プロレス観戦後のお酒は本当に美味しい)。
さて、次はどんな試合を観られるかな。